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書評『イスラーム 書物の歴史』


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付記 この書評は、先般『イスラム世界』82号に掲載された拙稿の元原稿を若干短縮、整形し掲載するものである。ここでは、いつも私が常套としてきた(書評としてはまあありきたりの)「持ち上げてちょっぴり落とす」式の書き方を取らず、のっけから辛口の批判を書き連ねる「落としてから、持ち上げる」式の書き方を取った。別に明確な意図があるわけではなく、いつもとは別のやり方を試してみただけのことである。

ただ、今にして思えば、こういう順番で書いたことによって、批判部分だけ読んでそのあとのフォロー部分を読まずに気を悪くなさる関係者の方がいらっしゃるかもしれない。その筋の方には、どうか最後までお読みいただき、ご寛恕を請いたい。

書評:小杉泰・林佳世子編『イスラーム 書物の歴史』(名古屋大学出版会、2014年6月20日刊、453頁)


「これを知らずして書物を語るなかれ」という実に挑戦的な帯書きがまず目を引く本書は、これまで我が国の読者にまったくと言ってよいほど馴染みのなかったイスラーム世界の「書物」を真正面から扱った論集である。一般的に本の帯に示される惹句は、販売戦略のなか出版社サイドで作成されることも多かろうから、これが本書の編者や執筆者の側からひねりだされた言葉とは考えにくいかもしれない。しかし、西欧のグーテンベルク以降の印刷本に記述が偏りがちであった従来の「書物の歴史」の語られ方に照らすならば、この惹句は本書の目指すところ、あるいは編者の「心意気」を直截に示した、あるいは読み取った言葉として実に分かりやすく、本書の性格を簡潔に言い表していると言えるだろう。

本稿では、まず粗略ではあるが本書の内容を、多少個別的に評者のコメントを交えつつ紹介し、次いで総合的な評価を試みることとしたい。


1. 本書の内容

まず本書の目次を示す。各章の題名に続け、執筆者名は括弧内で示すこととする。

はじめに 光は東方から-文字と書物の水脈(小杉泰)

第Ⅰ部 イスラーム文明と書物文化の隆盛
第1章 イスラームの誕生と聖典クルアーン(小杉泰)
第2章 製紙法の伝播とバグダード紙市場の繁栄(清水和裕)
第3章 アラビア語正書法の成立(竹田敏之)
第4章 写本クルアーンの世界(小杉麻李亜)
第5章 イブン・ナディームの 『目録』(清水和裕)
第6章 アラビア文字文化圏の広がりと写本文化(東長靖)

第Ⅱ部 華麗なる写本の世界
第1章 書物の形と制作技術(後藤裕加子)
第2章 アラビア書道の流派と書家たち(竹田敏之)
第3章 書物挿絵の美術(ヤマンラール水野美奈子)
第4章 イスラーム科学の写本(山本啓二)
第5章 アラブの歴史書と歴史家 — マムルーク朝時代を中心に(中町信孝)
第6章 神秘家たちの修行と書物(東長靖)
第7章 サファヴィー朝のペルシア語写本(後藤裕加子)
第8章 オスマン朝の写本文化(小笠原弘幸)
第9章 オスマン朝社会における本(林佳世子)
第10章 ムガル朝インドの写本と絵画(真下裕之)

第Ⅲ部 現代から未来へ— 写本・印刷本・デジタル本
第1章 イスラーム写本の流通と保存(三浦徹)
第2章 写本研究の愉しみ (1)— アラブ史の現場から(大稔哲也)
第3章 写本研究の愉しみ (2)— オスマン朝史の現場から(永田雄三)
第4章 イスラーム世界と活版印刷(林佳世子)
第5章 聖典の刊本とデジタル化(小杉麻李亜)
第6章 デジタル時代の古典復興— アラビア語メディアを中心に(小杉泰)


以上の通り本書は3部22章からなり、全体の構成としては、第Ⅰ部にイスラームと書物の関わり合いに関する原初的な問題やアラビア文字の世界的拡散のような包括的なテーマ、第Ⅱ部に個別具体的なテーマに関する写本文化の諸相を提示し、第Ⅲ部では現代における写本の保管、研究状況ならびにその後継技術を扱った論文と、専門研究者の写本研究の体験をつづったエッセイ2編を配置している。必ずしも「通史」を意識した構成をとらずにそれぞれ独立したトピックを扱った章(論稿)に、ゆるやかなまとまりをもたせた構成をとっている。各章のタイトルを一瞥すれば明らかなように、本書が主にターゲットとしている「書物」は基本的に「手書き写本」(手稿本)であり、活版印刷術導入以降の印刷本(刊本)が全体的な構成のなかで占める割合は小さい。


はじめに 光は東方から-文字と書物の水脈

編者のひとり小杉泰による序章(はじめに)では、まず本書を編むにあたっての前提となる問題の所在として、従来の「書物の歴史」が西欧の活版印刷発明以降のことに偏りがちだと指摘する。より巨視的に見れば、西欧の印刷革命に先行する形でイスラーム世界では早くから写本市場が成立しており、「多品種少量生産」を特徴とする写本文化によって「効率的」に「知の伝達」がなされていた。それゆえ8世紀から18世紀まで続いたイスラーム世界の写本文化(および中国の活版印刷文化)を含む形での「グローバル」な書物の歴史の読み直しが必要だ、というのがここでの小杉の主張である。本書はそうした問題意識を受け、さらに書物の「デジタル化」という「大きな画期」の変化も見据えつつ、「書物の歴史を編みなおすことを、少なくともその重要な一翼を担うこと」をめざすとする。

 
第Ⅰ部 イスラーム文明と書物文化の隆盛

 まず冒頭の第1章(小杉泰)は、「イスラームとアラビア文字が育んだ書物文化の出発点」として、「最初の書物」であるクルアーンの成立(結集)をめぐる背景とその成立プロセスを詳述した論稿である。7世紀のイスラームの誕生につづく聖典クルアーンの成立の背景として、古代オリエント、地中海世界の文化的な「伏流」に価値を見る点が目を引く。第2章(清水和裕)はイスラーム世界の写本文化の発展を担保した紙の伝播と流通の問題を扱う。前半はブルーム(J.M.Bloom)の先行研究を軸として、製紙法の伝搬に関する「タラス河畔の戦い伝播説」への批判を詳しく紹介しつつも、紙の伝播の問題としてはそれは核心ではなく、「中国とつながった中央アジアをイスラーム王朝が支配下に置いたことによって、イスラーム世界に伝播したという事実」の重要性を改めて強調する。後半は製紙法のイスラーム世界伝播後に、写本の書写、売買などを一手に担ったワッラークと呼ばれる専門家たちの活動を紹介する。第3章(竹田敏之)は聖典クルアーンの成立とともに整備されていったアラビア語正書法に関する論稿である。具体的には、初期のドゥアリー等による母音記号(ナクト)の考案と導入、アッバース朝期のハリールの新たな母音記号(シャクル)の変革、さらにクルアーン(ウスマーン版)の綴り(ラスム)と並行して発展していった類推型正書法(キヤースィー)等の問題を扱う。第4章(小杉麻李亜)はクルアーンの正典であるウスマーン版の成立から、「朗誦性の再現と美的水準を兼ね備えた写本」の出現を見たイル・ハン朝期までのクルアーン写本の発展史を辿った論稿。書記の文字であるナスフ体によるクルアーン写本の成立に、その原初より朗誦性が重要な要素を占めていたクルアーン写本の「視覚的な芸術性」への変貌の画期を見る点は注目される。この小杉論文とその前に配置された竹田論文を併せ読むことにより、イスラームの発展と歩調を合わせるようにアラビア文字文化が絶え間なく革新と発展を遂げていった過程が了解され、実に「読ませる」内容となっている点は高く評価すべきである。つづく第5章(清水和裕)は10世紀のバグダードで活動したワッラークであるイブン・ナディームが著した浩瀚な『目録』の全容を紹介し、9-10世紀バグダードの「写本出版文化の圧倒的な規模」の提示を試みたものである。『目録』の目次に沿う形での当時の「イスラーム社会の知」の体系を窺うとともに、『目録』から知りうる『アラビアン・ナイト』や「知恵の館」の「歴史情報』の提示を試みている。そして第6章(東長靖)はイスラームの拡大とともに広範な拡張を見せたアラビア文字につき、イスラームを受容したイラン、テュルク、インドほか各言語文化の受容にかかる諸事情を素描するとともに、一般的なアラビア文字写本のスタイルにつき付言する。本章の記事は新ウイグル語の音素に関する記述に誤りがある点がいささか気になる。


第Ⅱ部 華麗なる写本の世界

第1章(後藤裕加子)はアラビア文字写本の製本技術が「頂点を極めた」とする15世紀のティムール朝時代のペルシア語文化圏の写本につき、モノとしての写本の構造とその制作ならびに装丁技術を中心に据えた論稿である。前代のビザンツ帝国期の製本技術を引き継ぎ、中央アジアや中国の要素が装丁技術に反映され一つの完成を見ることとなった写本制作技術の発展プロセス、さらにそうした発展を担保した職人および工房の時代ごとの変遷等の諸点は、ヨーロッパや東アジア世界の同様の事例と比べるうえで興味深かろう。第2章(竹田敏之)は、アラビア文字の主要な書体の開発と書道の流派、著名書家たちの活動等からなる「書道文化」を、その勃興(アッバース朝期)から活版印刷普及期(オスマン朝後期)まで通史的に眺めた論稿。その要を得た記述は、「イスラーム書道」ならびにアラビア文字書体全体の見取り図を把握するために大変役立つ。第3章(ヤマンラール水野美奈子)は写本文化における挿画の問題を扱い、前提としてのイスラーム世界における絵画の文化的位置づけの問題につづいて、挿画の二つのジャンルであるタズヒーブ(文様絵画)と具象絵画につきそれぞれ解説を加えている。第4章(山本啓二)はイスラーム科学、すなわち「8世紀から15世紀頃にかけてイスラーム圏で行われた科学的営み」のなかで制作され読まれた写本類を主として書誌的な視点から紹介した包括的な論稿。さまざまなジャンルからなるアラビア語写本のなか、科学関連の写本類の内訳や現下の保管状況がコンパクトにまとめられている。第5章(中町信孝)は主としてマムルーク朝時代に編まれた膨大な数の歴史書(historiography)につき、複雑な引用関係、各著作の生成過程、歴史家たち相互の情報伝達、等の諸点から窺われる「歴史家の知的実践の痕跡」の問題を扱う。文献学の奥深さを思い知らされる重厚な論稿である。第6章(東長靖)は「修行論・霊魂論を中心にスーフィーたちが書物として遺した説」を解説した論稿。スーフィズムの理論と実践の問題が、それぞれ拠り所となる古典的な書物と関連付けられた形で簡潔にまとめられている。第7章(後藤裕加子)は「挿絵入りペルシア語写本」に関する論稿。従来補助的な「情報提供媒体」であった挿画がイル・ハン朝期に次第に重要度を増し「芸術」に転換を見せ、やがてジャラーイル朝、ティムール朝を経てサファヴィー朝で「一つの頂点」を迎えるまでの主要作品を丹念に追う。第8章(小笠原弘幸)は主としてパトロンとしての宮廷とのかかわりを軸に、オスマン朝期の「豪華写本」の文化を通史的に捉え示した論稿である。宮廷専属の文人「王書詠み」という担い手を得て発展を見せた写本文化が、ムラト3世の治世に至って「精髄」とされる浩瀚な歴史書や豪華写本を生み出し、やがて17世紀の「写本文化の転換」を経て修史官年代記へとつながっていくまでを手堅く記述する。一方第9章(林佳世子)はさきの第8章とは対照的に、オスマン朝期の街場レヴェル-オスマン朝臣民の社会における「普通の本」のあり方と書誌を包括的に展望した論稿である。当時の本屋の風景に始まり、マドラサ、個人そして図書館の蔵書の所蔵状況と内訳、教科書から窺われる当時のカリキュラム、およびアラビア語文法、論理学、修辞学、神学、イスラーム法学、伝承学、クルアーン解釈学など当時読まれていた各学科別の主要文献にまで話が及ぶ。第10章(真下裕之)はインドにおけるイスラーム写本ならびに絵画の大まかな流れを踏まえたうえで、現存するムガル朝期の写本ならびに絵画から窺いうる、当事者たちがそれら「文物に刻み込んだ働きかけ」の問題を検討した論稿。具体的にはデリー・スルタン朝期からムガル朝のアウラングゼーブまでの時代を中心とする写本と絵画の歴史を通覧し、ついでジョン・ホプキンズ大学所蔵写本『勝利の書』と大英博物館所蔵絵画『フマーユーンの園遊会』それぞれの書き込み、印章、そして改変などの諸要素から、そうした当事者たちの「働きかけ』の背後にある歴史認識を読み取る。


第Ⅲ部 現代から未来へ— 写本・印刷本・デジタル本

第1章(三浦徹)はアラビア文字写本の書誌を中心に据えた論稿。イスラーム写本の現在の国際的な収書状況と、アラブ世界での一般的な写本の作成から流通にいたる諸事例、そして写本の目録編纂のうえで必要となる情報項目の問題などを扱う。つづく第2章(大稔哲也)、第3章(永田雄三)は、それぞれエジプトとトルコを主たるフィールドとする著者が、各地域の写本史料の所蔵、利用事情を紹介するとともに、それぞれの切り口から写本研究の実際を紹介した論稿である。まず大稔はエジプト史の立場から参詣書写本研究の実際に加えて、日本における写本のおおまかな利用・研究状況などを示す。つづく永田は自身がトルコで行ったオスマン朝期文書史料(政府文書ならびにイスラーム法廷文書)の調査・研究活動の体験をつづる。この分野の最前線を走る研究者の調査研究の手続きがこのように具体的に提示されることは大変まれであり、とりわけ同学の読者には学ぶところが大きいであろう。第4章(林佳世子)は「近代」への適応の結果として本格的な登場を見た、活版印刷術を用いたイスラーム書物に関する専論である。欧州、マイノリティ社会そしてイスタンブルにおけるミュテフェッリカの「印刷の館」操業(18世紀)に至る初期のアラビア文字活版印刷の展開につづけて、エジプト、トルコ、イランで開設された官営印刷所の出版活動を経て、19世紀後半には中東世界に石版(リトグラフ)ついで活版の印刷が定着していくまでの過程を追うとともに、従来の写本文化との関係を字体、奥付、新記号の3点につき検討する。第5章(小杉麻李亜)は20世紀初頭に本格的に登場した聖典クルアーンの刊本につき、現代までの流れを通史的に概観した論稿。補足的に1980年代以降のデジタル化や1990年代以降のオンライン化にも言及している。最後に第6章(小杉泰)は写本時代以降のアラビア語圏の活版印刷の状況を概観するとともに、つづく「デジタル時代」におけるコンピュータ上のアラビア文字処理事情、タイポグラフィそしてクルアーン、ハディースなど古典コンテンツのデジタル・メディアへの移植に係る諸事情を紹介する。

本書の評価

本書の読者の多くは、まず本書の目次をひらいて、おそらく狐につままれたような感覚を覚えるのではないだろうか。「書物の歴史」とは言いながら、その大半の内容は一般に人がイメージするような「出版物」ではなく、手書きの写本に関するものだからである。もとよりそれは本書の著者たち、わけても編者の意図するところであったろう。そうした書物=印刷本というものの見方は、電子本が登場し、移行が進められつつあるとされる現代ではもはや通用しなくなってきているし、イスラーム世界では、西欧の数百年の印刷本の歴史に先行し、かつ併走する形で高密度の写本文化が存在していたからである。そうした読者の「常識」を覆し、写本に正当な位置を付与しようとする編者たちの意図は確かにすぐれて正当なものである。

 しかし、その意図が真っ当なものだとしても、本書は率直に言って通読するのにかなりの根気を必要とする一書である。まず「歴史」とはいっても本書は通史としての体裁をとっていない。各章の記述の端々に他の章へ誘導する文言が盛り込まれるなど、論稿相互に関連性をもたせようとする、それなりの工夫の跡は確かに窺えなくはない。しかし各章のテーマ、文体、書式はばらばらであり、各章の論稿の中には本書の趣旨をあまり汲み取っていないのではないかと思われるようなものも (ごく限られるとはいえ)目につく。読者が本書から「イスラーム 書物(実は概ね写本)の歴史」を一続きの流れとして読み取っていくのは簡単ではなかろう。たしかにいくつものテーマの論稿が並び立つさまは見ようによっては壮観であり、にぎやかで贅沢なつくりではある。しかし本書ではそれら個別のテーマがそれぞれどういう関係を有し、大きな歴史の流れを形作っていたかという点が実に見えにくいのである。編者の「水脈」という言葉を用いるならば、ここに示された写本文化の「水脈」はそれぞれどのようにつながっていて、どんな大河へ注ぎ込んでいると言うのか。通史的な記事として成功しているのは聖典クルアーンの歴史、正書法から書体(書道)、デジタル化までのアラビア文字の歴史ぐらいであろう。他のトピックに関しては、読者は各章の内容に個別的に興味関心を掻き立てられることはあっても、それが結局歴史的にどう今につながっていくのか、流れの中に位置づけるようなチャンネルが開けられておらず、いちいち消化不良を覚えるのではないかと懸念する。つまりこのままでは本書の内容の大半は論稿の羅列ないしはパッチワークにすぎぬといわれても仕方がないのではないか。編者はこの点、いますこし編者としての権限を駆使してreader friendlinessに意を用いるべきではなかっただろうか。

以上のような一書としてのまとまりの問題のほかに、本書は「イスラームの書物」を、その対象を写本に限ったにしても、必ずしも包括的に扱ってはおらず、その収録情報には不備も少なくないという点も指摘しておくべきであろう。この不備は主として書物のジャンル、そして書物が生産された地域の2点に関するものである。

まずジャンルとしては、まず聖典クルアーンについて、通史的な読み方が可能な例外的な要素として評価できるものの、そのほかの言語への移植、すなわちタフスィールの広がりについて網羅的な記述がないのはいかにも残念である。これは仏典やキリスト教の聖書の翻訳へのそれぞれの分野での扱われ方を見れば、この問題の重要性は明らかであろう。クルアーンばかりではない。「イスラーム圏の書物」全般につき、翻訳の問題は避けては通れない文化史上の大きな問題ではなかろうか。聖典以外にも、たとえば清水が第Ⅰ章5節(以下Ⅰ-5のように略記)において示したナディームの『目録』の構成(88-89頁)を見ただけでも、本書で示しえた「書物」のジャンルが極めて限定的であることは明らかである。

つぎに本書で扱われた地域について言えば、中東世界、とくにアラビア語圏が最重要の地域として優先的に扱われるのは当然としても、イランはほぼ美術史のみが扱われ、より広域のペルシア語圏の写本文化-これには中央アジア、アフガニスタン、インドそして中国も射程に入ってくる-について本書で知るところがほとんど無いのはどういうことだろうか。さらに現在では世界最大のムスリム国家インドネシアを有する東南アジア~海洋アジア世界につき一言半句もないのは納得がいかない。ついでに言えば評者の専門である中国領中央アジア(東トルキスタン)についても、まるで書物は存在しないかのごとき扱いである。

さらに、従来の印刷本中心の書物の歴史との違いを明示的にし、写本文化を前面に示すための措置とはいえ、イスラーム圏の印刷本についての記事が著しく少ない点は、やはりアンフェアではないだろうか。現在イスラーム圏の文化に接する人はひとしく印刷本を通じて文化を摂取している。本書の執筆者にしてもコアな研究史料として写本を読むとはいえ、膨大な印刷本の世話になっていない研究者は一人もいないのである。そもそも当の本書にしても、いくら編者がデジタル化の時代の到来を声高に唱えようとも、昔ながらの印刷媒体により発行されているという現実を見るべきであろう。そういう現実に目を向けずに、いささか偏りのあるアラビア文字印刷本の概説的な記事につづけて、一足飛びにデジタル化へと話題が及ぶのは明らかに飛躍である。小杉はあとがきにおいて「印刷物を取り巻く環境」の大きな変化に際し、「デジタル化以前・以後」を生きた世代の証言を残そうという意図を明らかにしている。さればこそ、その「証言」はむしろ将来は失われていくであろう、執筆者たちの実体験を踏まえたアラビア文字印刷本と人間の付き合い方に関するものになるのではないか、と評者などは考える。まだ活字を拾っていた時代からオフセット印刷が導入されるまでの印刷工房や、書物の制作過程、そしてインターネットでの売買が導入される以前の書物の流通、街角の書肆での読者たちの書物の探索と購入をめぐる問題など、むしろ失われゆく貴重な証言は印刷本をめぐることの方にある。技術的なコンピュータへのアラビア文字の移植の問題などは、そうした現下失われつつある問題に比べれば、あまり大きな意味を持たないのではないだろうか。

第Ⅲ部に配置された論稿のいくつかは、研究者にとってはありがたくても、書物の内容の統一性という見地からはやはり違和感がありはしないだろうか。写本の収書状況、研究者の体験記、さらには文字文化のデジタル化をめぐる個人的な体験談などは、いわば研究論文ないしは歴史記述の「バックステージ」の話である。これがシリーズものの論集ならば、それに挿入される『月報』のようなものに掲載されるべき筋の文章ということになる。例えば本書の後半に一括して別格の扱いで掲載されるべきであって、少なくとも「歴史」を「記述」した『イスラーム 書物の歴史』の本編に置くべきものではないだろう。

最後に、索引について、人名と書名の索引だけで、地名やとりわけ事項索引がないのは明らかに不便であり、改善を要する点であることを指摘しておきたい。いったい、本書の内容につき人名と書名だけをピンポイントで拾い読みするような読者はどれほどいるのだろう。それを意味なしとはしないものの、専門研究者、一般読者の別なく、目次に加えて一定のキーワードを手掛かりに横断的に本書の内容を眺められる事項索引があれば、本書の利便性はかなり増すはずである。


* * *

以上、僭越ではあるがいささか辛口の評価を書き連ねた。そのいくつかは要するに本書が完璧ではないことを勝手に咎めだてる、評者の手前勝手な「ないものねだり」の如きものであって、編者や、特に執筆者諸氏に本質的な反省を促す筋のものではない。この点は了とされたい。評者は一人の研究者の末席にある者として、本書をむしろ高く評価しているのである。

本書の最大の意義は、すでに冒頭で述べた通り、これまで読者が読み知ることが難しかったイスラーム圏の写本文化の歴史に関する論稿をひとまとめにした一書である、という点にある。本書を通じて読者は人類の書物の歴史のなかに燦然と輝くイスラーム圏の写本の存在をしかと認識させられることであろう。

より具体的には、まず写本文化の発展を担保した諸要素として製紙法の伝播(Ⅰ-2)、アラビア文字(ならびに書体:Ⅰ-3; Ⅰ-6; Ⅱ-2; Ⅲ-6)、中核的な書物としての聖典(Ⅰ-1; Ⅰ-4; Ⅲ-5)、製本・装丁技術(Ⅱ-1)そして挿画芸術(Ⅱ-3; Ⅱ-7)等の諸点につき、まとまった記述が日本語でここに提示されたことの意義は実に大きい。これら諸点は西欧や東アジアとも直接対照可能な要素であり、本書の登場は編者がねらいとしたように、より大きな視点からの書物の歴史の読み直しへの道を拓くこととなろう。

またそれ以外の写本文化(ならびにその継承文化)の諸相を扱った論稿の数々(Ⅰ-5; Ⅱ-4; Ⅱ-5;Ⅱ-6;Ⅱ-8;Ⅱ-9;Ⅱ-10; Ⅲ-4)は各々独自の価値があり(必要なコメントはさきに各章の紹介部分で示した通りである)一括してその価値を述べるのは難しい。しかし、雑駁な言い方ではあるが、いずれも「イスラームの書物」の奥深さを十分に示しえた価値ある内容であると言える。

さらに写本そのものというよりは写本を研究者がどう利用するか、あるいはどう利用したかという、書誌の総合やその利用に関する論稿(Ⅲ-1; Ⅲ-2; Ⅲ-3)は、読者が他の論稿とは全く別の角度からイスラーム圏の写本文化を眺める機会を提供している。この3編は読者、わけてもこれから写本を読もうと志す若き学徒には、写本研究の魅力と手立てを明瞭に示す一種の指南書としてこのうえなく有益だろう。

以上の点を踏まえて、評者もまた本文冒頭の惹句を復唱したい。まことに「これを知らずして」人類史における書物は語れないのだから。


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