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「元バカ学生」の「立ち位置」

連休明けの本日は青山学院大学(相模原)で基礎演習と原典講読の授業をこなす。

今年度は東洋史コースの、中国史以外の学生を主たる対象とする基礎演習を担当させていただいている。卒論につながる史学科の「基幹的」な講義であるからして、責任は重大だ。なんだかクラスの「担任」を引き受けたような気分である。来年のゼミを担当なさる先生方の足を引っ張ることのないように、学生諸君にはできるだけのことを学んでもらって、(相模原から)青山に行っていただきたいと念じている。そのためには「よい授業」、「自分が受けたかったような、面白くてためになる(月並み、紋切り型でゴメンよ)授業」をしなければならない。

これまでも私は「自分が受けたかったような授業」をしようと心がけてきたつもりである。「つもりである」というのは、実際それが難しく、授業のあとで「いやこんな授業は俺でも眠くなる」と自責の念に襲われることがしばしばだからである。大学で人を教えるようになってはや10余年。いつも授業をめぐっては後悔してばかり。なかなか成長を実感することができない。

そういえば昔、NHKの『シルクロード』でカシュガルの職人街が紹介され、そのなかで金細工職人(ゼルゲルチ)のおじさんが「こうやって長く仕事を続けていても、なかなかこれだというような出来のよいものが作れないなあ」とこぼし、もう一人のおじさんが「そう、それが職人だよ」と答えるという場面があった。実際に彼らがどうウイグル語で話していて、それが正確な訳であったかどうか気になるけれども、その「訳」された台詞はなかなか含蓄があるように思われたものだった。

「教育職人」であるところの教師もまたそういうものかもしれない。なかなか快心の名講義をなすことはかなわず後悔の連続。よって「ベター」を目指し修練あるのみである。

さて、私は学生の時分からよい先生を探す「アンテナ」が折れていたのか、あるいは本来ならば面白い授業を面白いと思うほどの資質に欠けていたのか、ともかく「いい授業だなあ」と思えるような授業は数えるほどしか受講できなかった。そう、少しはそういう授業はあったのだが、えてしてそういう授業は自分の専門の授業ではなかったりした。

たとえば、在学当時、学生の絶大な人気を誇っていた倫理学の小原信先生の授業は文句無く面白く、嬉々として授業を拝聴し、膨大な数の課題図書を読み、ばりばりレポートを書いた。また経済史の石川操先生を通じて私はマックス・ウェーバーと出会った(あいにく先生からは「C」を頂戴したけれども、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の精緻な理論には大変しびれた。後年それは誤解だったと思い至るのだけれども)。しかし、肝心の歴史学の授業では(たくさん出たのに)知的興奮をおぼえることはほぼなかった※。

私は自分の母校の教育の貧困を非難しているのではない。若い時分の私自身の迂闊さをここで嘆いているのである。

じっさい青山学院の史学科は、(あまり知られていないけれども)昔も今も極めて「贅沢」な講義メニューを提供している学科である。専任教員の数はまあ他の私学と変わりないけれども、非常勤教員の数は半端ではなく(確か数年前は100人以上いたはずだ)、毎年若くて元気のよい講師陣が学界最先端の知見を携え教育に邁進しているのである。このことは史学科の長老である気賀健生先生(英国史)が「史学科の誇りうるべきこと」として毎年我々講師陣に強調されていることであるが、実際その通りだと思う(他の大学の史学科の状況はいかがなものだろう。なお青山学院大学文学部史学科の総学生数は5-600人といったところである。)。

この大学の学生が享受できる学びの環境は実に多彩なメニュウに満ちており、それは私が学部生の頃だって同じであった。しかし私はその贅沢さが全く理解できておらず、地域やディシプリンを越えて学ぼう、などという(殊勝な)貪欲さも持ち合わせてはいなかったし、受けたそれぞれの授業の意図を理解する頭も持ってはいなかった。私は月並み以下の「バカ学生」だったわけである。

と、言うわけで私の授業をつまらなそうに聞いている学生(いや、彼らはかつての私と違い全然「バカ学生」ではないですよ!)の気持ちが私には大変よく分かる。自分の狭隘な(ゴメン)関心の範囲から外れるようなトピックはそもそも興味がわかないし、何とかその場をやり過ごせればいいな、と考えているのだと思う。史学科にいるのも、たまたま世界史の点がよく取れたから、漠然とした気持ちから史学科を受験しただけだし、学問に正面から取り組もうなんてなんだかカッコ悪い感じがする。しかしその一方で、何か面白いものは無いか、どこかにわくわくするような、新しい世界が開けていくようなことはないか、とぼんやりと願ってもいるようにも見受けられるのだ(えっそれ誤解??)。

そう言う漠然とした願い、潜在的な欲求に応えられるような授業をできれば提供してみたい。

それは、彼らと世代は違え同じ学窓で「退屈な時間」をあきれるほどに経験した元「バカ学生」であるからこそ出来ることなのではないか、などと私は愚考するのである(今だってまあバカだし)。正直な話、いま私が対峙している学生諸君は四半世紀前の私よりは素直で頭もよくポテンシャルは高い。正しい鍵さえ見つけられれば彼らの知の扉は一気に開くはずである。そして、そういう彼らに「決して満足しない職人」のような姿勢で向き合うというのが今の私の立ち位置と言うものなのだろう。

来週もきばるぞ。


※例外は3年の時に当時非常勤で出講されていらした小牧昌平先生(イラン史、上智大学教授)である。当時「新進気鋭」の小牧先生の実践的な「技術」オリエンテッドな授業は、当時偶々そういうものを欲していた私には「ストライク」だった。また、青山に引きこもっていた学部生の私を、イスラーム研究者の先輩方に引き合わせてくださったのも小牧先生である。そういう大恩ある先生には実に四半世紀にわたり無作法をしていることに今更ながら思い至った(先生、お許しください)。

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