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ボーダッシュ『さよならアメリカ、さよならニッポン』

マイケル・ボーダッシュ (著), 奥田 祐士 (翻訳)
『さよならアメリカ、さよならニッポン:戦後、日本人はどのようにして独自のポピュラー音楽を成立させたか』
東京:白夜書房、2012/6/25、393頁。
(Michael BOURDAGHS, Sayonara Amerika, Sayonara Nippon: A Geopolitical Prehistory of J-Pop (Asia Perspectives: History, Society, and Culture).
New York: Columbia University Press, February 21, 2012, 304p.)


家人が『信濃毎日新聞』書評欄(9/30)でこの本を見つけ、アマゾンで注文したものが昨日届いた。呑気なアメリカ人による通俗的な日本の芸能界事情紹介本かと思い、軽い気持ちでキッチンで「立ち読み」したら止められなくなり、一気呵成に最後まで(多分にナナメ読みだけど)読んでしまった。意外にも骨格のしっかりした学術著作であり、さまざまな意味で勉強させられる、まことに有益な一書であった。

以下は例によって自分が感じたことをまとまりなく書き綴った、きわめて個人的な感想文である。はなから包括的な書き方は意識していないので、かっちりまとまった記述(たとえば、この本で大学のレポートを書くための参考になるような「有用」な記述)ではもとよりない。その点はいまからお断りしておく。

※ ※ ※

著者マイケル・ボーダッシュは現在シカゴ大学准教授として近代日本文学を教える、日本地域研究あるいは日本学の専門家であり、本書のほかにThe Dawn that Never Comes: Shimazaki Toson and Japanese Nationalism(NY, 2003)という著書も知られる。日本との縁は1984年に宮城教育大学に留学して以来のものであり、一貫して日本文化研究に取り組んできた気鋭の研究者であるとお見受けした。

本書の副題の原題は"A Geopolitical Prehistory of J-Pop"つまり日本歌謡曲(J-POP)の「地政学的前史」とあり、いわば日本歌謡を切り口として一定の時間軸の中における日本文化あるいは日本人の解剖を試みたものであり、至極まっとうな学術著作である(邦題ではこの副題は「戦後、日本人はどのようにして独自のポピュラー音楽を成立させたか」とよりリーダー・フレンドリーな表現に置き換えられている)。

本書の構成は以下の通りである。
第1章 解放の音楽:黒沢明、笠置シヅ子と占領下の日本における自由への道
第2章 美空ひばりの位置づけ(マッピング):アジア人たちはどこに行った?
第3章 ミステリー・プレーン :坂本九とロカビリーの翻訳
第4章 体制内での仕事 :グループ・サウンズとノイズに秘められた商業的、革命的な可能性
第5章 ニュー・ミュージックと否定の否定 :はっぴいえんど、荒井由実とイエロー・マジック・オーケストラ
第6章 イエスと言える日本 :バブル後経済におけるバブルガム・ミュージック
解説対談:萩原健太VS湯浅学

本書を読んでいて思い出されるのは(語るに落ちる、かもしれぬが)ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』である。著者の筆致は戦後日本の社会史を活写したあの名著を彷彿とさせ、歌謡、あるいは歌謡界(「ミュージックする人々」)をめぐる「ものがたり」を通じて、ダワーとはまた違った形で我々の社会の姿を投影して見せたといえるかもしれない。ダワー自身、たとえば『リンゴの唄』などを効果的に利用しているのだが、ボーダッシュの本書はさすがに専論であるからして、その記述は多岐にわたり、しかも深い。

ダワーの著作の登場は、日本の戦後を扱った歴史研究においては大きな「衝撃」であった(と思うのだけれども、実際、日本史研究者はどう思っているのかしらん)。本来ならば日本人自身が書けるはず、いや書くべきであったテーマを、本来ならば日本人研究者のアドヴァンテージであるはずの日本語史料を縦横に駆使したアメリカ人研究者に、かくも見事に書かれてしまったのであるから。少なくとも私は、いかに日本の物書きや歴史学者の視野が狭隘で、かつ大きな物語を紡ぎ上げる意志(そして能力)が足りていないかを思い知らされたような、一種の敗北感をダワーの著作から感じたのである。「そんなことないよ」という意見もあろうが、少なくとも私はそう読んだ。

話がいささか脇にそれたが、ボーダッシュのこの本は、日本の歌謡というトピックについても、『敗北を抱きしめて』級のすばらしいモノグラフが出現するかもしれない、その可能性を示すものである。世の中に音楽評論家と言われる人は少なくないし、個別的な歌や歌手、業界史に関わる記事も既に相当の蓄積があるはずである。しかし単なる一業界の過去の回顧の枠を超えて、いったい日本とは何か、日本人とは何か、というよりラディカルな問いかけが立ち現れてくるようなものはあっただろうか。私は寡聞にして知らないのである。こういうアプローチを可能にするのは、ただ事情通であるだけでは到底十分ではない。やはり、社会や文化を適切な材料から読み解く人文学研究のセンスと技術、ーもっと踏み込んで、やや身贔屓して言うならば、実証的な歴史学のディシプリンー が必要なのである(ただし、著者自身は自分は歴史家でも音楽学者でもなく、文学と地域研究-「日本学」が専門だと述べている)。

ところで私は前段では「すばらしいモノグラフ」と断定せずに、やや歯切れ悪く「可能性」と言う言葉に止めたが、それには理由がある。本書の調査、執筆手法は卓越しており、本書に収められた各章の記事はいずれも優れたものである。それは疑いがない。しかし各章の扱ったトピックは時系列的に必ずしも途切れなく連続しているわけではないし、各章がそれぞれ有機的に結びつき、全体を構成しているというような一体性は見えにくい(つまり総体的には「モノ」グラフと言うのはほんの少し難しいかもしれない)。これは、そもそも本書が最初からひとつの著作として企図され書かれたものではなく、複数の媒体で発表された論稿を束ね出された、という事情に起因するものである。著者自身イントロダクションにおいてはっきりと述べているように、本書はあくまで「戦後ポップの地政学的私史」であって、包括的に戦後日本の歌謡を捉えようとしたものではない。イントロダクションで著者が、本書の副題になぜ定冠詞のtheではなく、不定冠詞aを使っているかに注目して欲しい、と述べているように、本書はあくまで私的な視点から眺めたひとつの歴史(小文字の歴史、と言い換えてもいいかもしれない)を提示したものなのである。つまり本書は意欲的でそれなりの感銘(と知識)を読者に与えはするが、このトピックはまだまだ書けること、書くべきことがあるはずであり、巻末の解説で萩原健太と湯浅学がいみじくも述べたように、戦後日本歌謡の「正史」はなお「書かれていない」と言わざるを得ない。

とはいえ(繰り返しになるが)本書はそれでも読み応えのある、パッチワーク的な面白さ(断じて皮肉を言っているのではない)に満ちた魅力ある書物であることに疑いはない。我々は個別の章を読み進めることで、確かにかつて我々社会の中にあった歌やその歌い手、それを取り巻く人々の息遣いを読み取ることができる。それは他でもない、我々日本人の「今」に確かにつながる、ひとつの社会の姿なのである。

それにしても、本書を読んで感じ入ったのは「翻訳」のマジックとでもいうべきものである。おそらく本書は横書きにして、脚注を配置し、さらに言葉遣いをより堅苦しく、いかにも「学術書」らしい体裁にすることもできたはずである。原書はいくぶん、ポップな外観を意識しているものの、日本語版よりはよほど地味である。こういう学術書はそれほど珍しくはない。しかし、日本語版の本書は様相が大いに異なっている。カバー装丁はどこまでもお洒落だし、商業出版物としてまあ常識的な体裁、すなわち縦書きで、注も末尾に置かれ、文体も以下にも親しみのもてそうなやわらかい文体になっている(だいいち第一人称は「ぼく」が採用されている!)。卓越した学術著作は、(無論全てではないだろうが)このように「手」を加えれば、実に魅力的な読み物になる可能性を持っている、ということを本書は示している。案外学問の振興などというものは、翻訳者や日本人著者の文体や、本の装丁などに一定の影響を受けるものなのではないか。-またまた「当たり前だろ」と言う声が聞こえてきそうだが、こういう点も今回、本書から大いに学んだことである。


最後に、身勝手な希望をあえて言わせてもらいたい。もしも著者自身が、あるいは本書のとった手法を継承するものが(いや、どう考えても著者ボーダッシュをおいて他にはいないように私には思われるのだが)いつの日か、このトピックに関する一本筋の通ったモノグラフを、つまり「定冠詞つき」の歴史を書くならば、それはある意味その扱われるトピックをはるかに超えた、日本の戦後史を総括するような価値を持つ「正史」となることであろう。そういうものを少なくとも私はぜひ読んで見たい。


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