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「アジア文化研究会・若手ユーラシア研究会の時代」

九州史学会イスラム文明学部会 特別企画
「アジア文化研究会・若手ユーラシア研究会の時代」
日時:2011年12月11日(日)10:30-17:00
場所:九州大学文系キャンパス302番教室


私が生まれた頃(1960s中葉)、「中央ユーラシア」地域は、まだ「塞外」すなわち「中国辺境」の文脈で語られがちな時代であった。

その時代は、まだ間野英二先生の名著『中央アジアの歴史』(1977)は出ていなかったし、中国は文化大革命が始まり、ソ連はまだとても(傍目には)元気で、新疆や中央アジアの国々に実際に出かけるなど夢想も出来なかった時代であった。そればかりか、ヴェトナム戦争チェコ事件成田闘争学園紛争よど号事件と、国内外は動乱の只中にあり、学生そして大学が現在よりは社会と関わりを持ち、また関わることを余儀なくされた時代でもあった、と言われる(くりかえすが、私はその頃に生まれたので、あくまでそれは伝聞の域を出ないのだけれども)。

まさにその頃、いわゆる「団塊」世代を中心とする「青雲の志を抱いた若者たち」は、「アジア文化研究会(略称「アジ文研」)」「若手ユーラシア研究会(略称「ユラ研」)」さらに「北陸ユーラシア研究会」といった地域、大学の枠を越えた研究会を組織し、互いに切磋琢磨する学びあいの場をもったのである。ここで築かれた人脈は今日に至るまでわが国の中央ユーラシア研究を牽引する原動力となっている。

今回の九州史学会の「特別企画」はそうした時代を回顧し、将来への展望を示すことを目的として企画されたものであるという。主催者である清水宏祐さんが「熱い会になるでしょう」と予告された通り、実に白熱した(でも、たぶん傍目には異様な)研究会となった。

まず以下にプログラムを示す::

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午前の部
清水宏祐 「趣旨説明」
堀 直「一期の夢---第1次アジ文研とその後---」
小松久男 「アジア文化研究会~塞外の青い空」
午後の部
司会 堀川徹
森川哲雄「なぜ若手ユーラシア研究会を立ち上げなければならなかったか」
片山章雄「アジア文化研究会の記録と若手の動向をたどって」
林俊雄「押立温泉、夏合宿」
休憩
司会 梅村 坦
コメント・情報提供・記憶確認:森安孝夫・真田安ほか
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懇親会二次会(ここで出席者は例外なく「本日の感想、コメント」の発言を求められた)で話した通り、私は1966年生まれ、1985年大学に入学した世代である。つまり今回の主題であるアジ文研の立ち上げの頃に生まれ、大学に入ったときにはとっくにそれらの研究会が雲散霧消していた、と言う世代と言うことになる。もっと言えば、その頃には「若手」ではなく「中堅」研究者として活躍されておられた先生方から、ひと昔前の「アジ文研」伝説を拝聴し続けた世代、と言っても良いかも知れない。当事者が語る「近過去」の伝承を断片的に繰り返し(いや本当にしつこいほどに)伺い、その「後史」を目の当たりにしつづけた、と言うのが私の研究生活の始まりであった。そういう意味で、今回の研究会は、断片的しか知り得なかった「アジ文献」をめぐる諸事実を、組織的・網羅的に当事者からきっちりご報告いただき、かつその事実の裏づけとなる「資料」を目睹し得たと言う、まことに有意義な機会であった。

当時大学院生ですらなく、学部の1、2年生(つまり「若手研究者」にすらカウントできない!)であった学生たちが、積極的にこうした研究会を組織し活発な活動を展開できた、というのは個人の資質も無視できないけれども、やはり「時代」と言うべきであろう。私などの世代から見ても、1960年代の学部学生たちは、今の同世代の学生たちと比べ、社会と積極的に関わって行こうと言う傾向がやや強かったように感じられるし、今よりは少し羽目をはずしたり、「野蛮」であることをよしとする「矜持」があったようにも思う。あまり上手な言い方はできないけれども、皆で集まって天下国家、あるいは学問的真実について議論することが恥ずかしくなかった時代、とでも言うのであろうか。私はそういうことが恥ずかしいとは(やっと今は)思わないけれども、少なくとも私の世代以降の若者は、皆でそういうことについて率直に語り合うことを「格好悪い」と思っているか、すくなくとも「格好悪いと思っている」というポーズをとろうとする傾向にあるのは否定できない。あの「団塊の若者たち」のエネルギーは見習いたいし、またその余沢に預かったことを心から感謝したいと思う。

今回の研究会で印象に残ったフレーズをいくつか以下に記しておこう。録音をしていなかったので一言一句正確な記録ではもとよりないし、誤りもあるかもしれない(だから発言者のお名前はあえて割愛させていただく)。その点はお許し願いたい。

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「研究者は一人の先生の学恩をうけ育てられた、と言う人も多いだろうが、私を研究者としてまさに育ててくれたのはアジ文研であった。アジ文研の横のつながり、友人、先輩からは本当に多くのことを学んだ。そういうアジ文研の『無償の指導』『無償の愛』には心から感謝している」

「初期アジ文研を仕切ったHとUはいわば井戸を掘った人だ。我々は彼らが掘った井戸の水を飲んだのだ」

「結果として、研究会のメンバーとして残っていくのは地道に史料を読み続けていくオーソドックスな歴史研究者ばかりであった。社会学や人類学、(歴史学でも)現代史などを専門とする学生は「気後れ」して、やがて幽霊会員となって来なくなるのである。地域としても中国史や南アジア史などは残らなかった」

「『東大(の学生)が会長では参加者が集まらない。だから会長は○○○(東大以外の学生)がするべきだ』と説き伏せられた」

「実際、アジ文研は決まりごとも役員も決めない、実におおらかな集まりだった。今は何かと役職を決めたり、お堅い規則をこしらえたり窮屈な集まりばかりでうんざりだ」

「今の学術は発展著しいが、一面でアジア研究の学生が減少し、社会の関心も低下している。昔は単著があって学位があれば問題なく就職できたが、今は相当優秀な人でも就職するのはかなり難しい時代になっている。昨今の就職難の状況に照らし、人文学、アジア研究はオールジャパンの横のつながりが必要なのではないか」

「今の日本のレヴェルならば『ケンブリッジ中央ユーラシア史』以上の通史を編纂することは十分に可能だと思う。しかし世界を意識するのであればそれは英語で書かれなければならず、また大局にたって歴史を書くためにはかなりの議論をそのために積み重ねる必要があるだろう。ことは簡単ではない。」

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上述の通り、私はこの団塊世代の方々のお世話になり、いってみれば「アジ文研のレガシー」に育てられた世代である。今もあらゆる場でお世話になり、ある意味「井戸から引いた水道水」を飲んでいるような安直な世代である。ここで先生方に対し、謹んで感謝の言葉を申し述べたいと思う。

しかしその一方で、今回の研究会は懐旧談だけに終始したようにも思われ、そのため「展望」と言う部分がかなりおざなりにされてしまったような印象を持った。過去を振り返り、事実を発掘し、記憶の共有をはかることは悪くない。しかしどこかそこには「アジ文研」の栄光の過去と、その結果としての輝かしい現在-つまり「現在の絶対的な肯定」が無意識的にではあっても前提としておかれているのではないか、という印象が拭えない。

確かに発言者のなかには「複雑な事情によって」アジア研究への社会的関心が薄れ、大学のポストも減っているという現状を憂うような発言をされた方もいらしたけれども、そういう方にあっても、その責任の一端が自分たちの世代にあるなどとは露ほども感じられておられないようであった。アジア研究への社会的関心が低くなっているのは、団塊世代研究者たちに蛸壺的な「研究職人」が多く、教養としてのアジア研究(社会への発信)を軽視してきた結果であるとの見方も出来るのではないか(参考)。その意味ではせめて今回の研究会は「反省会」とは言わないまでも、「アジ文研の時代-どこか僕らは間違っていたか?」という題目にするぐらいの度量を示されてもよかったように思う。

「展望」として示されたのは、「中央ユーラシアの通史」をケンブリッジの向こうを張って日本人が書こうと言う話であるが、ナンセンスである。いまはもう「日本の○○学」などと言うような時代ではない。世界で読んでもらうためには英語で、と言うことも結構だが、それならなおのこと狭い日本の学界という枠組みでやることではないようにも思われる。『ケンブリッジ中央ユーラシア史』の出来が悪いと言うのであれば、日本人が主導・出資して「世界中の研究者」に声をかけ、よりよい通史を書くというのが自然ではなかろうか。どうしてそこでナショナリズムが出てくるのか理解できない。

もっとも、そのどこか能天気なところが、彼ら「野蛮な不良おじさん」たちの面目躍如とでも形容すべきところであって、それはそれで彼らなりに筋が通っているのかも知れない(そして彼らの世代のそういうところを、我々はこよなく愛するものである)。


むしろ問題は我々(いや、私自身)にあるのかもしれない。

そこに居合わせた若い世代(もっとも、私は必ずしももはや若くは無いけど)は彼らの言い分をそれをただ傾聴して「勉強になりました」などと言っていてはいけないのではないか。「ふざけんな爺さんたち、勝手にいい気になってんじゃねえよ」といきりたって「新しい井戸」を掘る気概を表明すべきではなかったか。ただ漫然と人の掘った井戸の水を飲んでいるばかりでは、何も新しいものは生み出せない。我々は新しい井戸を掘る努力をすべきであり、それは時には、古い井戸を否定し、打ち壊してでも行われるべきものなのだ。

時代は変わる。そして人のつながり方や学問へのアプローチの仕方も変わらざるを得ない。横の広がりはもはやたやすく国境を越える。そして世代の垣根も以前よりもぐっと低くなってきているように見受けられる。さらに言うならば大学ばかりが「研究の場」ではなくなりつつある(と言うより大学が研究の場でなくなりつつある!)。学術研究は大学教員だけのものではなく、より幅広い枠組みで行われるようになりつつあるのではないか。そういう局面にあって、我々は団塊世代のレガシー(この場合、負の遺産?)を乗り越え、(当たり前ながら)自分たちの手でそれらに対峙していかねばならない。

いささかまとまりに欠けるけれども、以上が九州まで行って見届けた団塊世代の「お祭り」への私なりの感想である。総じて個人的にはさまざまな意味で有意義な体験であった。

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