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第11回 中央アジア古文書セミナー

Altaqsir
ブハラ・アミール国の上奏文は一見してそれと分かる文字の羅列(al-taqsirの繰り返し)を末尾に置く。


恒例の中央アジア古文書セミナー(京都外国語大学)に参加した。ここ10年というもの、このセミナーは私にとって春の到来を象徴する区切りのようになっている(ホント、春だなあ)。

この集まりもついに11回目つまり11年目である。「1年単位とか2年単位で開催される学問の集まりは、3回も続けられれば、これはもう「伝統」と言ってよいのではないか」とどこかで言った人がいた。してみると、このセミナーの11回という数は驚異的であり、「伝統」を超越して「伝説」的でさえあるように私には思われる。こういう会を立ち上げ、一貫して運営にあたって来られた主催者の堀川徹先生、講師の磯貝健一さん、矢島洋一さんの御三方にはどんなに感謝しても感謝しきれない、と思っている人は少なくないだろう。かく言う私もいわば「門前の小僧」のような心持ちで、この「伝説」を目の当たりにする得難い機会を賜ったわけである。あらためてここで感謝申し上げる。

今回のセミナーは平日開催にもかかわらず参加者は中央アジア史以外にトルコ、アラブ諸国、イラン、インド、そして新疆など、イスラーム教徒居住地域の大半をカヴァーする多くの研究者が集い、参加者数は過去最高の30余名を数えた。特に今回は東京の外語大AA研に滞在中のセファトゴル・マンスール先生(何と先生も数年前に続き2回目のご参加である)ほか2名のゲストもご参加になり、大変ににぎやかで意義深い会議となった。それにしても、中央アジアの文書にこれほどの人数が集まるということ自体、つくづく驚異的である。

さて、今回のお題は「上奏」(1日目、矢島さん)ならびに「上訴」(2日目、磯貝さん)であった。あいにく私方の事情で2日目のセッションは早めに失礼することとなったため、2日目の「上訴」はすべてを拝聴することはできなかった。よってここでは(お粗末ながら)もっぱら「上奏」について書くこととする。


上奏書(arza-dasht عرض داشت)

今回使用したテキストは、ウズベキスタン共和国ブハラ国立建築・芸術保護区博物館所蔵の文書4点である。作成年代は19-20世紀初頭と推測され、同時期のブハラ・アミール国で作成、使用されたものと考えられる。言語は基本的にペルシア語であるが、土地柄を反映して語彙や文法にタジク語の要素を含んでおり、むしろタジク語文書と呼んでしまったほうが相応しいのではないかと思わせる言語的特徴を有している。

上奏書の構成は、
(1)冒頭句(banda navaza بنده نوازا (君主に対して)、huwa al-fayyaz هوا الفياض (神に対して)などが一般的。バスマラが続くこともある)、
(2)本文('arza dasht-i .... ba-.... عرضه داشت 「(発信者)から(宛先)への上奏」で始まることが多い)、
(3)末尾(最終行にal-taqsirالتقصير「不肖」の語を数個~十数個並べる)
という3つのパートからなる。

末尾に冗長にal-taqsirの語が書き連ねられている点がきわめてユニークであり、この視覚的にインパクトのある文言(一説ではその文言を書き連ねることで紙上の記入スペースを「塞ぐ」機能を果たしているのだとか)が、その文書が上奏書であることを見分けるうえで重要な「目印」となりそうである。こうしたマナーは他地域(当日参加者の専門領域であるオスマン朝、イラン等)では見られず、中央アジア(ブハラ?)特有のマナーであると考えられる。

上奏書はその性格上、アミールをはじめとする君主に対する修辞が実に冗長に書かれているため、その分量の総量に比して情報量は必ずしも多くはない。そのうえ作成の日付も書かれず、上奏の対象者も敬称のみである場合が多く、発信者名さえ書かれないことがある。従って、誰が誰に対しいつ為した上奏であるか特定されにくく、研究に供する史料としてはなかなか取り扱いの難しい文書であるといえる。

質疑の時間には、例によって、詳細な文言や書式について活発な議論が行われた。その中で高松さん(AA研)の「目下から目上へ書状を進呈する際、日付は書かれないのが一般的」とのご指摘は極めて印象的であった。氏によれば、日付の記入はその書状の対象者である目上の人物を時間で拘束することを意味し、大変失礼なことなのだとか。おそらく上奏文や訴状に日付が記入されないのは同様のロジックが働いた可能性がある。なるほど。

出席しておられた堀先生によれば、中国領新疆の文書にはそういうことはなく、上奏文においてはきっちり日付を書いている点、西方のイスラーム教徒政権とはずいぶん事情が異なるとのことである。確かに、20世紀初頭にGustav Ahlbertにより作成・出版されたカーシュガルの文書・書簡書式集(Khutut al-mutanavi)では、上申書を含めいかなる文書もきっちりヒジュラ暦と西暦(民国暦)が明記されており、一般社会レヴェルでも日付は明記されるべきとの認識が存在したことは確かなようである。しかしながら、私の乏しい経験では実際に使用された訴状などで日付が書かれたものはほとんど無かったものと記憶しており、この点はもう少し精査してみる必要があるようにも思われた次第である。

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