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内陸アジア史学会大会(2014)@東京外国語大学

さる10月25日(土)内陸アジア史学会大会が開催された。当学会の大会は隔年で西日本-東日本を往還し開催されることになっており、今回は昨年の龍谷大学の後を受け、東京外国語大学での開催と相成った。

当日は好天に恵まれ、秋晴れの素晴らしい天気の下での開催となった。無論学会開催はインドアなので天気は基本的に関係ない。しかし会場から見える旧関東村の秋景色は実に見事で、そういう美しい窓の外の風景と、やわらかな秋の陽光のおかげで、壇上から聞こえてくる報告者・講演者の先生方のお話も、実に心地よく耳に入ってきた。

今回のプログラム(研究発表と講演)は以下の通りである(副題は省略)。

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(1)研究発表
・前野利衣「17世紀後半ハルハ「ザサクト=ハーン部」の権力構造」
・吳國聖"On the bilingual correspondences in Qarï čor tegin’s epitaph (Sino-Turkica)"
・菅原純「省制期新疆ムスリム社会における債務弁済」
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(2)公開講演
・中見立夫「近代「モンゴル」、「東三省」における戸口調査資料について」
・吉田順一「モンゴル人の農耕」
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私の拙発表は別にして、どのお話も地に足のついたご研究の成果であり、興味深く拝聴した。

テーマがいささかモンゴルにかたよってはいないかという気がしないでもないが、これはひょっとしたら現在の当学会の構成メンバーの傾向(モンゴル関係の研究者が多い)を反映したものだろうか。もっとも、中見先生は(世間的な評価はともかくも)ご自分のお話の中で「本来私はモンゴル史が専門ではない」と仰せであったので、私のこうした印象は勝手な思い込みに過ぎないかもしれないけれども。

大会の全体的な印象としては、顔見知りの方が多く参加なさり、たしかに自分の帰属する社会のひとつがこれなのだな、と感じられるような「お馴染み感」一杯の温かみのある大会であった。と同時に、全く知らない「新しい顔」、若々しい学生さんの参加が少なかったのではないか、という印象の否めない集いでもあったように思う。

これは人文系のどの業界もだいたい同じらしいけれども、最近は大学院に入り、ひとつ研究でもしてみよう、と言う学生がかなりの減少傾向にあるらしい。当内陸アジア史学会においては、大会の総会部分で会員数の推移につき報告が行われるのが慣例である。そこで現有会員を世代カテゴリーで分類し報告してみてはどうだろう。なかなか怖い数字が出てきそうな気がするのである。

大会冒頭において会長の小松久男先生は、東京外国語大学の「中央アジア専攻」の開設という新たな展開につき言及なさり、こうした学科の学生たちが今後いくらかでも当学会に参与してくれれば、と希望を述べられた。本当にそうなってくれればいいと思う。ただ、実際は中央アジア専攻は地域研究という枠組みの学科であり、地域研究は、どちらかといえば社会科学的傾向が強い。そういう専攻の学生さんたちのいかほどが人文系の学問領域に目を向け、さらに「史」と名のつく学会の活動に参与してくれるか、はまだ分からない。これらは本当に中央アジア専攻の教員の奮闘に期待するしかないだろう(これは外語大ばかりの話ではない)。

さて、大会の研究発表についてもうひとつ。
今回はたまたまお声がかかり、私ごときが報告することになった(まあ、さだめし「お前は年はくっているが研究内容は若手レヴェルだ」と言うことなのだが(;´д`)トホホ…)。しかし「研究発表」枠はもっと若い人がすべきである。他のお二方はまあ若手だが、本当ならばさらに若い、修士課程の方の報告が一つぐらいあってもいい。

次年度より当内陸アジア史学会大会の研究発表は、これまでの理事会の指名制から公募制へと移行することが、総会にてアナウンスされた。これは当会の活性化という意味から歓迎されるべき改革である。どうか修士課程、博士課程の若い方々は、蛮勇をふるってエントリーしていただきたい。練れた、完成された研究など、そこでは(←コレ大事)はっきり言ってつまらない。若々しい情熱をもって、尖がった新知見を提示してほしい。

なお、当内陸アジア史学会の次回大会は京都外国語大学で開催の予定である。
(次々回は駒沢大学)

最後に、当会における私の報告の摘要を挙げておく。
こちらはあと400字ほど圧縮したものが次号『内陸アジア史研究』に掲載されるはずである。

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省制期新疆ムスリム社会における債務弁済
―不動産「合法売却」契約の位置づけをめぐって―

摘 要

本報告は、省制期新疆(1884-1955)の、特にカシュガルを中心とする地域の社会状況を、法規範や社会制度の面から理解する試みの一つとして「債務契約」に注目する。具体的には、当時取り結ばれた債務契約文書(madyun)ならびに実質的な担保債務契約文書である合法売却文書(bay'-i jayz)の分析を試み、文書史料から窺われうる当時の「モノや金銭の貸し借り」の実態の一端を明らかにするものである。

カシュガルで作成され使用された債務契約文書は、同時代の他の契約文書(さらにいうならば中央アジア他地域の契約文書)と同様に、一人称の陳述(iqrar)の形式をとり、契約当事者の記載につづいて、債務の内容、債務期間(弁済期限)、債務不履行の際の対策などが定型文言と合わせ記載される。まず債務内容は「カシュガル文書」所収文書は圧倒的に現金による債務が多きを占めることが注目される。この特徴は1950年代の共産党による土地調査報告が示す、モノの貸し借りが中心であった農村部の状況とは対照的である。さらに弁済時期はモノに関しては先のデータ通り、農業の収穫期の返済が多いことが確認できる。他方、現金に関しては1年と年限を切ったものが散見されるほか、定型文言により「債権者の要求時」に返済する形式が少なからず(27%)みられる。さらに債務契約文書には、万が一債務が滞った場合の対策が明記されたものも多く、全体の4割を占める。その4割の中で約半分は保証人を立て、さらに半分は担保として債務者の所有不動産の処分を債権者に委任する契約が取り結ばれていた。さらに後者では不動産の処分形態も必ず明記され、一般売却(bay'-bat およびsatmaq)によるものと合法売却(bay'-i jayz)による2つの処分法(負債回収法)があった。こうした文書書式上の諸点は、当時の債務弁済の実態の一端を示しているものと考えうる。

つぎに合法売却(bay'-i jayz)は、上述のように債務不履行時の負債回収の手段の一つであったことが確認できるほか、一般的な抵当債務契約の手段として行われていたらしいことが、当時の文書規範集の記述からも推測できる。その基本的な書式は、磯貝健一氏が明瞭に示された中央アジア(ヒヴァ)のそれと基本構成を同じくしており、形式的な売却を行うと同時に売却者が一転同じ不動産の借り手となって、その賃料を実質的な利息として支払う形をとる。カシュガルの場合、その実質的な利息は1935年の一事例では年利16%ほどであり、これは年利100%~はなはだしきは300%であったと伝えるさきの農村調査データとはかなりの開きがある。ただし、いずれにしてもカシュガル文書中の合法売却文書は極めて希少であり即断はできない。このカシュガル文書における合法売却文書の稀少性(契約文書全体に占める割合は1%未満)は、全体の約24%を占めると言うヒヴァ文書における合法売却契約のケースとは極めて異なっているのである。これはカシュガルにおける債務契約、ひいては南新疆(歴史的東トルキスタン)の法秩序におけるイスラーム法の影響力に係る、ひとつの際立った性格を示すものではないか。

なお、本報告では、20世紀初頭にカシュガル地区で流通していた文書規範集所載の債務文書ならびに合法売却文書の書式と、報告者の収集になり、先頃新疆大学への移管を完了した「カシュガル文書」中の債務文書46点、合法売却文書5点を主たる史料として使用する。

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