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国際ワークショップ「中央ユーラシアにおける古文書の保存と研究」

「国際ワークショップ「中央ユーラシアにおける古文書の保存と研究」」
【日時】:2012年11月18日(日) 14:00~17:50(懇親会18:00~19:30)
【場所】:京都大学大学院文学研究科ユーラシア文化研究センター(羽田記念館)

伊那谷は前日の雨で色づいた葉が落ちてしまい、東西の山々も真っ白でもう冬目前といった感じである。しかし、バスと新幹線を乗り継いでたどりついた京都には幸いまだ秋が残っていた。とくに北の賀茂川の河畔は実に落ち着いたたたずまいで、歴史と文化にうまく制御された秋の景色(とでも言えばいいのか)が美しく、見ていて実に快かった。今まであんまり注目してはいなかったけれども、京都もあの辺りまで行くと、たとえば四条あたりの鴨川べりとは随分趣が違うものだ。

さて、今回京都にやってきたのは、京都外国語大学の堀川徹先生の科研プロジェクトと羽田記念館の共催になる標記ワークショップに参加するためである。中央アジアの古文書-そこで扱われるのは主として19-20世紀初頭のカーディ文書-は、新疆の同種文書と共通の基盤に立つ書式を有しており、したがってその書式や術語に関する知見の数々は、新疆史研究にも十分に応用可能なものである。毎度のことながら、今回も大変面白く、多くのことを学ばせていただいた。

まずプログラムは以下の通りである。
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基調報告 Bohodir J. HOSHIMOV(ウズベキスタン共和国フェルガナ州立郷土博物館長)
「フェルガナ盆地の諸博物館におけるカーディー文書の保存状況(過去と現在)」
通訳:磯貝健一(追手門学院大学)
コメント1 矢島洋一氏(京都外国語大学)
コメント2 Marsil N. FARKHSHATOV氏(ロシア科学アカデミー・ウファ学術センター歴史
言語文学研究所バシコルトスタン歴史・文化史部主任)
通訳:磯貝真澄氏(京都外国語大学)
総合討論
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基調報告 Bohodir J. HOSHIMOV
「フェルガナ盆地の諸博物館におけるカーディー文書の保存状況(過去と現在)」

報告者のハシモフ氏は1972年生まれ。10年にわたりフェルガナ州郷土博物館館長として勤務し、2002年以来、堀川プロジェクトと共同でカーディ文書の収集・研究に取り組んでおられる。当ワークショップの基調報告に位置付けられる当報告は、フェルガナ州立郷土博物館(以下、フェルガナ博物館と略記)の沿革と、文書を中心とする資料収集事業のあらましを紹介したものであった。フェルガナ博物館は19世紀の終わりに開設された、タシケント、サマルカンドに次ぎ、中央アジアで三番目に古い博物館である。フェルガナ市に博物館本体があるほか、州内に6つの支部がある。その文書コレクションは、当初ティムール朝期のワクフ文書(ほぼ未研究)やコーカンド・ハン国期の勅書などを収蔵しており、それらの文書については印章研究のようなものが中心で、文書の記事内容に踏み込んだ本格的な研究は乏しかったという。やがてカーディ文書にも収集の手が及ぶことになるが、20世紀末葉の「独立」以前のカーディ文書収蔵状況はコーカンド147; フェルガナ61; ナマンガン52; アンディジャン43つまり合計300点程度で、同博物館の一連のコレクション収集事業の中で、カーディ文書に関する関心はおしなべて低かった。しかしながら「独立」後、状況は一変した。フェルガナ博物館の写本コレクションはフランスの研究機関との共同作業でカタログの編纂が推進されることとなったし、カーディ文書についても堀川プロジェクトとの連携により、文書の収集、研究は飛躍的な進展を見せるにいたった。この10年間の活動で、文書数は4つの所蔵機関で2000(フェルガナ1522; コーカンド412; ナマンガン143; アンディジャン95)を超える。

率直な印象として、総数2000点はいかにも少ないという印象を受けるが、これはおそらくハシモフ氏が管轄する博物館のコレクションに限定した話であって、たとえばタシケントのコレクションやデフテル(帳簿)所載の文書情報などをあわせれば、利用できるカーディ文書の数はもっと多いだろう(詳しくは後述)。それにしても、帝政期からこの種の博物館が存在していたというあたり、彼我の違いをあらためて感じる。

ところで、博物館であるからには「実物」の収集が第一の任務なのであろうが、この種の史料の場合は文書そのものの物質的な価値はさておき、歴史研究上重要となってくるのは何と言ってもその記載内容である。つまり「実物」が入手できなくとも、所有者の了解をとってその「イメージ」(写真)を取得しそれを集積するということも有意義な作業であると考えられる。フェルガナ博物館にはフェルガナ州に関する全文書資料データの集積地として、ぜひそういう事業にも関心を持っていただきたいのであるが、それは過ぎた要望というものであろうか。

コメント1 矢島洋一
「ウズベキスタン共和国中央国立文書館所蔵ロシア統治期民衆法廷台帳について」

つづく矢島さんの「コメント」はカーディ文書のイスラーム法廷側の記録簿である「デフテル」の概要に関するものであった。デフテルとは、カーディが契約などの文書案件を認証する際に、その文書の内容を決められた書式に従って転記した「法廷台帳」である。ロシアによる中央アジア征服後、イスラーム法廷もカーディもそれぞれ民衆法廷(народный суд)、民衆判事(народный судья)の名で存続したが、処理案件の台帳(книга)への登録が新たに義務付けられたのだという。現在この台帳はウズベキスタン共和国中央文書館(Центральный государственный архив Республики Узбекистан)に所蔵されており、その総数は約5000ファイルほど(シルダリア州749files; サマルカンド州2041files; フェルガナ州2220files)。収録された案件総数は膨大な数になる。その内容は、売買契約など訴訟以外の文書を扱った「証書台帳」(左綴じ)と、訴訟文書を扱った「判決台帳」(右綴じ)がある。形式としては概ね一案件に二葉があてられ、一葉目表に訴訟の内容、裏に判決の写しが作成され切り離して当事者に発給される。台帳の二葉目には写しを切り取った後の耳が残される(一案件一葉の場合もあり、その場合「耳」は短冊状)という。台帳はその所載案件の圧倒的な多さから、その史料価値はきわめて高いが、とはいえ文書実物の価値を低めるものではない。実物文書と台帳の記事が対応する例などをみた範囲では台帳への転記の際の書洩らしや誤り、省略などが散見され、個別的にきめ細かな情報の質は原文書より低いと言わざるを得ない。また台帳の作成時期は限定されているため、これを用いた通時代的研究は不可能である。しかし圧倒的な案件を収録した台帳は複数の案件間の関係や、案件の種別の傾向などに関する計量的な研究には有効であろうし、また非ムスリム(ユダヤ人)コミュニティに関する案件も台帳には含まれており、そうしたマイノリティの研究にも貴重な資料を提供するものと考えられる。

デフテルは「中央アジア古文書セミナー」で幾度も言及され、また矢島さんたちとフェルガナで実物を実見しその撮影に協力したこともあり、私はかねてからその史料価値には打ちのめされていた(新疆ではまだそういうものは確認されていない、たぶん作成されていたはずなのだが…)。今回の「コメント」はそのデフテルの概要(規模、形状から内容の細部まで)がコンパクトに示されており、大変勉強になったと同時に、ひたすら「いいなあ、新疆でもこういう史料が出てこないかな」との羨望の念が一層強くなった次第である。現存する新疆史に関連するカーディ文書の総数は、私の把握している範囲(つまり史料として使える、内容が明らかなものの総数)ではカシュガルを中心につごう1000点と言ったところである。しかしこちらの場合、例えばフェルガナに限定しても生の文書は上述の博物館コレクションだけでも2000点余り、それにデフテルに収録された案件は、配布資料で紹介されたフェルガナ州アンディジャン市アライリク区法廷台帳(Ф-И-419)だけでも証書が27,466件(1903-1918)、訴訟が870件(1905-1920)で合計28,286件もあるのである(!!)。これがフェルガナ州全域、ウズベキスタン全域になったらどれほどの規模になるのか。驚嘆の念を禁じ得ない。

ところで新疆の場合、省制期のカーディ文書は、不動産売却文書の場合は漢文文書との合璧や印花の貼付などが行われるようになり、あきらかに清朝行政の影響が窺われる(それについては『中国のムスリムを知るための60章』収録の拙稿「新疆「イスラーム法廷文書」の「出現」」263頁)や新疆史料論集所載の拙稿("Tradition and Adoption: Elements and Composition of Land-related Contractual Documents in Provincial Xinjiang (1884-1955)"Millward, J.A. et al. (eds.) Studies on Xinjiang Historical Sources in 17-20th Centuries (TBRL12) Tokyo: The Toyo Bunko.2010, pp.120-139参照)。そこでさらに注目されることとしては、この時期の文書の欄外に案件番号と思しき「数字(我々が用いているものと同じ、いわゆる算用数字)」が記入されたものが多数見受けられるということである。この事実は対応する帳簿、すなわちデフテルの存在を想像させるのである。もっというならば省制以前の文書にも欄外に数字(こちらはアラビア文字数字)が記入されたものがあり、帳簿は省制以前にも作成されていて、省制施行以後も形式を若干変えて継続して作成されたのではないか、と想像されるのであるが、残念ながら現時点でその種の帳簿は発見されていない。もし発見されればウズベキスタンの場合と同様に、当地のイスラーム法廷の膨大な処理案件が明らかになることになるはずであり、それは新疆の歴史の解明に間違いなく大きく貢献するであろう。


コメント2 Marsil N. FARKHSHATOV
「バシュコルトスタンの東洋写本:過去と現在」

原題はВосточные рукописи Башкортостана в средневековье и новое времяで、厳密には「過去と現在」とは言い難いのだけれども、いい訳語が見つからないので内容に照らし便宜的な訳題をひねり出した(いい訳があったらご教示下さい)。FARKHSHATOV氏は1958年生まれ。ムスリム知識人の研究を専門とする研究者である。お話はまずバシュコルトスタンと言う地域と、バシュキール人についての初歩的な説明から入り、バシュコルトスタンにおける東洋(~ムスリム諸語)文献コレクションについて、その沿革と概要に関するものであった。バシュコルトスタンの歴史は、イスラーム文化との関係でいうならば3つの画期と時代に区分することが可能であり、主に(1)ブルガールのイスラーム受容(922)からモンゴル時代まで、(2)14世紀のジョチ・ウルス(金帳汗国)のイスラーム受容からロシアへの編入まで、(3)ロシア編入(1572)からロシア革命までがその大まかな区分である。ロシア革命当時、国内のモスクは2000を数え、学院も付属していたが、ソヴェート政権下の反イスラーム政策(-1991)によりモスクの数は減少し、2012現在でモスクは900、学院は10となっているという。バシュコルトスタン(ウファ)、タタルスタン(カザン)に現存する東方諸語写本の総数、1万点ぐらいで、いずれも1970-80年代に収集されたものである。これら写本は専門家の不足により研究が進んでおらず、目録も不備のままである。所蔵文献のうち60-70%はなお内容が不明であり、今後の研究が期待される。

バシュコルトスタンをはじめ、早くからロシアの勢力下にはいったテュルク系ムスリム社会の歴史は、既に磯貝真澄さんのご研究などで明らかなように、中央アジア史や新疆史とはまた違った奥深さを有しているように思われる。それはロシアと言う帝国の統治下にあって住民が個人レヴェルまで当局により把握されていたという、史料の「厚み」によるものに他ならない。これはロシア帝国期であれば、たとえばアラン・コルバンがフランスの社会史においてなしたような貢献をタタールの歴史において実現できるのではないか、とさえ期待させるものである。ことタタールの歴史に関しては欧州史的な手法が可能なのであり、それこそが当該史の魅力であると私などは感じている(誤解だろうか)。

しかし、ロシア行政の及ばない時代や、ロシアとは無関係の事象に関しては事情は異なるようである。FARKHSHATOV氏の言う「東洋写本」(席上質問もあったが、ここではムスリム文献と等しい意味らしい)は手つかずとは言わぬまでもあまり利用されておらず、数千点の古写本がなお研究者のアプローチを待つ状態にある、と言うのはある意味ショッキングな事実であった。近年、合衆国やドイツの研究者によりいくらか研究が行われ、未研究の写本にはユニークなものも多数含まれることは明らかとなっている。そういう意味でカザンとウファはなお研究者にとっては見果てぬ沃野だと言えよう。イスラーム研究がしたい、未知の写本と取っ組み合ってみたい、そういう志を持つ若い方には、格好のフィールドかもしれない。いざ行けウファへ!

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