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「書かれなかったこと」をめぐって

ここ数年の私は、文書史料に依拠してなんとか「新疆省」期のカシュガルあたりの社会史を再構築できぬものかと四苦八苦している。

才無き者の常ながら、その歩みは蝸牛のごとく、行きつ戻りつもあり、なかなかきちんとした成果には結びつかないのが「頭の痛いところ」である。いや、これはどう考えても「頭の悪いところ」というほかはないだろう(ここで「自分のばかっ」と一人つぶやく)。もう少し自分が勤勉でくるくる頭が回るのならよかったのに。

今直面している問題は債務弁済の問題である。
要するに、借金をめぐる問題が、手続きとしては当時の人々のあいだで実際にどのように行われていたと考えられるか、という問題である。この問題は一般的には看過されがちで、当の現代ウイグル人もあまり注目していないようだし(これは実は検証が必要)、歴史研究者も一種の思い込みで片付けてしまっているように見受けられる(というのも本当かどうか精査すべきだ、本当は)ように感じる。

新疆社会史の諸問題については、尊敬する姉御であるイルディ子・ベッラ=ハン教授が先年『新疆の社会問題』なる大著を出され、そこでは網羅的に省制期の諸問題が記述されている。そして借金の問題についても随所で言及があるのであるが、それは具体例を提示して裏が取れるという筋の情報を使っている訳ではない。つまり依然として仮説の域を出ない、というのが現状である。数学に例えれば、かなり確度の高い予想が提示されてはいるものの、まだ本格的な証明はなされていない状態、と言ったところなのである。姉御のご指摘では、どうやら新疆において利子の取得は常態化していたようで、"cash loans usuallv had to be paid back with interest(現金の債務はおおむね利子を付けて返済されねばならなかった)"(p.98)とある。これは明らかにイスラーム法上「脱法行為」であり現に慎まねばならぬことなのであるが、それを省制期のムスリムたち(現在のウイグル人のごく近いご先祖たち)はどう合理化していたのか。いや、そもそも実態とはその通りだったのか。

こういう問題に取り組むのは実はなかなか大変である。文書にまんま「利子を取るのは聖法に照らし、ちょっとアレなんだけど、でもただでお金を貸しても儲からないからXXX円ほど利子をもらっちゃうからね」などと書かれているはずもなく、形式にのっとり書かれていたであろう文書だけで事実関係を推測するのは困難である(程度の差はあれ、文書の文言と実態の乖離は我々だってかなり身に覚えがあるはずだ)。とはいえ、とはいえ、そもそも借金をめぐる文書がどういう形をしているのかを精査して知ることなしに「書かれなかったこと」を考察することは、さらに無理(ム~リ~)な話ではないか。そういうわけで、われわれはまず書かれたものの全体像を把握する必要があるのだ。ここから始めなければならない。

では、文書に取りかかるとして、具体的には、私は何をすべきなのか?
ここで最も基本的な問題として、借金の証拠資料である複数の債務関連文書が、どういう形で残りうるものなのか、ということをまずはシミュレートしてみよう。収集した膨大な数の雑多な文書群の中で、借金関係の文書を選り分けるのはそう難しくはない。そのうえで、それらの文書がどういう形で残存しえたのか、ということをここで少しく確認してみれば「どこに追究の目を配ればよいか」がもう少し方向性をもって明らかになるはずだからである。

債務には当然債務者(A)と債権者(B)が存在する。そして債務証書(madyun khat)を作成するのはほぼ間違いなく債務者の側であり、債権者はその証書を受領して金銭なり物品を貸すのである。
つまり、ここで(A)には(B)の起草した債務文書(madyun)が残り、(B)には金銭、物品がわたる。
モノの移動がここにはあるから、受領書(rasid)起草発給の可能性もないでもないが、常識的には債務文書がそれを兼ねているとみるべきか。ここは調べてみる必要があるかもしれぬ。つまり債務文書(madyun)とセットの受領文書(rasid)は存在するか否か。

つぎに、債務契約の期間が満了したとして、その場合、われわれの感覚では債務文書は債務者(B)に返却され、あわせて債務が適正に返済された受領書も(B)に対して発給されるはずである。これで契約関係は解消するわけだから、これが自然なやり取りだと考えられる。つまり円滑に返済が満了した場合、(1)債務文書は債務者の手元に(2)一定のインターバルを置いた日付の入った債権者発給の受領書とともに保管されるはずである。

では、万が一借金が返済できなかった場合はどうなるか。

ここではまず文書に不履行の場合の取り決めがなされていなかったケースを考えてみる。管見の及ぶ範囲では、訴訟文書にはそういう約束不履行、とくに借金返済が期限内になされなかったことに対する訴状が少なからず存在する事実を指摘しておきたい。その場合は債権者(A)が訴状を書き、提訴が行われ、それに対しもし不服があるならば債務者(B)が反訴を行うはずである。そして(A)(B)双方の言い分に叶ったファトワー文書が用意され、最終的には判決がおりるか、和解が成立し解決策が示されるはずである。この場合も、いずれにせよ案件が解決したのであれば、すべての文書、すなわち(1)債務文書、(3)訴状、(4)反訴状、(5)ファトワー2通、(6)判決書ないしは(7)和解文書などが最終的には債務者の手に渡った可能性がある。無論これはあくまで「可能性」として考えられる最大(最多)の場合であって、すべてが作成発給され保管されたか否かは別の話である。しかし、そういう可能性を考慮して探索の網は張っておくべきだろう。

つぎに、債務文書には債務不履行の場合の解決策が明確に提示されるケースも少なくない。よく見られるケースは「担保」物件(おおむね不動産物件であるケースが多い)を明示しておくケースである。この場合、不履行が確認された時点で債務文書の記載内容が効力を発揮し、(たぶん)不動産の所有権の移動が行われたはずである。その移動の形態は多くの場合「権利放棄(ibra)」すなわち贈与の形をとったものと考えられる。これで(1)債務文書はおそらくは債務者に返還され、(8)債務者が債権者に対して発給した権利放棄文書が債権者の手に渡るはずである。

さて、もうひとつの可能性は、債務者の所有不動産の「売却」が適用されるケースである。債務文書には少数ながら、債務不履行の場合は債務者が具体的な不動産物件の売却を行って、その対価(現金)を返済に充てる、という文言のあるものがある。この場合債権者はあくまで現金での返済を求めており、具体的な現金調達の「手段」を明示しているわけである。今のところここで示された売却の形態は(9)「合法売却契約(bai-i jaiz)」と(10)「完全売却契約(bai-i bat)」の二つが確認でき、従って債務文書と対をなす形での両種文書も探索の対象となるわけだ。さらにその次の段階としては、売却契約が成ったとして、そこで取得されたであろう現金をひとまず債務者が受け取った(*)受領文書、さらにさらにその現金を債務者が債権者に支払い、それに対し債権者が債務者に対して(11)受領文書を作成発給したはずである。。ただし(*)は不動産を売った相手に発給するわけだから債務者の手元には残らないわけで、これはひとまず考慮の外に置いてよい。ここで重要なのは(11)で、いささかペナルティ的性格を帯びた、債務不履行のひとつの着地点であると言える。

以上が通常の債務文書を軸としてみた債務弁済の関係文書である。しかしこれで終わりではない。

新疆の伝統社会においてはこのほかにもう一つ、重要な債務弁済の方法があり、これも検討の俎上に上げなければならない。それが上述の不動産の合法売却契約(bai-i jaiz)である。

不動産の合法売却(bai-i jaiz)契約とは、前にウルムチでの「講義」でふれたように、債務弁済のために仮想的に所有財産を売却し、同時にその不動産の貸し付けを受けることで借料を実質的な利子として支払う契約を指す。この場合、(9)合法売却文書が作成されるとともに、担保物件を即座に借り上げたことに対する(12)債務者発給の貸し出し不動産の受領文書(そこには利子相当の不動産の借料が明記されているはずだ)、(13)債務者発給の不動産(架空)売却代金の受領証書(つまり実質的な債務の金額が明記される)などが作成発給されたはずである。

そして、無事、債務の返済が行われた場合は、当然それは「買戻し」になるわけであるから、(14)債権者による当該不動産の売却文書がつくられ、債務者は自分が債務を負った際に作成した合法売却文書とともにそれを受け取ったはずなのである。

債務の返済が行われなかった場合は上述の債務文書の場合と同様に係争となり、最大限上述の(3)訴状、(4)反訴状、(5)ファトワー2通、(6)判決書ないしは(7)和解文書などが作成使用された可能性がでてくる。

今のところ考えられるのは以上である。ここでまとめてみよう。要するに、債務関係の実態にアクセスするためには、

(1)債務文書(madyun)
(2)一定のインターバルを置いた日付の入った債権者発給の受領書
(3)訴状、
(4)反訴状、
(5)ファトワー2通、
(6)判決書
(7)和解文書
(8)権利放棄文書
(9)「合法売却契約(bai-i jaiz)」
(10)「完全売却契約(bai-i bat)」
(11)受領文書
(12)債務者発給の貸し出し不動産の受領文書
(13)債務者発給の不動産(架空)売却代金の受領証書
(14)債権者による当該不動産の売却文書

等の文書が参照されなければならぬという訳だ。文書研究の道は、まだまだ険しい。

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