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堀川等編『シャリーアとロシア帝国:近代中央ユーラシアの法と社会』

堀川徹・大江泰一郎・磯貝健一編
『シャリーアとロシア帝国:近代中央ユーラシアの法と社会』
京都:臨川書店、2014年(276+33p.)

Horikawaetal2014

おそらく「中央アジア古文書セミナー」のご縁で先頃一冊ご恵贈いただいた。
(編者の先生方のご高配に感謝します。)

本書は、序章で堀川徹先生が述べておられるように、「中央アジアの法制度研究会」(2007-2012)の研究成果の集成であると同時に、「中央アジア古文書研究プロジェクト」(1992-)の成果の一つである。本書成立に係る詳細な背景については、堀川先生の序章でのご説明をぜひお読みいただきたい。本書のカバー見返しにも引かれているように、「ロシア革命の時に中央アジア社会がさしたる混乱もなく社会主義を受け入れたのはなぜか。ロシア法とイスラーム法との間の類似・共通性がその大きな要因ではなかったか」との大江泰一郎の「疑問」が一つの出発点となり、「イスラームとロシア、歴史学と法学」をそれぞれ専門とする多彩なメンバーが集い、春と秋に京都と静岡で定期的に研究会を行った。本書に収録された9編の論文は、そこでの研究発表に基づき書き下ろされたものである。

本書の構成は以下の通りである(それぞれ、副題は省略する)。

序章 シャリーアとロシア帝国(堀川徹)
第1章 中央アジアにおけるロシア法とイスラーム法の交錯(大江泰一郎)
第2章 ヒヴァ・ハン国と企業家(塩谷哲史)
第3章 カザフ遊牧民の「慣習法」と裁判(野田仁)
第4章 ヴォルガ・ウラル地域におけるムスリムの遺産分割(磯貝真澄)
第5章 シャリーア法廷裁判文書の作成システム(磯貝健一)
第6章 ロシア統治下トルキスタン地方の審級制度(矢島洋一)
第7章 アフガニスタンの司法改革(近藤信彰)
第8章 「近代法」の移植と土着法適用についての帝国の論理(桑原尚子)
第9章 社会主義ソ連時代における民事裁判のあり方(伊藤知義)
第10章 ウズベキスタンにおける「法」の役割(宮下修一)
巻末註
索引(事項、人名)
編者・執筆者紹介

ここではスペースの関係もあるので各章の詳細には立ち入らない。ただ、各章ともに、それぞれの著者の当該テーマに関する知見の粋を集めた粒ぞろいの「玉稿」がひしめいており、実に読みごたえのある一書に仕上がっている点は強く指摘しておきたい(つまり「お買い得」の一書!)。本書を教科書に使えば1~2年はゼミの授業ができそうな感じである。それほどにも本書は学ぶべき情報が満載され、多彩な研究上の切り口を提示している。

本書の学術的な意義について、雑駁な個人的印象を述べるならば、本書の価値とは、法学や歴史学という枠にとどまらず、ロシア・東欧とイスラームという「文明」の関わり合いの一面を緻密に提示し得た点にあるように思う。これまで一歩一歩前に進んできた地道な研究が、ここにきて沢をつめ、ようやく見通しのきく尾根に顔を出した、そんな感じのする論集と言ったら良いだろうか。そんなことはない、と執筆者の先生方には言下に否定されそうだが、私の勝手な印象はそうなのだ。「この世界を見直す新たな視点を提供している」(こういう言い方は、かなり安売りされ使い古されている感は否めぬが)と本気で言っても決して誇張ではないような感じである。

個人的には、いったい同様のテーマで、つまり「シャリーアと中華帝国」のようなテーマで、私の分野はこういう論集が編めるだろうか(いや、絶対にムリ)と暗澹たる気分になったことを告白しておきたい。仮に私自身の至らなさを完全に度外視したとしても、先行研究の蓄積、史料文献環境、研究者間の連携、どれをとっても到底中央アジアにはまだまだ追いつけないのではなかろうか。それでもくさらず研究は続けていくべきであるし、続けていきたいとは思っている。しかし、本書の粒ぞろいで、知的興奮を掻き立てずにはおかぬ刺激的な各章にうちのめされ、私の「日暮れて道遠し」感は半端ない※。

さて、本書のもう一方の意義は、まずもって「異なるディシプリンを跨いだ共同研究の一つの在り方」を見事に提示した点にあると言えよう。堀川先生がご指摘なさるように、異分野の研究者が行う「学際的」共同研究は、往々にして「地に足」のつかない「空中戦」に陥りやすい。そういう陥穽を避けるため、この「中央アジアの法制度研究会」では、まず法学研究者と歴史研究者が互いに学び合う(「講義」し合う)ところから研究活動をスタートさせ、着実に互いの基礎知識の共有を図っていったと言う。本書を一読すればその成果は明らかである。本書を読む人は、その「学び」の成果が、各人の研究成果の端々に反映されていることを発見するであろう。1+1>2となる、望ましい共同研究の好例と言える。

余談ながら、地に足のつかない「共同研究」の寄り合いは、傍目に見ても実につまらぬものである。それは、あたかも各人が「次に自分が歌う歌」を選びコードを入力することのみに意識を集中するカラオケ・パーティにも等しい。聴衆は適当に調子を合わせ、その場は一見賑やかではあるが、そこでは実質的には何も残りはしないのだ(二日酔いの不快感ぐらいは残るかもしれない…)。もちろん全ての「共同研究」がそうあらねばならないと言う訳ではなく、規模に応じて様々な形があってよいと思う※※。しかしこのプロジェクトのように、ある程度ターゲット(中央アジアの法制度)が把握しやすい形で明確に存在し、メンバーが手頃な数であった場合は、このような「学び合い」の手法は有効であろう。


※なお新疆におけるシャリーアの実際の運用については、その具体的状況を窺い知るための根本史料ともいうべき「イスラーム法廷文書(カーディ文書)」の研究プロジェクトがこの春(2014年度)から科研費(基盤研究C)の交付を受け動き出している(「新疆イスラーム法廷文書資料体の構築と研究」FY2014-2017、研究代表者:菅原純)。牛歩の如く緩慢な動きではあるが、一歩でも当地(新疆)の当問題に関する史的実態に近づくべく努力したい。

※※規模の大きな「共同研究」プロジェクトの場合は、個々の研究者の意識というよりは、そのプロジェクトを主導する数名の研究者が、いかに「意識的」にその事業を進めうるかという点がとくに重要であるように思う。遺憾ながら、そういう「意識」が隅々にまで行き届いた「大プロジェクト」は、基本的には個人研究の羅列に終始しがちな人文系ではなかなか実現が困難で、私は実現した(と言うかそういう志向を貫徹し得た)例を知らない。人文系では、たとえば「人類を月に送る」型の共同研究-つまり共通の目標に向け、トップダウン型で個別の小研究を「スタッフ」に割り振り、「ロケット」や事業全体を組み上げていくようなスタイルの研究-は組織できぬものなのだろうか。

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UYGHUR, AN ELEMENTARY TEXTBOOK

Gulnisa Nazarova & Kurban Niyaz, Uyghur: An Elementary Textbook. Georgetown University Press.

Uyghur_3


周到な教本とはこのようなものを言うのだろう、というのが本書を開いて得た第一印象である。さらに踏み込んで言えば、やっと現代ウイグル語にも、外国人向けの本格的な語学書らしい語学書が登場した、と言えるかもしれない。

本書は中央アジア言語教育に長い蓄積を持つインディアナ大学が満を持して刊行した(でも出版元はなぜかジョージタウン大学出版局)現代ウイグル語の初級教本である。本書冒頭の謝辞を読んだ限りでは、どうやら2008年ごろから本書を編むテキストブック・プロジェクトが立ちあげられ、大学内外の研究者や学生の支援も受けてついに完成を見た、ということのようである。実際、ウイグル語の教本のために(謝辞に見るような)多くの人たちが携わりうると言うことは、今の日本ではなかなか考えにくいかもしれない。

本書はA4判よりSDカード1枚分ほど背が低く、1センチほど幅が小さい判型で全512ページ。そして動画や画像も含むマルチメディアのCDも付属している。とくにCD(驚くべきことにDVDではなく、600MB足らずのCDに実に豊富な音声、画像、動画が収録されている)は特筆ものであり、新疆現地で撮影されたスキットの動画や、たとえばウイグル語放送の天気予報動画(どうやって取得したのだろう??)のようなものまで周到に収録されている点は「嬉しい驚き」であった。このマルチメディアCDの利用により、学習者は、ある種の臨場感をもってウイグル語を学ぶことができるであろう。


本書の内容

本書本体は全15課からなる。本編以外に冒頭(pp.xvii-xviii)にごくごく短いもののA Note to the Instructorを示し実際の教員への本書の構成の説明が周到になされている点は、さすがインディアナ・クオリティと思わせる配慮である。

つづけてAn Introduction to Uyghur(pp.xix-xxvii)では(1)「ウイグル史(Uyghur history)」と(2)文字そして(3)「ウイグル語(Uyghur language)」の基礎的な知識が示される。まず(1)「歴史」では古代ウイグルから現代ウイグルまでの歴史がほぼ連続的に綴られ、続く(2)文字についての記述もオルホン碑文(Orkhon script)から現代ウイグル語のアラビア文字までが紹介される。この部分の記事はいささか紋切り型であって、歴史的に古代ウイグルから現代ウイグルへの連続性を想像させるような書かれ方になっている。しかし、はたしてこれは適切であろうか。こうした記述のなされ方は確かに中国や新疆、在外ウイグル人において今も共有されている。とはいえ、学術的にはまだまだ検討の余地がある(疑わしい)ということぐらいは一言ことわりを入れるべきではないのだろうか。

さらに(3)言語については、テュルク諸語におけるウイグル語の位置づけ、使用者数(新疆1100万人、新疆外200万人)、使用地域、公用語としての使用状況などが示され、つづいて統語、音韻、語彙、形態といった諸点につきウイグル語のごくごく初歩的な素描が試みられる。(1)(2)にくらべこちらは(当然ながら)現代ウイグル語に限定された記述となっている。

本編は15課からなる。まず驚かされるのはそのボリュームである。第1課だけでも38ページもあり、懇切丁寧に個別学習項目の詳細な解説と練習が繰り返されている点は「贅沢」の一言に尽きる。

第1課の場合はほぼ音素と文字の習得に全スペースが割かれており、字母一覧(個別発音はIPAではなく、a as "a" in fatherのように類推で認識させる一種常套的な手法)につづけて、個別音素の聴き取り練習、つづけてアラビア文字の学習に入る。子音字母、母音字母の説明と聴き取り練習、左に続けない子音字母(d, r, z, zh, w)、左に続けない母音字母(a, e, o, u, ö, ü )、左右に続ける子音字母(b, p, t, j)、左右に続ける母音字母(é, i)などが実に小刻みに提示され、続いて母音、子音の順に個別に聴き取り練習が繰り返される。聴き取りを経て、これまた懇切丁寧なアラビア文字の綴り方の練習に入る。こちらも個別ストロークの特徴に留意した細かな配慮が見てとれる。またSupplementary Activitiesとして罫線入りの練習ページ(もちろん筆順の説明つきの文字例も配置)が用意されている点は心憎い配慮である。にさらに、「豆知識」とでも呼ぶべき、ウイグル語にまつわるコラムや図版写真が豊富に挿入されている点も、とかく平坦になりがちな語学学習に良い刺激となることだろう。

第1課だけを見ても本書のボリュームは十二分に明らかである。実際の授業においては、これをすべて教室でひとつひとつ消化していくのはもちろん現実的ではない(時間がいくらあっても足りない。教科書38ページ分は、きざんで教えていったら週1コマの場合半年かかってしまうだろう、第1課で!)。むしろ教員はこれを豊富な「リソース」であるとみなし、戦略的に限られた時間で扱う項目内容を選択して、部分的に活用していくのがよいであろう。ここは授業で、ここは宿題(提出物)で、ここは独習を指示する、と言うような「振り分け」は本書を活用する上で必須であろうと思われる。

私の評価

本書は語学教材として、ヴィジュアル面でも実に完成度の高い一冊である(私はかつて学んだCLE INTERNATIONALのお洒落なフランス語教本をまず思い出した)。本書は少なくとも英語圏で、教員の指導のもとでウイグル語を学ぶ上では最良の教科書と言えるであろうし、学習者がある程度英語が分かるのであれば日本でも教室で使うことはできそうである。

ただし、個人独習向け教材、とくに初心者の方には些かハードルが高い教材かもしれない、ということだけは最後に申し添えておきたい。かつて千野栄一が言ったように、入門書はこういう重厚な教材を用いるべきではなく、もっと薄い教材を用いるべきである。さもなければ本当に面白い領域に達する前に学習者は息切れがしてしまうことであろう(つまり学習途上で学習を放棄する確率が高い)。教室で教員の「戦略的」な教授のもとで学ぶ教材とするか、あるいは初級をどういう形であれ学び終えた学習者が「レファレンス」として個別項目を再確認したり学びなおしたりするために用いるには最良の教科書と言えるのではないだろうか。老婆心ながら、以上のように最後に指摘させていただくこととする。

(※なお、本書の表紙で握手をする右側の人物は何とわが師ミールスルタン・オスマノフ教授である。実は本書の出版は先生のお嬢さんで現在はベルリン国立図書館にお勤めのアイスィマ・ミールスルタンから教えてもらったのであるが、肖像権の許諾を取っていないのではないかとのご指摘であった。実際どうなのだろう。本書の内容や価値とは無関係だが、先生がウイグル語教材の表紙に収まるとは…)。


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アリムジャン・イナイェト「チャガタイ語から新ウイグル文章語への移行、およびその過程における民間文学の役割」

アリムジャン・イナイェト「チャガタイ語から新ウイグル文章語への移行、およびその過程における民間文学の役割」(『民族紛争の背景に関する地政学的研究:vol.18 平成22年度報告書』大阪大学世界言語研究センター、2011年刊、1-16頁所収。)

昨日、妻のもとにどっさり大阪大学からの出版物が届き、そのなかに標記報告書が入っていた。みるとウイグル関係の論文が2つ収録されているほか、メンバーの方の活動記録もなかなか興味深かったので(急ぎの仕事があるというのに)昼間たっぷりこの報告書を読み楽しんだ(こういう時間の過ごし方もいいものである)。

なお、この報告書の目次は大阪大学世界言語研究センター(つまり旧大阪外国語大学)の地政学プロジェクトのサイトで公開されている。


当論文はトルコのエゲ大学(イズミル)のアリムジャン・イナイェト教授が昨年(平成22年)9月22日に大阪(千里ライフサイエンスセンター)で報告したペーパーの全文である。著者アリムジャン教授はお名前から察するにたぶんウイグル人であろう。

Alimcan İnayet, On the Transition from Chagatai Language to the New Literary Uighur Language and the Role of Folk Literature in this Process.
(アリムジャン・イナイェト「チャガタイ語から新ウイグル文章語への移行、およびその過程における民間文学の役割」)

いちおうここでは目次と論文冒頭に示されている英語のタイトルとその妥当(と思われる)和訳をあげておいた。原題は独特のラテン文字表記ウイグル語で"Chaghatai Tilidin Hazirqi Zaman Uyghur Edebiy Tiligha ötüsh jeryani ve xelq edebiyatning roli toghrisida."とあり、正確には「チャガタイ語から現代ウイグル文章語への移行過程(ötüsh jeryani)および民間文学の役割について」で、ここだけ見ると若干ニュアンスが違うけれども、本文第3章のタイトル(後述)をみれば英題は実は内容を忠実に反映したよく練られたタイトルなのだ、ということが分かる(かなり些細なことだけれども)。

さて、当論文は、20世紀に生起した「現代ウイグル語」文章語がそれに先行する「チャガタイ(・トルコ)語」とどのようにつながっていくのか、という問題を「民間文学」を切り口に検討してみよう、という趣旨の論文である。19-20世紀のことばかり勉強してきた私としては、(言語学が専門ではないとはいえ)この問題は日常的につきあっている2つの(と言っていいのだろう、たぶん)言葉の問題を扱っており、かなり親しみを感じる、興味津々のテーマである。

本論文の構成は序文に続き
1. チャガタイ語から現代ウイグル文章語への移行を促した(zörür ve mejbur qilghan)社会環境
2. 現代ウイグル文章語の基礎
3. チャガタイ語から現代ウイグル文章語への移行階梯(basquch)と、この階梯における民間文学の役割
4. 結論
という構成になっている。

まず第一章では、「チャガタイ語」から現代ウイグル文章語への移行を促した社会背景が説明される。この移行期は「19世紀後半から1940年代までの時期」であり、ヤークーブ・ベグ政権(1865-1878)から左宗棠による新疆再征服をへて20世紀の度重なる蜂起、盛世才の圧政、二度の独立政権の樹立などを経験し、「ウイグル社会において、きわめて大きな動揺と変化(davalghush ve özgirish)が生じた」時期である。著者はこの過程でウイグル人たちの政治と文化の中心がカシュガルからイリおよびウルムチに移り、ウイグル社会がソ連と中央アジアのテュルク諸民族の直接的な影響を被るに至り、圧政が支配した従来の封建社会から、開明的な教育が主体となった新社会に変化した、とする(p.3)。そしてジャディードたちの活躍により、ウイグル社会のなかで自由と民族独立の思潮が生じるに至り、そのなかで言語の通俗化(tilining ammibaplishturushi)、宣伝(teshwiqat)を民衆が理解できるようなことばで発信することが必要とされたという。そういう状況で、当時先進的であったアブドゥッラー・ローズバキエフAbdullah Rozibaqievをリーダーとするソ連領のウイグル知識人たちの[現代ウイグル語の]共通文章語をめぐる1920年代の議論や、1930年にソ連領のウイグル人たちのために取り決められた共通文章語の受容が、東トルキスタンにおける現代ウイグル文章語の形成に大きな影響を与えた、とする。

続く第二章ではその現代ウイグル文章語の「基礎(asas)」が検討される。まず「チャガタイ語」は語彙においてはアラビア語、ペルシャ語の語句が量的に優越しているけれども、「文法関係」(grammatikliq munasivetler: syntaxを指すのであろうか)はなお[古代?]ウイグル語の規範を保持している(意訳)。「チャガタイ語」のそうした性格は現代ウイグル文章語の形成過程に強い影響を与えており、この過程で民間文学はまさにチャガタイ語と現代ウイグル文章語を結ぶ「架け橋(kövrüklük)」の役割を果たしたのだ、とする。

18世紀末から19世紀初めにおいて、「ウイグル文人」たちはナヴァーイーの韻文著作を自分たちの通俗的な言葉で散文化した複数の作品を書き残している。それらの作品は民衆の間に広範に広まり、やがてほかの民間叙事詩や物語を生む原因となった。この時期に(東トルキスタンで)生み出されたさまざまな叙事詩(dastan)が、「チャガタイ語」を「民衆の言葉(xelq tili)」に接近させることにおいて、きわめて重要な役割を果たした。また、民衆の間で生きた言葉(janliq til)によってうたわれた膨大な民間叙事詩も、ウラマーたちによって「チャガタイ語」に[すなわち、文字に]写され保存された。そしてこれらが「チャガタイ語」と「民衆の言葉」の間の構造的関係(organik munasivet)を保持(qoghdash)する役割を演じた。要するに、現代ウイグル文章語は唐突に登場した一言語ではなく、チャガタイ語の非常に強固な基礎を有している。


第三章では、具体的事例から、「チャガタイ語」から現代ウイグル文章語への移行階梯におけるウイグル民間文学の役割が検討される。

まず例として示されるのは19世紀後半のイリ地方で生起した諸事件をあつかった韻文著作で知られるビラール・ナズィム(Mulla Bilal b. Mulla Yusuf Nazimi)の作品である。著者はナズィムの詩の音声、語彙、文法が現代ウイグル文章語と違いがなく、現代語の特徴である狭母音化現象(接辞の接続によるアクセントの移動に伴い、その前にある母音a, eが弱化してi, éに転化する現象)なども確認できると指摘する。ナズィムは「チャガタイ語」の伝統に基づき作品を書く一方で、そのなかで作品の言葉を通俗的な言葉、すなわち「民衆の言葉」に接近させるよう努力した、というのが著者の主張である。著者によればナズィムの作品『ナズグムの物語Nazugumning qissesi』においてそうした傾向は顕著であり、ナズィムは散文部分を「チャガタイ語」の特徴に基づき書くことに努力する一方で、韻文部分はもともとの歌謡(qoshaq)の特徴に基づき提示しているという。

これ以外に(以下はやや冗長に思われるので、かなり端折る)「移行期」に登場した口承文芸(叙事詩や歌謡)やキリスト教徒伝道のためにリリースされた文献なども、ナズィムと同様の性格、すなわち「チャガタイ語」の伝統と、現代ウイグル文章語に直結する当時の口語が反映された諸要素が少なからず見いだされる。

そして結論では、民間文学がふたつの文章語をむすぶ「橋」であるとの説が繰り返される。「民間文学の諸作品は、チャガタイ文人たちの手によって新たに書写文芸作品となるとともに、他方、書写文芸からふたたび通俗化を通じて民間(=口承文芸)に還流」したのであり、こうして「チャガタイ語」と生きた言葉(janliq til;口語?)の間の関係は途切れることなく続き、さらに書写文芸の領域において「チャガタイ語」は、民間において大衆語(ammibap til;口語?)と併存し、書写文芸、大衆語双方に一定の影響を示し続けたのである、とする。


◆ ◆ ◆

私は言語の専門ではないので、こういうテーマの論文を研究史に照らしどのような位置づけができるのかという点については無知である。ただ個人的な、私のいささか幼稚な理解において、著者アリムジャン・イナイェト教授がどうやら「チャガタイ語」と現代ウイグル文章語の間に仲介者ないしは「橋」として「民間文学」を位置づけることで、「チャガタイ語」の伝統の連続性(ないしは継承)を説明しようとしているらしい、ということは分かったように思う。別の言い方で言えば、「チャガタイ語」の伝統は現代ウイグル文章語に継承され、その継承を担保したのが民間文学であった、と言うことになろうか。

たしかに「チャガタイ語」から現代ウイグル文章語への移行に注目し、その時代背景と言語をめぐる諸事情をこまかく提示し、さらに現代ウイグル文章語における「チャガタイ語」の伝統要素について注意を促し、そして19世紀以降の東トルキスタンの「チャガタイ語」の口語的特長を具体的な実例で丁寧に示した点、当論文は一定の意義を有していると考えられる。読者は当論文の講読を通じて、現代ウイグル文章語の歴史について学ぶことができるであろう。

しかし率直な感想として、当論文が、学術的になんらかの新たな知見を提示するようなものであったか、従来の諸研究から一歩前に出るようなものであったか、といえば、それは疑問である。

これまでこの種の主張はあるいは論文の形ではされては来なかったのかもしれないけれども、現代ウイグル文章語に「チャガタイ語」の影響があることはまあ自明のこととして扱われてきたように思うし、その連続性を疑う人は誰一人いないと思う。

また、この論文のタイトルから考えるに、ウイグル民間文学が仲介する(橋として)「役割」を果たしている、というのがおそらくは当論文の核心的な主張なのであろう。結論部分の「民間文学の諸作品は、チャガタイ文人たちの手によって新たに書写文芸作品となるとともに、他方、書写文芸からふたたび通俗化を通じて民間(=口承文芸)に還流」した(意訳のつもりだけど、大意はあっているであろうか。ちなみに原文は"Xelq edebiyatigha ait eserler, bir tereptin, Chaghatay edibliri teripidin yéngidin ishlinip yazma edebiyatqa kirgen bolsa, yene bir tereptin, yazma edebiyattin qaytidin ammibaplashturlush arqiliq xelq arisigha qayturup bérilgen. )というのもまあ「ごもっとも」である。しかし、たとえば第三章で提示された種々のデータから、こうした結論がすんなり導き出されるのだろうか。私目には本論文(特に第三章)で示された具体的事例から導き出されるのは、「19世紀以降のチャガタイ語韻文には、口語の影響が色濃くみられる」という(これまたよく知られた)事実を出るものではないと思うのであるが。

また、ついでに細かい点ながら、ナズィムの『ナズグム』に関する散文部分(チャガタイ語の性格が強い?)と韻文部分(口語的特徴が強い?)の説明は一瞬「へえー」と思ったが、すぐ後の部分で散文部分でも著者自身が狭母音化現象がみられると指摘している以上、その説明は成り立たない(俗な言い方をすれば「自爆している」)ようにも思われる。

繰り返しかもしれないが、「架け橋(あるいは単に「橋」でもいい)」という喩にも疑問を表明したいと思う。「橋」というからには両者(「チャガタイ語」と「現代ウイグル文章語」)は水のようなものでもって「隔てられている」という前提が必要だ。しかし実際は「チャガタイ語」が使われていた時期と現代ウイグル語が生成され使われるようになった時期は重なり合っているし、その担い手も(その移行期は)同じ人間だったわけだから、民間文学が両者をつなぐ、という理屈はもっともらしいけれども、この論文でそれは論証されたのだろうか。

つまり、この論文は啓蒙的ではあるかもしれないけれども、個人的にはやや物足りなさを感じるような論文であったように思う。まあウイグル語とは何の縁も(一見)無いような日本で、かつ出席者の大多数がそのテーマに通じているわけではない(と思われる)場でのご報告だったわけであるから、そういう場でのペーパーは「勝負を挑む」というよりは「テーマを理解してもらう」ことに重点を置かざるを得ない。すなわち、とがった学術論文と言うよりは講演原稿としてこれは読むべきなのかもしれない。

これは衷心からのお願いであるが、もしも上記の拙い感想に「それはお前の思い違いだ、読みが浅い」とご注意、ご教導いただけるならば心から幸いに思うので、ぜひ本記事のコメントの形でご指摘いただきたいと思う。とくにテュルク学研究者の方のご指摘(ご叱責)をお待ちします。


※なお、この論文は管見の及ぶ限りでは、「我が国の出版物史上おそらくはじめて(!)ラテン文字表記の「現代ウイグル語」で発表された論文」である。茶化すつもりは毛頭ないけれども、偉業というよりはむしろ「珍事」としてここに記しておきたい。いったい、誰に読ませるつもりなのだろう?著者というよりは、編者の真意を測りかねるなあ)。

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梅村坦・新免康編著『中央ユーラシアの文化と社会』

梅村坦・新免康編著『中央ユーラシアの文化と社会』(中央大学政策文化総合研究所研究叢書12)東京:中央大学出版社、2011年3月、344頁。

編者の梅村坦先生よりご恵贈いただきました(梅村先生、あと新免さん、ありがとうございます)。

中央大学は、別に「名前つながり」と言うわけでもないのでしょうが、古くは嶋崎昌嶋田襄平先生そして本書の編者先生方にいたるまで、ほぼ途切れなく中央ユーラシア史(ならびにイスラーム史)の専門家が在職され、世間的には意外かもしれませんが、わが国有数の当分野の「拠点」として、小さからぬ貢献を続けてきました。とりわけ近年は学部ではなく研究所の活動が活発と見え、自前の中央大学出版会から研究所叢書を刊行しており、本書はそのシリーズの最新の出版物(第12巻)と言うことになります。

ここのところ人文学は人気がありません。いや、昔から人文学はマイナーなのですが、近年は特にその傾向が強くなっているような印象を受けます。世間も学生もどちらかといえば直に利益に結びつきそうな社会科学あるいは理系学問(基礎研究を除く)に向かいがちで、人文学はまるで「物好きがやる手慰み」のような扱いを露骨に受ける、そうした風潮が昔よりも顕著な感じが私などはするのですね。たとえば長年人文系の研究を助成してきた某財団は、数年前に社会活動助成の方に大きく舵を切りましたし、悪名高い「首都大学東京」の誕生(東京都立大学の廃学)も同様の風潮が反映されていたのではないかと私は思います(それが「作家」の石原慎太郎の仕業であるというのが頭の痛いところです。作家だからと言って人文学に理解があるわけではないのですねえ…いや作家だからこそ「文学研究」のような学問が許せないのでしょうか)。そうした風潮のなか、こういう人文学ベースの論集を出版できるというのは実は驚くべきことでして、中央大学の人文学の健全性(平たく言って、元気があること)を本書の出版と言う一事をもってしても窺い知ることができるのではないかと思うわけです。中央大学は言うまでも無く法学の名門校ですが、人文学系も素晴らしい。外から勝手なことを言いますが、そういうことを中央大学の学生諸君が知って誇りにしていただけたらなと思います。

つい余談が過ぎました。さて、本書は次のような論文から構成されています。

第一章「アフガニスタン北部、オクサス流派の石灰岩製彫刻の研究」(田辺勝美)
第二章「ナーナク思想形成における中央アジアのインパクト」(保坂俊司)
第三章「新疆におけるスウェーデン伝道団の活動とムスリム住民」(新免康)
第四章「古代帝国に組み入れられる現代国家」(侍建宇)
第五章「パレスチナ・アラブ人によるヘブライ語小説」(細田和江)
第六章「多様化するゾロアスター教徒」(香月法子)
第七章「漢語教育に対するウイグル人の意識」(王瓊)
第八章「現代カシュガルのウイグル人鍛冶職人集団」(梅村坦)

前段でさんざん本書を持ち上げておきながら何ですが、当ブログの扱う「新疆」に関係する3論文について「のみ」(スミマセン)以下に眺めていきたく思います。

まず第三章「新疆におけるスウェーデン伝道団の活動とムスリム住民」(新免康)は、1894年から1938年にかけてカシュガル(新旧両市)、イェンギヒサル、ヤルカンドなどで伝道布教活動を展開していたスウェーデン聖約教団(Svenska missionförbundet)の、当地住民(テュルク系ムスリム、今日のウイグル人)との「接触と具体的な関係性の様相の一端」を検討した論文です。残念ながら紙数の関係で本稿では伝道団の活動の前半(1910年代)までの検討に限定されていますけれども、彼ら伝道団の活動の実態がスウェーデン語による当事者側の史料、東トルコ語、ウイグル語によるムスリム側の史料そして当時同地に駐在していた英国総領事の報告等から詳細に検討されています。構成としては「1.伝道団による拠点の確立と宣教活動」、「2.多様な活動-医療、教育、出版」そして「3.ムスリム社会にとっての伝道団」という3つのパートからなり、伝道団の成り立ちと活動の具体的内容、そして現地社会のリアクションが手際よく示されています。

詳しくはお読みいただきたいのですが、本稿に示された彼らの医療・教育・出版といった多彩な活動のインパクトはウイグル人の20世紀初頭を考える上で看過するわけにはいかぬ、との思いを強くいたした次第です。スウェーデン伝道団については、大谷探検隊やヘディンを始めとする探検家や旅行者の記録によく登場しますし、マカートニー夫人のメモワールにも彼らとの付き合いについての記事があります。彼らの存在は割によく知られてはいましたが、その活動自体に注目した研究は少なくとも日本語では知られておりませんでした。この新免論文はその欠を補う、読み応えのある一文といえるでしょう。

ただ多少勝手なことを言わせていただければ、今回の論文が上述の通りスウェーデン伝道団の活動の「前半」のみを扱ってしまったのはかなり残念です。。やはり活動の前半のみと言うのは半端な感じがありますから、ぜひとも近い将来、その活動の後半もカバーするような形でできれば一書をものしていただければと思います。そしてその際には、初期の伝道団の活動と深いかかわりを有していたエルズルム出身の改宗者Johanness (John) Avetaranian (Muhammad Shükri)にもふれていただきたく思いますし、彼らの出版活動の詳細についてもより突っ込んだ記述を期待致したいです。

第七章「漢語教育に対するウイグル人の意識-教員と大学生に対するHSK、MHKに関してのアンケート調査から」(王瓊)は、今なかなか(少なくとも私個人にとっては)ホットな話題であるウイグル人と「ことば」、特に漢語との関係について実地アンケート調査のデータに基づき検討した論文です。調査はウルムチとカシュガルの学生と教員、研修教員(大半はウイグル人)合計800名余を対象とする筆答式アンケートを実施したもので、このデータは調査時期である2008年夏時点でのウイグル人の言語状況の一端を示すものといえるでしょう。なお、調査項目は、「漢語のレヴェル」、「漢語就学年齢」、「漢語学習年数」、「HSK(漢語水平考試)とMSK(民族漢考<中国少数民族漢語水平考試)の実施状況およびそれに対する評価」、そして「漢語と漢語教育に対する意識」などからなっています。

著者の王さんが示されたアンケート調査の結果とその分析についてはやはり「ネタバレ」になってしまうので(なにしろ本書はいちおう商業出版物ですから)ここでは書きません。しかし、一定のバイアスを覚悟しなければならない(新疆の現状に照らし、アンケート、しかも半ば公式に実施された漢語によるアンケートの回答が十全に信頼の置けるデータであるかどうかは些かの不安があります)この種のアンケート結果をもってしても、ウイグル人と漢語のかかわりの前途はなお厳しいものが看取されるように私には思われました。

第八章「現代カシュガルのウイグル人鍛冶職人集団-歴史的考察への予備作業」(梅村坦)は現代カシュガルでの聞き取り調査と文献の記事に依拠して、カシュガルの鍛冶屋(tömürchi)集団の歴史(「解放」以降)と集団組織(徒弟関係)そして現状のスケッチを試みた論考です。カシュガルの職人社会は「職人街」に象徴されるように、その存在はNHK『シルクロード』をはじめ、通俗的な媒体でもカシュガルを語る際に必ずと言ってよいほど登場します。またフィールド・ワーカーも一定の関心を払い、その仕事やライフスタイルにつき一定の蓄積がありますし、近年はウイグル人自身が職人について記述した著述もいくつか登場しています。つまり一般的にも学術的にもカシュガルの職人は常に注目されてきたわけでして、本稿は、そうしたなかで歴史学研究者が時間軸を念頭に置き、かつ実地調査を踏まえて鍛冶屋のスケッチを試みている点に特徴があるといえるでしょう。

これら3篇のほかに、第四章「古代帝国に組み入れられる現代国家-帝国型国家(Empire-state)と現代中国の国家形態」(侍建宇)は現代中国を長い中国史のコンテクストの中で検討した重厚な論考で、要所要所で新疆に関する言及が散見されることを付言しておきます。

以上、新疆研究という視点からみて本書はなかなか読み応えのある論考が含まれており、オススメできる一書であるといえます。ご関心の向きはどうぞご一読ください。

最後に個人的な存念を申し上げれば、ここにご紹介した3本の論文にそろって拙文が参考文献に挙げられていたのはやや驚きました。新免論文は印刷・出版に関する科研報告書、王論文は言語政策に関するエッセイ、梅村論文は職人祈祷書(リサーラ)に関する研究ノートがそれぞれ引かれていたのですけれども、いずれもまともな学術論文の域になお達していない「開発途上」(流産?)のテーマなのですね。なんだか各著者に異口同音に「しっかりしろよ」と叱られているみたいで、つくづく「ああ~精進しなければ」と些かのプレッシャーを感じてしまった次第です。励みます。


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BOVINGDON, G. THE UYGHURS: STRANGERS IN THEIR OWN LAND.

Bovingdon, Gardner, The Uyghurs: Strangers in Their Own Land.
NEW YORK: Columbia University Press, 2010, 280p.
ISBN: 978-0-231-14758-3(paper) 978-0-231-51941-0(e-book)

著者のガードナー・ボヴィンドンさんは現在合衆国インディアナ大学で人類学を講ずる気鋭の研究者で、合衆国の新疆研究者のなかでも飛びぬけて元気のある活力あふれる好人物です。私はたとえば共同研究などの濃密なお付き合いはしていないのですが、2004年のロンドン会議で初めてお会いし、昨年のCESSトロント会議の際はトロント市内の四川料理店で大変楽しい語らいの時間を持たせてもらいました。漢語、ウイグル語ともに流暢で、また共通の(新疆の)知人もあったり、彼とお話しするのは実に楽しかったことが思い出されます。

さて、そのボヴィンドンさんのこの近著はずばり「ウイグル」を正面から捉えた著作ということができます。いわゆる「和平解放」を起点として、今日のウイグル人がいかなる扱いを受け、そして彼らが何を考え、そして行動してきたか(行動しているか)、というたいへん根本的な問いかけに、持てる手堅くもユニークな材料を動員して答えたのがこの著作ということになるでしょうか(異論は多分ないと思いますが…)。

以下は本書の目次(訳)です。拙い訳でごめんなさい:

序章
1.過去を用い現在に供す
2.他律性とそれへの不満
3.日々の抵抗:輿論上のたたかいにおけるゲリラ・アクション
4.集団行動と暴力
5.ウイグル国際組織
6.結論

ひとつだけ釘を刺しておきたいこととしては、本書はボヴィンドンさんのウイグル人たちに対する愛情に貫かれた一書だと私は思います。しかし、それは必ずしも漢民族とウイグル人を二分化してウイグル人側に与するなんてことを意味しているわけでは無いと私は思うのですね。この点を、ウイグル人のみなさんも、中国政府のお役人も分かってもらいたいものです。むしろ、本書は想像力のある中国のお役人が読んだら、新疆問題解決の糸口になるような知見がちりばめられているようにも思うんですけどね。ともあれ、多くの方、さまざまな立場の方が本書を冷静にお読みになることを願わずにはおれません。


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Ahlbert,G. HABIL: A CHRISTIAN MARTYR IN XINJIANG.

Ahlbert, Gustaf, Habil: A Christian Martyr in Xinjiang.
An English translation from Swedish by Gabriel, Malmö: Pathways Publishing, 2009, 60p.
ISBN 978-91-978199-0-9

Habil_2パリから帰ったら机の上に届いていました。
スウェーデンの友人からの贈り物です。

本書はWikipediaのGustaf Ahlbertの項に言及されていて気になっていたのですが、そのことを何気なく友人に伝えたところ、驚くべきことにその友人の御父君の友人が当の翻訳者であることが判明し、ご恵贈いただくことになったもの。偶然とは恐ろしいものです。というかこれこそ神(紙?)のお導き、なのかもしれません。

本書は20世紀初頭にカーシュガル、カーシュガル新城、イェンギヒサールそしてヤールカンドで伝道活動に従事していたスウェーデン伝道団のメンバーRev. Gustaf Ahlbert(1884-1943)がスウェーデン語で1934年に出版した小冊子の英訳本です。内容はタイトルからも推し量れますが、カシュガルで生まれた少年がやがてキリスト教に改宗し、やがてその信仰ゆえに「殉教」してしまうまでの話を淡々と描いた作品です。

著者AhlbertはGunnar Jarringによれば伝道団のなかで彼地の言語東テュルク語(つまり、今日の現代ウイグル語)および人々の風俗習慣に通暁していた人物で、伝道団が開設した印刷所(Swedish Mission Press)の事業に取り組み、聖書の翻訳や字母教本、ヒジュラ暦とグレゴリオ暦の対照カレンダー、そして書状ならびにイスラーム法廷文書の書式集の出版などを手がけた人でもあります。また1938年についに伝道団が撤収する際に立ち会った最後の3人のミッショナリのひとりでもあります。つまりスウェーデン伝道団のカシュガル地方における伝道活動を考える上で外すことの出来ない、重要人物と行っても過言ではないでしょう(他にはAvetaranianことMuhammad ShukriとかRev. Lars Erik Högberg, Rev. Gustaf Raquette, Rev. John Törnquistなどが個人的には重要だなあ、興味深いなあ、と思っています)。

さて、本書はカバー裏面(表紙とは反対側の面)に「実話(True Story)」と書いており(といっても「信仰上の真実」かもしれませんが…)、おそらく主人公の死は事実なのでしょうが、ミッショナリらしい修辞に満ちており、また主人公本人にしか知り得ないような細かなことまで踏み込んで書かれているので、基本的にはキリスト教側の聖人伝Hagiographyとして読むのがたぶん妥当で、これを根拠に主人公とそのまわりを歴史的に解明するなんてことは不可能でしょうし意味が無いと思います。

しかしながら、少なくとも外来者のミッショナリ、Ahlbertの目を通して見た当時のカーシュガルの社会像として読むならば、本書はかなり興味深い記事を多く含んでいます。例えば本書前半部分のカーシュガルの都市と住民の信仰生活に関する記述はきわめてヴィヴィッドに当時の彼地の空気を感じさせてくれますし、また主人公Habilの殉教(ヤールカンドのヘゲモニーを掌握した"Emir Abdullah"麾下の部隊による処刑)をめぐる状況の叙述は30年代の動乱を理解する新しい、やや異質なイメージを提供するものだと思います。多くは語りませんが、伝道団の目からは1930年代のムスリム反乱は時代錯誤の「蛮行」と見えたのでしょう。そういうイメージがひしひしと伝わってくる一書です。

(本書の時代背景を理解するうえでのおすすめ参考書2冊↓)
Return to Kashgar: Central Asian Memoirs in the Present (Central Asia Book Series)
Prints from Kashghar

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アブドゥレヒム・オトキュル著『足跡(Iz)』日本語版の出版

アブドゥレヒム・オトキュル著・東綾子訳『英雄たちの涙:目醒めよ、ウイグル』東京:有限会社まどか出版、2009年8月、397頁。

最近の新疆情勢が後押ししたのか、何とオトキュルの代表作Iz(足跡)の和訳が出版されました。本書は20世紀初頭にコムル(ハミ)王の圧政に反旗を翻したトムゥル・ハリーファ(Tömür Xelipe, 本書での表記はティムル・カリフ)の活躍と悲劇的な死を活写した作品で、20世紀ウイグル文学の代表的なものとしてウイグル社会内外で高い評価を受けています。この作品が日本語で読めることになったのは画期的であり、翻訳者の偉業をまずは称えたく思います。

翻訳者の東綾子さんについては私、不明にして存じ上げませんけれども、本書の奥付によれば1947年生まれで大学でトルコ語を学び、トルコでウイグル人と知り合い、ウイグル語を学んだ方とのことです。いちいち原著との対照をしたわけではありませんが、訳文はとても格調高く、すらすらと読み進めることができます。むろん原著のウイグル語が明晰なのは当然ながら、それを正確に読み解き、文学として読み味わえる日本語に仕立て上げている翻訳者の力量は相当なものだとお見受けいたしました。肩書きは翻訳家と言うことですが、このお名前では他の訳書はないようですね。

本書は著者自身が前書きで書いているように、まずもって英雄トムゥル・ハリーファの「どのような嵐にも耐え、子子孫孫まで残る、白い紙、黒い墨で造られる墓碑」(p.14)として書かれたものだということができるでしょう。そこに描かれるのは、旧体制の下でコムルの王や役人の横暴にひたすら虐げられるコムル民衆の姿であり、堪忍袋の緒が切れてついに武器を取った木こりのトムゥルをはじめとする人々の活躍であり、折々にちらりと登場する時代の空気や人々の生活です。

さて、本書の帯には「「中国の火薬庫・新疆ウイグル」は、なぜ独立を求め続けるのか?その原点を描いた壮大な歴史小説」と書かれています。確かにそういう捉え方も可能かもしれませんが、もしもまだ読んでいない人が本書をストレートに「中国に対する独立運動が描かれた小説」だと考えていらっしゃるとしたら、それは間違いです。本書はウイグル人の横暴な「王(マフスート・ワン)」とその手下たちの悪行の数々、その下で虐げられやがて抵抗へと立ち上がっていくコムルの民衆に関する記述にその大半が費やされています。つまりこの物語の善玉も悪玉も多くがウイグル人。確かに極悪な「漢族」や「回族」も登場しないわけではないのですが、その記述は多くはありません。主眼はあくまで不当な圧政の下で虐げられ、やがて抵抗に立ちあがっていく「人間」の姿を描くことに置かれているのであって、「宗教」や「民族」といった対立軸はここでは前面には出てこないのです(まあ当たり前と言えば当たり前。本書は曲がりなりにも新疆当局の検閲を受けて出版されているのですから。共産党員林基路はお約束でしょうが善玉で登場しますしね)。その点は一言申し添えておきたく思います。

本書が文学として将来普遍的な評価を獲得できるかどうかは私には分かりませんが、新疆の空気や風景、人々の息遣いを彷彿とさせる著者(と翻訳者)の筆致は見事であり、本書が新疆と言う一地域を肌で理解することのできる「稀有の価値」を有していることは疑い無いと思います。私も新疆と関わり始めて20年以上になりますけれども、本書で描かれる情景はいちいち個人的な体験と共鳴するようなところがあって、大変懐かしい、奇妙だけれども快い感覚を覚えたことを読後感として告白しておきます。


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森本一夫(編著)『ペルシア語が結んだ世界』

森本一夫[編著]『ペルシア語が結んだ世界-もう一つのユーラシア史』(スラブ・ユーラシア叢書) 札幌:北海道大学出版会、2009年6月、252頁

執筆者のおひとり近藤信彰さんから拝領いたしました(近藤さん、どうもありがとうございました)。本書の出版を知り、ぜひ入手して読みたく思っていたところでタイムリーにご恵贈を受け、大変嬉しく思っております。

本書は要するにペルシア語オリエンテッドで歴史を考えようという、業界的にはまあ常識的ではありながら、世間的には十全に受け入れられているとは言い難い視点から編まれた論集です。ペルシア語はイランの言葉だと簡単にくくられがち(いや、そもそもペルシャ語とイランが結びつかない人も結構多いかも)です。しかし実際はタジキスタンやアフガニスタンでも公用語として用いられており、歴史的にはもっと広い領域で使用されていた言語でした。いささかステレオタイプな言い回しを用いるならば、ペルシア語はイスラーム世界においてはなんと言っても文学(そして意外に外交でも)一定のプレゼンスを持ち広く用いられた「フランス語」のような立場の言葉だと言えば、あるいはお分かりいただける方もいらっしゃるでしょうか。本書ではそういう文化的・歴史的な枠組みに「ペルシア語文化圏」という名称を設定し、8名の執筆者がそれぞれの視点からこの枠組みを検討しています。

以下、本書の内容を示します:

序章 物を書くことから見たペルシア語文化圏:その面的把握をこえて (森本一夫)
第1部 文献ジャンルから見たペルシア語文化圏
第1章 ペルシア語詩人伝の系譜:韻文学の隆盛と伝播 (近藤信彰)
第2章 ペルシア語文化圏におけるスーフィー文献著述言語の変遷とその意義 (矢島洋一)
第3章 イスラーム法とペルシア語:近現代西トルキスタンの法曹界 (磯貝健一)
第2部 地域から見たペルシア語文化圏
第4章 中央アジアにおけるテュルク語文学の発展とペルシア語 (菅原睦)
第5章 18世紀クリミアのオスマン語史書『諸情報の要諦』における歴史叙述:ペルシア語文献からの影響を中心に (川口琢司)
第6章 清代の中国ムスリムにおけるペルシア語文化受容 (中西竜也)
第7章 南アジア史におけるペルシア語文化の諸相

個別の紹介はここでは長くなるので省略します。どれも面白い内容ですのでお勧めです。

東トルキスタン(現在の新疆の南半)においてもかつてペルシア語は文章語として使用されており、18世紀ごろまでの著作や一部の文書史料はペルシア語で書かれたものが今に伝わっています。これがテュルク語、いわゆるチャガタイ語に転換していくのがたしか18世紀中葉で、おそらくこのころからペルシア語を読めない(テュルク語しか解さない)読者層が登場してきたのであろうと言われています(濱田正美「19世紀ウイグル歴史文献序説」『東方學報』55-4, pp.359-360)。私は19世紀~20世紀あたりの文献をよく漁っていますが、宗教文献や文学作品などは比較的近代になってもペルシア語文献は新疆ではよく読まれていた形跡がありますし、イスラーム法廷でムフティーが出すファトワー(法的意見)はおおむねペルシア語で書かれていたようです。また19世紀末にコーカンドから到来したヤークーブ・ベグ政権は西トルキスタン出身者の政権だけあってペルシア語色もなかなか強く、アブド・アッラー・パーンサドの『新史Tarikh-i sighari』はペルシア語で書かれています(厳密には著者は目が見えなかったので口述?)し、外交文書はペルシア語ではなかったでしたっけ(今やうろ覚え)。ともあれ、新疆にあってもペルシア語は結構なプレゼンスを有していたということができるでしょう。

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ユ、ボルジギン編著『境界に生きるモンゴル世界』

ユ・ヒョヂョン、ボルギジン・ブレンサイン編著『境界に生きるモンゴル世界-20世紀における民族と国家』 東京:八月書館、2009年3月、436頁

執筆者のおひとり、テグスさんのご高配でご恵贈いただきました。
(テグスさん、ありがとうございます)

テグスさんは一昨年実施された現代ウイグル語研修に研修生として参加なさり、それ以来のお付き合いです。言語政策がご専門で、ウイグルの文字改革にも並々ならぬご興味をお持ちでしたが、このたびこのような立派な論集にご論稿が掲載され、研究成果の公刊を果たされたのは、まさにご同慶の至りです。と、同時にこれまであまり勉強してこなかったモンゴル事情につき、勉強の機会をご提供いただいたことに深く感謝申し上げたいです。

例によって以下に目次を示します:

「境界」に生きる「モンゴル世界」-本書の射程と構成(ユ・ヒョヂョン)
第1部:見える境界と見えざる境界
 [第1章]中国東北三省のモンゴル人世界(ボルギジン・ブレンサイン)
 [第2章]ダウールはモンゴル族か否か-1950年代中国における「民族識別」と「区域自治」の政治学(ユ・ヒョヂョン)
第2部:境界、境界越えへのまなざしと思い
 [第3章]「境界」を行き交う民族の思いと大国の思惑-1920年代前半の「モンゴル世界」とソヴィエト、コミンテルン(青木雅浩)
 [第4章]統一文字への夢-1950年代中国におけるモンゴル語のキリル文字化運動(テグス)
第3部:特論
 [特論1]内モンゴル文字管窺-リグデン文学から覗く内モンゴルの文学と生活(佐治俊彦)
 [特論2]日本における「東洋史」の成立とモンゴル(松枝到)
感謝のことば(ユ・ヒョヂョン)
索引

なにしろ本日落手し、この本をまだ全然読んでいないので、現時点で私は本書につき何も語ることができません。ただウイグル人の20世紀を考察するうえで、いわばお隣のモンゴル人の20世紀を取り上げた本書の内容は大いに参考になることでしょう。どうも現代新疆研究は(国内外ともに、そして私も!)他者との比較という視点が弱く、新疆(あるいはウイグル人)のことばかりやれば足れりといった観が無いでもないのですが、同じ中国を構成する「少数民族」として、さまざまな面でモンゴル(とりわけ内モンゴル)の経験は、ウイグル人の現在の状況のどのくらいまでが中国プロパーの施策によるものか、そしてどのくらいからがウイグル人狙い打ち、というか新疆独自の施策の結果なのかを洗い出す上で重要な示唆を与えてくれるでしょう。


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Onuma, T., 250 YEARS HISTORY OF THE TURKIC-MUSLIM CAMP IN BEIJING

Onuma Takahiro, 250 Years hitory of the Turkic-Muslim Camp in Beijing. (TIAS Central Eurasian Research Series No.2) Tokyo: TIAS, The University of Tokyo, n.d., 67p.

著者の小沼孝博さん(学習院大学)よりご恵贈いただきました。
(小沼さん、どうもありがとうございます)


まず以下に目次(の私なりのルースな和訳)を示します:

前書きと謝辞
1.(乾隆帝建立)敇建回人禮拝寺碑記解題
  テクスト:漢文、満文、蒙古文、テュルキー文
  翻訳
2.北京の回子営:1760-1950
  回子営の設立
  北京における清政府とテュルク系ムスリム
  回子営の変化
終章:回憶・東安福胡同
グロッサリ
文献目録

本書は北京の「回子営」(清代乾隆期ごろより北京に営まれた回部のトルコ系ムスリム-つまり今日の新疆ウイグル人-の居留地)の現代までの250年を追った大変面白い研究です。これまで北京に「散居」する現代ウイグル人について研究したものはいくつか発表されています(たとえばこれ)。しかし、小沼さんのこの研究ほど周到に、歴史的に北京のウイグル人の歴史を綴った研究はなく、これは新疆史(というよりはウイグル史、でしょうか)に対する小さからぬ貢献といえるでしょう。

私も小村不二男の『日本イスラーム史』(1988)やMillwardの研究をはじめとする香妃関係の諸研究を通じて、回子営はかなり気になっていた物件でした。北京へ行くたびに国務院の向かいのあたりをうろうろしたりもしましたが、小沼さんほどの語学力も気力も体力もなく、はかばかしい成果は得られませんでした。小沼さんのこのご高著は18世紀の回部征服に伴う北京回子営の成立から清朝期の在京回子の状況、そして民国期の変動からさらに現代の回子の子孫たちのメモワールにいたるまで持ち前の的確な筆致で描かれており、回子営の明快な歴史的イメージを与えてくれます。一読者として本書の刊行と、拝読の機会を得たことを心より喜びたく思います。

余談ながら、小沼さんにはこの勢いで同じく北京にあった哈密館(清朝期~民国期に北京西単付近にあった哈密王の在京弁事処)をより詳しく明らかにしてもらいたいのですが、それは過大な願望でありましょうか。


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