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「カシュガル再訪」ワークショップ開会挨拶

以下に紹介するのは標記会議で、開会にあたってオーガナイザーとして5分ばかり時間を頂戴して私が述べた挨拶を和訳したもの(と言うか日本語原文)。実際は緊張で十全に言いたいことを伝えられなかったような気がしているので、ここに完全版を挙げておく。

なお、この私の挨拶に先立って、もう一人のオーガナイザーであるイルディコ・ベラー・ハン(コペンハーゲン大学)が同じく挨拶を述べ、会議の趣旨、組織経緯、スポンサーへの謝辞などを述べている。よって私のあいさつではそうした内容は(用意していなかったわけではないが)スキップしている。


"Coming to Kashgar in 1929 was like coming from the present to the Middle Ages, like coming to a setting for A Thousand and One Nights. ...... Nowhere in the world can one today find such a well-developed Islamic medieval society as Kashgar was in those days."
---- Gunnar Jarring

おはようございます。私は日本から参りました菅原です。ワークショップのオーガナイザーを代表して、いま一度、ここで皆様に謹んで「サラーム」を申し述べたく思います。ワークショップ『カシュガル再訪』にようこそ。

このワークショップは、傑出した学者で、かつ卓越した外交官であったグンナー・ヤーリング大使を共に思い起こすことを目的としています。そして、会議のタイトルはもちろん、大使の魅力的なトラヴェローグ『カシュガルへの帰還』にちなんだものです。カシュガルは、ご存知の通り、我々それぞれが関心を持つ地域、まちの名前ですが、ここではより大きな意味で、我々の友人である「ウイグル人の世界」すべてを指す象徴的な意味でご理解ください。

開会に当たり、ここで5分ばかり、どうか私個人のカシュガルと、ヤリング大使との関わりについてお話することをお許しください。

今日ここにおいでの皆さんの中には、私などよりはるかに長くカシュガルと、そしてヤーリング大使と濃密なおつきあいをされていた方が少なからずいらっしゃいます。そんな中での私の体験など、実にささやかなものであります。しかし、そのささやかな体験でも、私にとっては実に大きな意味を持っているということを、ここで少しお話させてください。

私が最初にカシュガルを訪れたのは1986年の8月のことです。4日間に及ぶバス旅行の末、私はひとりのバックパーカーとしてカシュガルに到着したわけですが、当時カシュガルについて何の知識も持ってはおりませんでした。

その時分はちょうど犠牲祭(Qurban heyt)の時期でした。そこで私がみたもの、聞いたものは、それがヤーリング大使の体験されたことと全く同じとは思われないのですが、それでも「アラビアン・ナイトさながら」の風景、人々、青い空、馬のいななき、茶色いトゥマン川は、若い学部学生であった私にとてつもない大きな印象を残しました。今にして思えば、そこで私はカシュガルとの出会いを果たし、それが現在までの私の人生を決定したのでした。

旅から日本に帰ってより後、私はカシュガルについての勉強をはじめ、テュルク語も学び始めました。そして数年が経ち、私はついにヤーリング大使と出会ったのです。

私は1992年と1998年に2度スウェーデンを訪問しまして、どちらも新免康さん(中央大学教授)と一緒に大使にお会いしました。そしてどちらの時も、ルンド大学図書館のエリック・ニカンダー博士のお世話になりました。ニカンダーさんは今日ここにおいでです。ニカンダーさん、ようこそお越し下さいました。皆さん、ルンド大学図書館のキュレーター、エリック・ニカンダー博士をここでご紹介させていただきます。ニカンダーさんはもう引退なさっておられますが、今日ここにわざわざお立ち寄りいただきました。心から感謝申し上げます。

さて、私はヤーリング大使に1992年にはルンド大学図書館の閲覧室で初めてお会いすることができまして、同図書館に所蔵される、大使が整理なさった通称「ヤーリング・コレクション※」を、大使ご自身のご案内で調査する機会に恵まれました。一点、一点の写本につき大使は丁寧にご説明下さり、若輩者の私としては大変恐縮したことを覚えております。

そして1998年には大使の晩年の住まいのあったヴィケンでお会いすることができました。98年、ヴィケンにはニカンダーさんが親切にもご自分の車を運転して連れて行って下さいました。ヴィケンでヤリング大使と再会した日のことは忘れられません。小さいけれども機能的なお宅に大使はお住まいで、私たちはダイニング・キッチンのテーブルを囲んでお話をしたのでしたが、大使の背後にある書架にはスタイン・オーレルはじめ、貴重書がびっしりと詰まっておりました。ヤリング大使は「みなさい、これらの本は今ではずいぶん高価な価値ある本なのですよ」と誇らしげに蔵書を指し示しておられました。これらの本は現在はイスタンブル・スウェーデン研究所、つまり当ワークショップのオーガナイザーの一人でもあるシュライター先生の監督下にあると伺いました。大変素晴らしいことだと思います。こうしたヤリング先生の遺産は、必ずやトルコやそこを訪れた外国の友人たちにとっては実に有用な助けとなるでしょう。

ともあれ、ヤーリング大使にはじめてお会いした翌年から、私は新疆に暮らすことになるのですが、そこでの2年間のなかで私に手紙をくれた知人友人はごくわずかでした(当時はインターネットなんてものはなく、手紙はすべからく郵便で交わされていたのです)。たしか、今日ここにいるジム(=ミルワード)が1度か2度、アリゾナから手紙をくれたのではないかと思います。そしてヤーリング大使。大使は私のような者の手紙にも必ず返事を下さいました。それは多分、彼の外交官としての習慣から導き出されたものだったのでしょうけれども。しかしそういう大使の丁寧なお手紙が、ひとり新疆に暮らす私にとってどんなに励みになったことか。あれから、20年近い時間がたってしまいました。

このやけに冗長な、かつドラマティックでもない私の話は次のように要約できるでしょう。今にして思えば、カシュガルとの出会いは、確かに私の人生を決めたのです。そして私は、このカシュガルの大地にかかる研究を行うものとして、ヤーリング大使ご自身と、大使のお仕事に、この上ない恩義と申しますか、負い目を感じております。それは、多かれ少なかれ、ここにおいでの皆さんも共に感じておられることなのではないでしょうか。

皆さんが今日から3日間にわたるこの会議を存分に楽しまれること、そして今は亡きヤーリング大使のお人柄とその東トルコ語に関するお仕事にあらためて思いを致すことを心から望みます。本当に今日、ここにお越し下さりありがとうございました。

よろしい、友人諸君、用意はよろしいですか?
カシュガルを再び訪れる準備はできていますか?
ey adash, emdi qaytidin Qeshqer zeminini ziyaret qilip baqamduq?
xoshal-xoram bilen mush qadirliq ilmiy yighinni ötküzeyli.
... "Azizane Qeshqer", menggu güllinip yashinisun !
カシュガル万歳!
Silerge köp rehmet !
ありがとう!


※ヤーリング・コレクション: 19世紀末〜20世紀初頭カシュガルを中心とする南新疆で伝道活動に従事したスウェーデン伝道団のミッショナリが収集したアラビア文字写本類500余点からなるコレクション。ヤーリング大使がそれら写本の統合、整理を行ったことからその名がある。)

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