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第13回中央アジア古文書研究セミナー

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2日目の会場。思えば中央アジア文書の講読に毎年これだけの人が集まるというのも、凄い。これ13年も続けているのですよ!?


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第13回中央アジア古文書研究セミナー
日時:2015年3月21日(土);3月22日(日)
会場:京都外国語大学国際交流会館4階会議室(No.941)

【プログラム】
第1日目:3月21日(土)―古文書講読・講演
趣旨説明(堀川)、参加者自己紹介
菅原純「カーディ文書を中心とする新疆テュルク語民間文書:概説と講読」
Baki Tezcan "The Portrait of the Preacher as a Young Man: The Education and Early Career of Kadizade Mehmed"

第2日目:3月22日(日)―古文書講読
矢島洋一「近世・近代西トルキスタンの合法売買文書」
磯貝健一「19世紀ブハラ・アミール国の訴状とその背面文書(または「判決文」)」
総合討論

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このセミナーも13回目。今回はなんと私が初日のトップバッターとして「新疆文書」につきお話しする機会を頂戴し、文書講読もあわせ行うこととなった。「門前の小僧」としてこの会に参加すること10余年。ここに至り「耳学問」の成果を開陳する、というよりは「不出来な受講生の習熟度チェック」を公開で行う機会をいただいたと言う訳である。

以下、セミナーのプログラム順に自分なりの参加記をご紹介していくこととする。なお、今回は合衆国(カリフォルニア大学ディヴィス校)のバーキー・テズジャン准教授(オスマン朝史)がご参加になり、そのご講演の効果もあって参加者数は40人越えの大盛況であった。


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第1日目:3月21日(土)―古文書講読・講演

菅原純「カーディ文書を中心とする新疆テュルク語民間文書:概説と講読」

今回、私の担当セッションでは、私が10年以上前に収集し、先ごろ新疆大学に移管した「新疆文書」(菅原コレクション)につき、そのあらましを紹介すると共に、今回は不動産契約に関する基礎的な文書2種をそれぞれ2点ずつ講読した。「新疆文書」の概要についてはこのブログでも新疆大学の講義などで割と詳しく紹介したので、ここで繰り返すことはしない。そちらについては当ブログの過去記事(1, 2)を参照されたい。

いくぶん新し目のコンテンツとしては、共産党の「革命」によってこうした文書類が忌まわしき旧時代の一つの象徴として槍玉にあげられ、儀式的に焼却されたという歴史事実につき、映像資料を示して紹介した。これは例えば1999年に刊行された写真集『新疆解放』(新疆美術撮影出版社、no.300)に掲載された「(抑圧から)解放された農民は、土地契約文書を焼却して勝利を歓迎する」というキャプション付きの写真や、1960年に制作された宣伝映画『夏合勒克乡的农奴制度』(中国科学院民族研究所委託、新疆電影制片廠撮制)の再現映像(カーディによる文書の作成シーン及び焼却シーン)等から窺うことができる。


宣伝映画『夏合勒克乡的农奴制度』(部分)01:31よりカーディによる文書作成の「再現場面」あり(ネットに上がっていない本編は全部で50分あり、解放後の文書焼却場面も含まれる。セミナーでは手持ちの本編映像資料から必要な部分を切り出しお見せした)。


文書講読については、一般的な「不動産売却文書」と「合法売却文書」を計4点、スウェーデン伝道団作成になる『書式集』掲載文書と実際の文書という組み合わせで読みあわせることとした。いちおう私は講師ということであったが、実質的には司会者の磯貝さんのご指導を拝聴するというスタイルで、そのいちいち周到な語釈、解説にはただただ感嘆するばかりで、実に勉強になった。いったいこの種の史料講読はその言葉に通じているだけではダメで、深いイスラーム法学の知識を必要とする。そのことを(門前の小僧として、それを感じていなかったわけでは断じてないが)改めて痛感させられた次第である。不出来ではあるが、今後もたゆまず励んでいきたい。

それにしても、何人かの方に読んでいただいた文書講読は、ペルシャ語やアラビア語、オスマン語、ウズベク語などをベースにする方々の「読み方」が、音声的にはそれぞれの「癖」を反映していて実に面白かった。カーシュガルの文書であるからして、住民は当然(まあ、私が拙く読むように)カーシュガル方言、平たく言えば現代ウイグル口語により近い発音でこれら文書を読んでいたに相違ないはずなのであるが、そうした別の地域のことをなさっている方々がお読みになると、まるで別のことばのように聞こえてくるのである。無論、実際にその文書が音声的に実際どう読まれていたかということは正確にはわからない。しかし細かなつづりや書き癖のようなものが頻繁に問題になるこの種の史料講読にあっては、書き手がそれを音声的にどう理解していたか、というのは極めて重要な問題であるように思われる。これはひとり新疆文書だけの問題ではなく、中央アジア文書においても個別的に考慮に入れられるべきポイントではないだろうか。

最後に私のセッションで、主として磯貝さんのご指摘の中で、これは要注意と思われたポイントを部分的に書き出しておく(中にはこのセミナーで幾度も繰り返された用語も含まれている。物覚えの悪い自分自身に対する「覚え」として示す)。

iqrarは(もっぱら私が用いた)「陳述」よりは、より法学的には「承認」(とりわけ、本来は本人に不利となる事柄についての承認)と解釈されるべきである。したがってiqrar-i shar'iは「聖法に則った承認」である。
ishiklikは戸(ishik)の数から転じて部屋数を示すと解釈されるのが一般的だが、間口の単位として解釈しうる可能性がある。これは今後の検討が必要。
ishiklikは、語釈としてはそうでも、綴り上はむしろishikleと読まれる可能性はないか(検討課題)。
◎ASKNHはusknaと読まれるべきで、(土地の)「上物」を指すものと理解される。
hoquq-i marafeq「恒久的占有権」
ghabn-ghrurdin otmek「売買の障害がない」
borlap beripはそれぞれの語の正確な解釈はひとまず措くにしても「登記して」と解釈するのが妥当か。
◎合法売却契約は、ここでは所定の期限終了後に対象物件を買い戻す契約すなわち「買い戻し約款売買」であり、伝道団書式集収録「抵当(rahn)文書」はその意味では筋がいい内容である(つまり私が指摘したような「異教徒の著作物としての誤解」は根拠がなく、むしろ雛型となった書式集の存在を考えてもよい)。
◎不動産売却文書では、その対象物件と売却者の所有関係の由来を明示することがまずもって必須である。講読文書での「父親から相続した(atamdin mirath qalghan)」や「金あるいは貨幣で購った(zarkharid)」などがそれにあたる。
◎書式集の「規範」文書の年号はいちいち刊行年が示されている点が注目される。これもまた書式集の刊行をめぐる出版者側の工夫(配慮)の一つと考えられよう(高松氏のご指摘による。あとで違う版を確認したら吃驚!まさにその通りであった)。

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Baki Tezcan "The Portrait of the Preacher as a Young Man: The Education and Early Career of Kadizade Mehmed"

テズジャン氏のご講演は16-17世紀オスマン朝の名望家(?)で一般にスーフィズムの敵対者とされるKadizadeliの指導者Kadizade Mehmedの初期の経歴につき検討したものであった。なにぶん自分のセッションの直後の講演ゆえかなり集中を欠いた状態で拝聴したためあまり記憶に残っていない(その点はお詫びします。何しろ疲労困憊していたので)。ただそのようなスーフィの敵対者と色分けされがちな人物であっても、すべてのスーフィと敵対していたわけではなく、一部スーフィとの交流もまた注目すべきである、というような点(確か議論ではムジャッデディーヤなども俎上に上がっていたものと記憶する)は意見の応酬があった。こちらはいずれ書かれたものなどで復習したい。


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第2日目:3月22日(日)―古文書講読

矢島洋一「近世・近代西トルキスタンの合法売買文書」

矢島さんの講義は前日私も扱った「合法売却文書」につき、西トルキスタンの事例を包括的に扱ったものであった。

「合法売却」契約については先にこのブログでもながながとその契約の内容につき説明を試みたことがあった。要するにイスラーム法の上で禁じられた利息の取得を「合法的」に行うための一つのトリックとして存在した契約であり、中央アジア(西トルキスタン)ではひろく行われた契約であったことが明らかにされている。

この契約でいつも初心者をまごつかせるのは、こんな脱法まがいの契約のどこが「合法」なのかという点である。この点につき。今回矢島さんは日本語での「合法ドラック」(「リーガル・ハイ」とも。現在は「危険ドラッグ」))の事例を引かれ、この事例と同様に「合法ぎりぎり」というニュアンスからひねり出された術語ではないかと指摘なさり、これには「なるほど、これだ!」と、思わず膝を打った。

今回講読予定として示された文書は4点で、3点がペルシャ語、最後の1点がテュルク語の帳簿(デフテル)収録文書で、私としては当然4番目の文書が一番の関心事であった(大変癖のある文字で書かれており、また書式も新疆のそれとはかなり違い、同時に示された一部ペルシャ語文書のスタイルを明らかに引きずっていた)。しかし、時間切れで会場での読みあわせが行われなかったのは残念至極であった。最後にいただいた「判読例」でこれは独習するしかない。無念であった。


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磯貝健一「19世紀ブハラ・アミール国の訴状とその背面文書(または「判決文」)」

磯貝さんの今回の講義は、ブハラ文書の訴状と判決につき詳しい解説がなされ、実に有益であった。とくに一般に訴状にはムフティの認印が押され、その訴状の適否をムフティが行っていたというのにはいささか驚きをもって拝聴した次第である。新疆文書の場合はムフティが認印を押した文書もないではないが、いくつかの文書は明らかにカーディが押しており、おそらくはカーディのデフテルに一緒に押したであろう「割印」が多くの場合に押されているのが特徴である。この辺のマナーの違いは今後掘り下げていくべきであろうと思われる。

また訴状の構成、訴訟のプロセス(この流れの説明図を見るのは初めてではないが、今回のものは特に詳細を極めている)についても、各段階でのターミノロジーが詳細に示されている点が注目され、これは新疆文書のみならず、イスラーム世界における係争の審理過程を比較考察する上で参照価値が高い。

ほかにも和解(示談は法廷外で行われるものゆえ和解とは明瞭に区別される、ということは私は暗愚にしてこれまで全然知らなかったことを告白する)、そして訴状の反対面に記された判決などはいずれもこれまで知らなかったことであり、今後の新疆文書講読の肥やしにしたいと思っている。

いつものことながらお二人には多くのことを今回も教えていただいた。これはいつも思うのであるが、お二人はこのセミナーで示された知見をぜひかっちりした概説の形で(出来れば英語で)お出しになるべきである。もしそういう本が出れば、さまざまな意味で学会に裨益するところは大なるものがあるであろう。

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ところで今年は2015年。つまりあの東北大震災から4年で、あの年に大学を入学した学生がこの春に学窓を巣立っていったという年である。それゆえ東京の法政大学では卒業式にあわせ4年前に行えなかった入学式もあわせ行った由。本当に、この4年間を思うと感慨深いものがある。この中央アジア古文書研究セミナーはといえば、実に震災後僅か2週間後の3月26日に「第9回中央アジア古文書研究セミナー」が開催され、「こういう時だから、関西が頑張らなければ」とあえて開催に踏み切られた堀川先生はじめ、主催者の心配りに深く感じ入ったことがあった。そのことがあらためて思い出される。

この会はいつも(傍目には)同じ種類の史料を、同じ会場で、同じような顔合わせの参加者が読みあわせ、打ち上げではこれまた同じように飲み語らうという、ある意味においては毎回変わり映えのしない集まりである。しかし13年も続けていると、変わり映えしないようでいて、確実にそれなりの成果が蓄積され、また折々のドラマが生まれていることに気付かされる。13年も続けていれば、その集まりはもはや特別なイヴェント(訪れる場所)というよりは、ある意味そこにいることが自明にさえ感じられる場所(帰って行く場所)のように思われてくるから不思議なものである。こういうところにも人生のひとつの奇跡があるかのようだ。

今回のセミナー冒頭で、当会の主催者である堀川先生は、あと2年でご自身が定年を迎えられること、京都外国語大学でのこの集いもあと2回となるであろうことに言及された。今後、磯貝さんや矢島さんが主導する形で会場を変えて続けるにしても、このセミナーをこの雰囲気のまま行えるのはあとたった2回と言う訳である。それ以降はどういう形であれ、これまでと同じというわけにはいかないだろう。あと2回が変わりなく有意義に開催されることを、また、できることならそれ以降も、何らかの形でこの枠組みが維持発展していくことを、心から望まずにはおれない。

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附記 今回のセミナーでは、三浦徹先生の「海を渡った皮紙(ヴェラム)文書-モロッコの契約文書コレクション」(東洋文庫編『アジア学の宝庫 東洋文庫-東洋学の方法と歴史』勉誠出版近刊、所収)のコピーをいただき、また阿部尚史(ABE Naofumi)さんからご近著"Preserving a Qazar Estate: Analysis of Fath-'Ali Khan Donboli's 'Property Retention Tactics'" in STUDIA IRANICA 43, 2014: 129-150.の恵贈を受けた。ここに記して深甚の謝意を表したい。

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Comments

追記です。私のメモの取り方がまずく、上記記事内容の一部に間違いがあるとご指摘をいただきました。ありがとうございます。

huquq-i marafiq:
これは「恒久的占有権」ではなく、「土地や住居の建物そのものではないけれども、それらを利用するのに有益な施設・設備の優先的利用権」だそうです。「土地や住居に通じている道の通行権、土地や住居への取水権や排水権、その他諸々」を具体的には指すよし。

ghabn-ghrurdin otmek:
こちらは「売買契約を無効にしたり、解除させ得るような(売買契約の効力に影響をきたすような)損害に相当するものがない」の意。


こう言うご指摘は本当にありがたいです。ご指摘いただいた磯貝真澄さんには心より感謝申し上げます。

Posted by: 菅原 純 | 2015.06.26 at 06:20 AM

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