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膨張する『殉教』の記憶 (2)質疑応答


【解説】以下の記事は前の記事の報告に対する、学習会での質疑応答を、私の報告に関連する部分のみ抜き出し、若干の修正を経て掲載するものである。この質疑応答のオリジナルはチベットの歴史と文化学習会刊行の『Shes 'Bya 第13回チベットの歴史と文化学習会の記録』33頁~41頁に掲載されている。当ブログへの掲載を了承くださった貞兼綾子さんには、心から感謝申し上げる。

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[貞兼綾子]
 すみません。細かいところまで聞いてしまいました。菅原先生からはいろいろな私達には耳慣れない言葉と、それから録音も聴かせていただきました。どちらかと言うと、ウイグル語がご専門なのでしょうか。辞書もお出しになっていますし、それとウイグル語と言っているのですけれども、ウイグル語と言うからにはウイグル文化っていうのが存在するのかどうか。或るいは今、私達は東トルキスタン、西トルキスタンというような言い方もしますけれど、そういうものも含めてウイグル文化と呼んでいいのかどうか。本当はもうちょっと語り部の話も興味があるし、チベット人達もああいう形でいろんな自分達の伝承とか記憶を遺していけばいいなと思いながらお話をうかがったのですが、ウイグル文化、それからそもそもウイグル民族というのが存在するのかどうかということも含めて。

[菅原純]
ええと、言い訳がましく恐縮ですが、私の専門は歴史学でして、現代ウイグル語は歴史研究上の必要から学んだわけでして、大学でその言葉を教えたり、辞書を出したりも致しましたが、実は言葉そのものは自分の研究の対象とはしていません。ちょっとその辺はあらかじめおことわりしておきたく思います。

さて、お答えとしては、もちろんウイグル人は実在、存在致しますし、ウイグル語もウイグル文化も存在します。何からお話したものか、多分、交通整理が必要だと思います。まず岩尾さんの発表で出てきた「ウイグル」と、私が取り上げました現在の「ウイグル」人ですが、両者は混同されるべきではなく、明瞭に区別される必要があるということを申し上げておきたいと思います。

例えば、言語に注目しますと、言語学者の方々が「ウイグル語」と言う場合、これは一般的には「古代ウイグル語」、つまり、岩尾さんが扱われた「ウイグル」の言葉を指すことがまあ慣例になっております。いっぽう今のウイグル人たちが話している言葉は「現代ウイグル語」や「新ウイグル語」と呼んで区別することになっております。まずこの点はよろしいですね。

この二つの言葉は、私の知る限りではどうも直線的な関係と申しますか、つまり、古代ウイグル語がそのまま時代が下って現代ウイグル語になった、というような簡単な関係ではないようなのですね。例えば、言語学者バスカコフが素描したトルコ諸語の言語系統図を見ますと、古代ウイグル語と現代ウイグル語はかなり遠い関係であることが分かります。これはトルコ諸語のそれぞれの音声的な特徴を手掛かりに整理分類した結果ですが、少なくともそこでは二つの言葉は直線的な関係とは言い難いわけです。現存するトルコ諸民族の中では、古代ウイグルとの関係でいえば、むしろ青海省に居住するチベット仏教徒の西部ユーグ族(サリク・ユグル)の方がより近い関係にあるとも言われています。

私は「古代ウイグル」と「現代ウイグル」人が無関係だと申し上げているわけではありません。ただひとり現代ウイグル人「だけ」が「古代ウイグル」の直線的な後継者だと考えるのは歴史的事実に反すると申し上げているわけです。実は現代中国における公式見解も、また現代ウイグル人の歴史認識も、おおむね古代ウイグルと現代ウイグルの強固な連続性を強調する点では「同じ船」に乗っており、それはそれで実のところ大変興味深いのですが、そうした見方を学問的な、歴史的事実として全面的に受け入れるのは、少なくとも私はためらいを感じます。

さらに、現代ウイグル人のご先祖にあたる、現在の新疆南部に相当する地域に住んでいた人々が書き残した歴史書をざっと眺めますと、少なくとも19世紀以前に書かれたものに、彼らの「民族名称」と申しますか、帰属集団の名前として「ウイグル」という言葉が登場した事例を私は知りません。「ウイグル」という言葉自体は存在しておりましたが、それは14、15世紀あたりには単に「仏教徒」を指す言葉として通用していたようです。もしも19世紀当時のカシュガルとかホタンにいた現代ウイグル人のご先祖に「あなたはウイグルですか?」と聞いたら、「とんでもない。奴らは敵だ」とさえ答えたかもしれません。

つまりですね、先ほどご説明しました通り、言語面で現代ウイグル語と古代ウイグル語は直線的な関係にあるとは言い難く、また現代ウイグル人自身、歴史的に「自分たちはウイグルである」というアイデンティティを連綿と持ち続けてきたわけでは全然ないというわけなのです。ただし、彼らが古代ウイグル人と全く血縁関係がないかと言ったら、そういうわけではなくて、DNAとかを見れば、いくらか古代ウイグルの血を引いていることは確認できるだろうとは思います。ただし、占有的と申しますか、直線的な関係ではないですね。「お前だけがウイグルの子孫ではない」との「異議申し立て」が、くだんの西部ユーグ族はじめ、トルコ諸語を話すいくつかの集団から提起されてもおかしくないと思うのです。

現代ウイグル人とその「ウイグル」という民族名称の関係を歴史的な「手続き」からご説明しますと、これは1920年代にロシア人の言語学者のセルゲイ・マローフが、あるトルコ諸民族会議の場で、当時の中国領新疆に居住するトルコ系イスラーム教徒定住民の集団に対し、「ウイグル」という民族名称の使用を提起して採用されたという経緯があります。従って、やや乱暴な言い方をすると、「現代ウイグル人」という集団の枠組みは、中国(或いは清朝)の統治というものがひとつのファクターになっていると考えることも可能ではないかと思います。これはあくまで手続き上のことを言っているわけでありまして、別に現代ウイグル人が「ウイグル」と称することにケチをつけているわけではありません。彼ら自身はちゃんとアイデンティティを持っておりますし、彼らが今ウイグル人だと言うことに対して異議は全くありません。それは全く問題ないわけです。ただそれを歴史的に、過去に遡って古代ウイグルまで無制限に直結させてしまうのは、少なくとも学術的にはコレクトではないということなんです。

ちなみに、ついでながら「東トルキスタン」という地域名称がございます。最近の言説では現在の「新疆」という地名はNew Dominionつまり新領土を意味する中国の手前勝手な呼称だから、伝統的な呼称である東トルキスタンを採用せよ、という意見があります。たしかに「新」「疆」という呼称は明らかに長い歴史を持ち、誇りうる文化を持つ住民に対し失礼な意味を含んでおりますし、オルタナティヴとして東トルキスタンという名称は考えられてもよろしいでしょう。しかし「東トルキスタン」という地名自体は比較的新しいものでして、伝統的呼称では全くないのだ、ということはひとこと申し上げておきたいと思います。歴史的には現在の新疆南部を指す言葉として英国人が19世紀に使い始めたあたりが始まりでして、つまり外来語なわけですが、それが現在のように新疆全域を指す言葉として住民に用いられ始めたのは20世紀はじめのことです。つまり地域名称としては遅くとも19世紀には行政上の公式使用が認められ、また住民にも知られていた「新疆」の方がむしろ「東トルキスタン」に歴史的には先行していた名称だったのです。

かなり細かいことをうるさく申し上げましたが、昨今、一般的なウイグルや東トルキスタン、新疆に関する言説は歴史的に正当な理解を欠いていることが大変に多く、そうした誤解に基づいた現状への認識を反映したものが実に多い。私はそういうふうに思っております。

[貞兼]
えーと、そうしますと、一応イスラム教を信じている人達がたくさんいると思うのですけれど、彼らは自分たちは古い出自を持っているとか、バックグラウンドが違うんだというような、そういう違い。或いは何か文化の基層というものに共通なものがあって、どこか一つに置いているとか。ちょっと見には全然分からないし、今の「新疆」だけを取ってみれば、明快に分けられるのだろうと思うのですが、中央ユーラシアという、あの辺までも考えますと、無限にそういうトゥルク系のイスラム教徒とか区別がつかないのですが、どういうものが基盤になっているのか、或いはどういう違いがそれぞれにあるのかという。

[菅原]
トルコ諸民族が全部同じように見えるというような感じ、そういうことですか? いやいや、今、トルコ諸語と申し上げましたけれども、つまり言葉一つ取ってみても、明瞭にウイグル語と他のトルコ諸語というのは、さまざまな点で明瞭な違いがあります。傍目には違って見えないかもしれませんが、明らかに音声として聴いてもトルコ諸語の中の区別というのは明瞭につくわけでして。どう申し上げたらよいのですかね。パッと見というのはちょっとこれは説明するのは無理でして、トルコ諸民族というのは決して形質人類学的な区分では全くないのでですね。それをウイグルと…。

[貞兼]
すいません。では例えば、今日お話になったアブドゥラフマン・ハンというこの伝承が行き亘る地域というのはどの範囲ぐらいまでなんでしょうか?

[菅原]
現在のウイグル人社会では広く、おそらく一般化していると思います。それはつまり、テキストのひとつとしてご紹介しました「公式テキスト」は新疆全域をマーケットとして発行されております。多分学校教育などで引かれることもあるでしょう。おそらく中華人民共和国新疆ウイグル自治区のウイグル知識人の間では、ある程度共有されているものと考えてまず間違いがないと思うんですね。ただし、より切実な意味で、つまり今日のお話で話したような形で、往来で語り部の歌う「アブドゥラフマン」の歌謡をライブで聴衆として見聞きする、という意味で言うと、これはホタン地区に限定されるでしょうね。ホタン地区、もっと言えば、カラ・カーシュ県の周辺に限定されるのだろうと思います。

[貞兼]
今日、実はこちら二人(楠木・菅原)はホタンというふうにおっしゃいます。こちら(岩尾・貞兼)はホータンとか、或いはコータンというふうに呼んでいるのですが、別に構わないわけですね?

[菅原]
現代ウイグル語の地名としては「ホタン」というのが正しいと思います。厳密には、現代ウイグル語では、喉の奥から出す固いHの音で「ホタン」というのが正しい音ということになります。もちろん、その名称はかつてのホータン~コータンから来ているわけですから、「どっちが正しい」とか議論するのは意味があろうとは思われません。ただ、今新疆で「コータン」と言っても、現代ウイグル人にそれがすぐさま「ホタン」だと分かってもらえるかどうかは自信がありませんね。

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[貞兼]
私のほうからは、もう一つ。本日は「歴史と信仰」というテーマをとりあげました。その本日的な意義と言いますか、ここで一堂に会したことの意義について、チベットも含めての中央ユーラシア、実際に言えば中国の周縁にあたる地域、その歴史や文化を学ぶことの意味について、最後にお聞きします。

[菅原]
周縁という捉え方に意味があるのかどうかというお話なんですが。周縁、中国との関わりにおいて、チベットであるとか新疆、ウイグル人の世界を捉えるというのは、これはかなり伝統的というかオーソドックスな見方なんですね。ご存知の通り「西域経営史」の立場から、中央アジアを見るというような形です。一方、そういう「西域経営史」から脱皮して、中央アジア自身に視点の中心を置く見方も、こちらも今では新しい話ではなく、けっこう日が経って歴史があるわけなのですね。これはどちらが正しいか、素晴らしいか、ということも実は言えなくて、それぞれ多様な見方があってよろしいと思います。

新疆が中国の「周縁」として機能して、それなりの歴史的な位置を占めてきたというのは、これは否定できないと思います。そういう面は全部ではないにしてもあるわけなのです。実際私は今、もっぱら文書史料を読んで新疆の社会経済史を勉強していますけれども、あきらかにその文書というのはたとえイスラーム法廷文書であっても、そこには周縁性と申しますか、中国清朝の文書の形式の影響をある程度受けています。そこにこそ面白さ、独自性があるわけなんですが、そういう事はあるわけです。ただし、新疆という地域自体は、同時にイスラーム世界の一部であり、中央ユーラシア世界の一翼を担ってきたわけで、そういう多面性を無視してはならないと思います。

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[長田幸康]
語り部の話は本当に面白かったですよね。ちょうどチベットも英雄伝説で「ケサル大王」という伝説があって、今でもチベットに行くと語り部というのがちゃんといて、全部ストーリーを記憶して、やはりこれもどんどん内容が増えていくというのをやっているんですけれども…。まず一つ目ですが。「菅原先生のお話の中で、ウイグルとチベットはほとんど交流がなかったとおっしゃっていましたが、ウイグルとモンゴルは人為的、政治的、文化的交流はあったのでしょうか?」というご質問をいただいております。

[菅原]
 どの時代を言えばいいか分からないですけれども、モンゴルに関する情報は比較的多いです。というのは、まずそもそもウイグル人自身の歴史的な彼らのアイデンティティを見ますと、実はこれはインドのムガル朝なんかもそうですけれども、彼ら自身の、つまり帝国観とか国家観の中に、実はモンゴル帝国の後継国家の中にいたという意識が非常に強いんですね。ですから、彼ら自身、ハーンというものを上にいただいて、その下で働く。実際16、17世紀ぐらいの時期、今のウイグル人の先祖に当たる人々は、その社会の上層に、一種の貴族階級として、「馬から下りたモンゴル人たち」をいただいていたのですね。これはモグールと言いますけれども。そういう貴族たちがかつての新疆南部オアシスには存在していて、やがて彼らは完全にトルコ化して現在のウイグル人に溶け込んでいったと考えられます。さすがに現在も「俺はモンゴルの子孫だ」という人は多分いないと思いますが、そういうモンゴル・ファクターは比較的近世まで社会の中で機能していたと考えられます。まずそういうバックグラウンドがあるということを一つ挙げておきたいと思います。

それから、より直接的には17世紀初頭から18世紀ぐらいにかけては、現在の清朝になる前に、実はジュンガル部からの間接支配を受けていたという経緯がございまして、一定期間モンゴル人の支配の下にあったということで関わりを持っております。というわけで、チベットなどに比べるとモンゴルは、より今のウイグル人たちに関わっていたということが言えます。それ以外にも、トルグートというモンゴルの一部族が、コルラ市の北の方、つまりウイグル人の居住する世界のすぐ近くに現在も遊牧生活を送っております。これはつまり非常に連綿とウイグル人社会と関わりを持っていたということがあると言えるかと思います。

[長田]
ありがとうございます。例えば、モンゴルに支配された地域があったとして、もともとウイグルという名称が広く使われて、モンゴルに支配されて、悔しいとか征服されたという意識よりももしかしたら自分達がモンゴルを継承しているかもしれないという、そっちのほうが強かったとか、そういうこともある感じでしたか?

[菅原]
悔しいというのは、なかなか資料から見いだすことは難しいのですが、確かにジュンガル(モンゴル人)の支配が屈辱的だ、という意識が書かれたものから窺うことができます。それは、冒頭にふれました史料Tazkira-i’Azizanの中にですね、アーファーク・ホージャ、彼はカシュガルに壮麗なお墓が現存しており有名ですが、彼がジュンガル-モンゴル人の助けを得て、南新疆、東トルキスタンに攻め込んで支配権を確立し、その見返りにジュンガルへの多額の貢納(アルバン)を約すというお話があります。そのアルバンがムスリムにとってはもう変えようのない負い目であるというふうに、書かれたくだりがあるんですね。異教徒の統治というのはもちろん耐えがたいものだったであろうと。しかし、それと同時にこれは非常に注意しておくべきことなのですが、清朝期のイスラム教徒のインテリ達というか、ものを書く人達の意識の中に「絶対的な至高の統治者」として清朝皇帝があったこともまたこれは疑いがないんですね。つまり自分達が支配を受けているということ自体を我々は、大清帝国の臣民であるという意識は、イスラーム教徒たちの中においてさえも、一部とはいえかなり強かったということがあることは指摘しておきます。

[長田]
異教徒にもかかわらず、と言うことですね。

[菅原]
それはもちろん、モンゴル的伝統だと思いますけれども。

[長田]
ちなみに先ほどの英雄叙事詩とか、あのへんというのは今の中国では禁止はされていないのですか? 要は、昔は異教徒と戦ったというような語られるようなテキストがあったとして、そのへんって大丈夫なものなんですか?

[菅原]
あのですね、意味が分かりゃしないという話があるんですけれども(笑)、事実、シャー・メメトは華国鋒の前で叙事詩を実演したことがあると聞いたことがあります。ひょっとしたら、この叙事詩を演じたのかもしれません。まあ「公式テキスト」通りの当たり障りの無い内容を歌ったのでしょうが、それにしても、細かいところまでは実は、漢族の人たちは歌の内容にまでは注意はしていなかったのではないでしょうか。

[長田]
ありがとうございます。もう一つ、菅原先生に。「今のウイグル人達は今のチベットやダライラマ法王をどう見て、どう考えておられるのでしょうか?」ということです。

[菅原]
これはよく分からないですね。私は断片的な事しか言えません、全てのウイグル人がどうかということはもちろん言えないわけで、現在のことですからね。ただし、非常に変わってきた動きとしては、すなわち現在の急速な経済発展の中で、それに十全に対処できないというか、つまり経済発展の恩恵を受けるに至っていないという負い目がやはり少数民族内ではあるわけですね。その中で、それに対抗する急先鋒はチベットなわけで、カウンター何て言うのですか? カウンター・デベロップメントですか? そういう事の中で先進的な存在としてのチベットのムーブメントというものは、ウイグル人の中にはあると思います。ダライラマはその中の盟主であるという意識は、意識と言うか知見ですね、それはちゃんと存在していると思います。

[長田]
例えば、今のカシュガルとかに住んでいるウイグル人達って、ダライラマって、名前とか何を外でしているのかということって、知っているのですか?

[菅原]
これはかなり知っているのではと思います。

[長田]
イスラム教はあまり、歌とか踊りとかって駄目なんですよね? 確か。

[菅原]
いや、そんなことないです。

[長田]
ないですか。一般的にはあまり奨励されないみたいなことってないんでしたっけ?

[菅原]
いやいや、それはーえーと、いわゆる「原理主義者」の間で、或いは、そういうことはあるかもしれませんが、実態としてのイスラーム社会というのは、特に中央アジアの場合は、イスラーム神秘主義、タサウゥフ、スーフィズムの影響というか、その文化的な濃度が非常に高いわけですね。そしてスーフィズムというのは、ご承知と思いますけれども、トルコの例えばコンヤとかその辺での「踊るデルヴィーシュ」などの活動からご存知のようにですね、踊り、歌うというのは、これは欠かせないというか。推奨されても忌避される筋のものではなかったわけです。ウイグル人自身が歌う民、踊る民であることは、これは数多くの旅行記が昔から伝えることでもありますし、世間の意識もそういう感じになっていると思います。それは新疆のイスラーム、つまり実態としてのイスラームと矛盾するものでは多分ないですね。

[長田]
そうすると、先程の「アブドゥラフマン・ハン」。そのストーリーが、例えば今風のウイグル・ポップ、ユーポップとかがあったとして、そういうものの中に歌われたりとか、そういう展開はありますか?

[菅原]
現在のポップ・カルチャーというか、歌謡というものと、伝統文化というのは、確かに相い渉る面というものはあるでしょう。それはあるんですけれども、さすがに英雄叙事詩まで持ってくるというのはちょっと知らないです。現実にウイグルにもロックグループはあるし、非常に古典的なものであるとか、近代の詩とかを題材にとることは非常に多いですね。これはナショナリズムの一つの発露だと思いますが、叙事詩の方は分かりませんと申し上げるほかはございません。

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