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ワークショップ「『新疆問題』を越えて(Beyond 'the Xinjiang Problem')」(2011年11月3-4日、オーストラリア国立大学)

Workshop, Beyond 'the Xinjiang Problem'
主催:オーストラリア国立大学パン・アジア研究所
後援:(合衆国)インディアナ大学、オーストラリア国立大学中国研究所、同政治・社会変動学部、モナシュ大学アジア研究所、タスマニア大学。
会期:2011年11月3-4日
会場:Hedley Bull Centre, ANU.
オーガナイザ:トム・クリフ(オーストラリア国立大学)、アイシェム・エリ(タスマニア大学)、ガードナー・ボヴィウンドン(インディアナ大学)

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ケント・アンダーソン氏(主催者ANUを代表して)のOpening Address。スクリーンに映っているのはインディアナ大学側のオーガナイザー、ガードナー・ボヴィンドン。


2009年7月のウルムチ事件をひとつのピークとして、「新疆問題」はいまや国際的な問題として、一定の社会的認知を受け今日に至っているように見受けられる。以前に比べ新疆に関する興味、関心は飛躍的に増加を見せており、わが国でも新疆に関する記事や出版物、そしてイベントを目にする機会は確実に増えている。その一方で、こうした新疆への関心がいささか単純化された認識、ーつまり事態全般を「漢族」対「ウイグル人」の「民族対立」の問題にのみ特化する形で捉えたり、大国「中国」の「世界戦略」とそれに対抗する国際社会と言う二分法的な構図の中でのみ事態を考えようとする傾向ー、に基づく面があることもまた否定できない。こうした状況にあって、学問はいかに現下の状況に対峙し、これを乗り越えていくことが出来るのか。(あくまで私個人の解釈だけれども、たぶん)こうしたコンセプトのもと、先週オーストラリアはキャンベラで『新疆問題を越えて(Beyond'the Xinjiang Problem')』と題する国際学術会議が開催され、私も歴史学の立場から、(コンセプトに照らし、さして役に立ちそうにも無い)拙い報告をさせていただいた。以下はその簡単な報告である(なお、より詳細な報告をいずれ紙媒体でも発表する予定である)。

この会議については1年前のCESSミシガン会議の際にオーガナイザーのアイシャム・エリから概要を聞き、その後公式に招請の通知をもう一人のオーガナイザーであるトム・クリフから受け取った。他でもない「新疆研究」の会議であると言うこと、かつ以前(シドニー五輪より前だから、もう10年以上も前に)「モリソン文書」で関わり(といささかの負い目)を持ったオーストラリアでの開催と言うことで、私は万障を繰り合わせ(!)嬉々として参加することとした次第である。

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今回のワークショップ会場Hedley Bull Centre。

まず、以下に会議プログラム(和訳)を挙げる。なお人名の読みは便宜的なもので忠実な読みかどうかは(所詮カナなので)疑わしい。またペーパーのタイトルも便宜のために「超訳」してみたもので間違いもあるだろう。正確な原綴や原題はここを参照していただきたい:

【1日目】(公開)
■パネル(1): 清朝史

ディスカッサント:ルイ・マヨ (メルボルン大学)
チェア:ジェームズ・レイボルド (ラ・トローブ大学)
・ディヴィド・ブロフィ(ANU) 「衙門ウイグル:清朝期新疆の忠誠の言語」
・アンソニー・ガノー (メルボルン大学) 「誰の『新疆』か?:新疆史に関する甘粛からの視座」
・ローラ・ニュービー(オクスフォード大学)「清朝西北辺境の奴隷」

■プレゼンテーション:カシュガル・プロジェクト
チェア:ディヴィド・ブロフィ (ANU)
・マリカ・ヴィザニ (モナシュ大学) 「カシュガル・プロジェクト:文化遺産と雇用創出?」

■パネル(2):教育
ディスカッサント:アンドリュー・キプニス (ANU)
チェア:ジャスティン・ティゲ (メルボルン大学)
・チェン・ヤンビン (ラ・トローブ大学)「もうひとつの新疆少数民族教育エリート集団へむけて?」
・ティモシー・グロース (インディアナ大学)「中国西北部を去る『孔雀たち』とウイグル人」

【2日目】(参加登録者のみ)
■パネル(3):現代政治

ディスカッサント:ジェームズ・レイボルド (ラ・トローブ大学)
チェア:TBC
・マイケル・クラーク (グリフィス大学) 「新たな新疆地政学へ向けて?」
・ディヴィド・オブライエン (コーク大学) 「山は高く皇帝は通し:いかに王楽泉は誤りウイグルと漢を接近せしめたか」

■パネル(4):社会史
ディスカッサント:ジョナサン・アンガー
チェア:アンソニー・ガノー (メルボルン大学)
・トム・クリフ (ANU) 「オイル・エリートの伝説と野心」
・サンドリヌ・カトリ (インディアナ大学) 「文化大革命下の新疆」

■パネル(5):アイデンティティ
ディスカッサント:タマラ・ジャカ
チェア:ディヴィド・オブライエン
・ジョアンナ・スミス・フィンリー (英ニューカッスル大学)「トルキスタン・ラブソング、『新フラメンコ』そして新疆都市部における『世界市民』の生成」
・アイシャム・エリ (タスマニア大学) 「漢からウイグルへ:新疆哈密におけるエスニック・アイデンティティの形成と融解(1880s – 1980s)」

■パネル(6):殉教者たち
ディスカッサント:ジャスティン・ティゲ (メルボルン大学)
チェア:アイシャム・エリ (タスマニア大学)
・菅原純 (東京外国語大学) 「膨張した『殉教』の記憶:アブドゥラフマン・ハン伝説の生成と発展」
・ジョシュア・フリーマン (新疆師範大学) 「ルトプラ・ムタッリプ:誰の殉教者か?」

今回はインディアナ大学との共催で、スピーカーにはインディアナ大学の大学院生が複数名参加していたし、会議冒頭に行われた開会式はインディアナ州ブルーミントンとのヴィデオ会議の形を取った。オーガナイザーのひとり、インディアナ大学のガードナー・ボヴィンドンはブルーミントンのオフィスから開会に当たって挨拶を述べ、彼と久しぶりに会えるかと思っていた私としてはいささか残念であった(もっとも、ガードナーは、出席者ひとりひとりの近業について挨拶のなかで言及すると言う、彼らしい細かい気配りを見せていた)。それにしても今やテクノロジーの発達でこういうことが痛痒無く行えるというのは素晴らしい。

オーガナイザーのひとりアイシャム・エリ(タスマニア大学)の挨拶は、新疆をめぐる国際会議のこれまでの動きにつき言及し、現下の新疆の情勢により彼女の企画した現地開催の会議(新疆大学とドイツのマックス・プランク研究所の共催による会議)が2度にわたり中止を余儀なくされ、新疆研究に関する会議の現地開催が実に困難であること、今般オーストラリアでこうした会議が開催できたことが率直に喜ばしいことなどを述べた。その流れで彼女が、我々が2008年に新疆大学で開催した「マザール・ワークショップ」にもふれ、それが例外的な快挙であり、じつにうらやましい、と述べていたのはいささか面映かった(実際、我々の会議は、今にして思えば「台風の目」からロケットを発射するように奇跡的なことだったのだ。つくづく我々は幸運に恵まれていた)。

会議報告の具体的な内容はとにかく多岐にわたり、これを総括するのは実際かなり厄介なことである。個別報告の紹介はこれからまとめる予定の紙媒体版に譲ることとして、ここでは特記すべき個別報告と全般的な印象についてのみ、少しだけ申し述べることとしたい。


【新疆史を扱った報告】

まず今回のワークショップで「歴史枠」と見なしうる報告はブロフィー、ガノー、ニュービー、クリフ、カトリ、そして私の6報告であり、これはパネル報告全体の半分を占めており、歴史学は量的にはまあ健闘していると言えるだろう。注目すべきは扱った時代で、さきの3報告はパネル題目どおりの清朝史研究であるが、クリフ報告はコルラの油田開発に従事した「オイル・エリート」のインタヴュウに基づくライフ・ヒストリー、カトリ報告は共産党幹部のメモワールから文化大革命にアプローチした研究で、新疆史もついに「解放」後の時代を射程に置いた研究が登場しつつあるということは注目されよう。こういうかなり新しい時代を扱った研究は(なにしろ、あまりにも扱う時代が新しいので)具体的な研究の手法や史料の扱い方が十分に確立していない。そして往々にして利用できる情報(史料)はバランスの取れたものになかなかなりにくい、厄介なものである。その意味において現代史なるものがジャーナリスティックなもの(つまりノンフィクション)を離れて成立しうるかどうかということは常に難しい問題をはらんでいると言える。お二人の今後の研究の発展に大いに期待したい。

話は前後するが「清朝史」パネルのうち、清朝期の言語翻訳事業を扱ったブロフィー報告は、博学な同君らしい多くの言語への知識に裏打ちされた周到な報告であった。清朝が回部(のち新疆)のテュルク語をどうさばいていたかという問題については、热扎克・买提尼牙孜編になる『西域翻译史』(新疆大学出版社, 1997)の第五章(pp.210-225)にも一定の記述があるが、ブロフィー報告はそれをさらに詳細にしたものともいえる。実際、清朝がかくも複数の「翻訳装置」を有していたとは不明にして知らず、大いに興味を覚えた次第である。

またニュウビー報告は清代新疆における「奴隷bondage」の実態に関する報告。「奴隷」の意味する範疇が、果たして当時のチャガタイ語文献のどれに相当するか今一つ分からず少々不満が残った。しかし清朝史料から窺われる範囲ではその「奴隷制」(?)がどうやらヤークーブ・ベグ時代を画期として衰退していった、との指摘はこのうえなく面白い。近代史の一つの「転換点」としてヤークーブ・ベグ政権を考察するうえで、それが奴隷かどうかはさておくにしてもニュウビー報告は忘れずにおくべきであるように思われた。

なお、私の報告は個人的には古いテーマで、例によってホタンの口承文芸と歴史の関係について論じた。この報告は私としては今回の報告をもって「卒業」のつもりで、このワークショップ成果論集で論文を発表することで一段落をつけたいものだと思っている(このトピックについてはいずれこのブログ上でも書く予定)。


【歴史以外の報告】

歴史以外の報告としては、やはり文献に依拠したものとして、私と一緒にパネルを組んだジョシュア・フリーマン君(新疆師範大学)の報告は夭折したウイグル詩人ムタッリプを扱った非常に詳細な研究であり、利用した文献は膨大でたぶん遺漏はあるまいと思われる。ついにウイグル現代文学を文献学的な裏付けの上で論じられる研究者の登場を素直に喜びたい。以前もこのブログで書いたように、フリーマン君は前述のマザール・ワークショップ(2008)でも通訳として大活躍してくれ、また9月のCESS@オハイオでも再会の機会に恵まれた。彼の研究は私の個人的関心としてはストライクであり、今後生産されていくであろう彼の研究には注目していきたい。

さらに「教育」パネルのチェン、グロース両名の報告は、いずれも昨今のウイグル人子弟を内地に送り漢語教育を施す「新疆班」に焦点を当てた研究であった。この「新疆班」をめぐっては様々な意見があるけれども、実態として新疆班の卒業生(これを漢語メディアで「孔雀Peacock」に例えられたことがあるということも初めて知った)には新疆に帰らずに内地で就職する傾向が強い、とのグロース報告は実に興味深かった。またこうしたプログラムがひとりウイグル人だけを狙い撃ちにしているわけではなく、「西蔵班」などにみられるようにほかの少数民族にも存在し、当局側の見方としては就学機会の平均化のための全国的なプログラムの一環としてみることも可能だ、ということも両名の報告で再認識した次第である。


■ ■ ■


個別報告を見回して興味深かったこととしては、利用する史料やディシプリンによって「新疆研究」が実に多彩な像を取り結ぶものなのだ、と言うことが(今さら、ではあるが)よく理解されたことである。実際、当ワークショップのメニュウを通覧しただけでも、当地域の捉え方が冒頭で述べたような「単純化」や「二分法」で説明できるものではないことは十分に窺い知ることができる。これら個別研究の多くは周到な文献の裏付けをベースとして手堅い手法で取り組まれたものが多く、新疆研究の今後の飛躍的発展を十分に期待させるものであった。その意味でこのワークショップは有意義なものであったということができよう。

しかしながら、当ワークショップについて、いくつかの点で残念なこと、反省すべき点があったことも同時に付言しておかねばなるまい。

まずワークショップ自体の内容について、いくつかの報告やコメントはいくぶんレヴェルが低かったように筆者には感じられた。たとえば第一日目に行われた「プレゼンテーション」はモナシュ大学と新疆師範大学の「カシュガル・プロジェクト」※の概要を紹介するという趣旨の筈であったが、プレゼンターは都市カシュガルに関する先行研究に対する知識を欠いており、学術的背景のない美麗な写真を単に紹介するだけというようなお粗末な内容であった。また何人かの討論者のコメントもトピックに対する正確な理解をいささか疑わせるもの、ユーモアと言うにはやや品の悪い、不真面目とも取れそうなものがあり、筆者としては、これが「オーストラリア流」というものなのかと軽いカルチャー・ショックを受けた気分になった次第である。あるいは私は生真面目過ぎるのであろうか。

また、当ワークショップの成果の取りまとめも、その場では検討課題とされたものの、結局それは行われないこととなった。(私の報告は別としても)せっかく質の高い、魅力的な報告が出揃った得がたい機会であったにもかかわらず、その成果が一書にまとめられないというのは至極残念なことである。オーガナイザーにもそれなりの事情がある(ひとりは別の大学への移動が決まっており、もうひとりは学位論文の執筆の渦中である)ことは十分に理解するけれども、もう少し鷹揚に対処できなかったものかと今でも悔やまれる次第である。

以上、今回のワークショップ参加は実に赤道をまたいで4泊2日(うち機内泊2日)というハードなスケジュールではあったが、オーガナイザーのホスピタリティに支えられ、実に充実した2日間であった。さらに1日目の会議の後の夕刻のひととき、郊外の小山を散歩して、そこらじゅうにいるカンガルーを横目に眼下の平原と沈む夕日を眺めるという、いかにも豪州的な「プチ・アウトバック体験」も経験させていただいた。私にとりオーストラリアは初めてではないが、平原の景色がクルグズスタンなどの平原の風景に実によく似ていることは新発見であった。オーガナイザーのトム、アイシャム、そして現在ANUに所属し皆にあれこれ世話を焼いてくれたディヴィドにはまずもって心から感謝したい。

※このプロジェクトの成果がかつて当ブログでも紹介した写真集Kashgarである。ブログでも言及したように、この本そのものは写真、解説ともにリーズナブルで有用である。

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「カンガルー・ウォーク」。カンガルーでも見ないことにはオーストラリアに来たことが実感できないであろう、との主催者の暖かい心配りに感謝。


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