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素晴らしき哉!野尻湖クリルタイ

第48回野尻湖クリルタイ[日本アルタイ学会](7/16-18)の案内が届いた。さっそく出席の返事を世話人あてに送信。あわせ「20世紀初頭カーシュガルにおけるワクフ-その規模と分布」という題目で報告を行いたいむねお願いし、承諾していただいた。

クリルタイは昨年欠席したため二年ぶりの参加である。

ここ数年、野尻湖クリルタイは「中央アジア」離れが進んでいる。今般いただいた「第一次案内」にあった報告は満州、モンゴル、突厥、チベット、金、といったラインナップであり、こうした傾向はわりと長く続いている。最後にイスラーム研究者が賑わいを見せたのは、佐口透先生がお亡くなりになった翌年の記念シンポジウム(2007年)のときではなかったろうか。

今回もいまのところイスラーム化以後の中央アジアに関する報告は私だけのはずなので、聴衆は新疆にさほどの関心もお持ちで無い方々であろう可能性が高い。

私が参加し始めたころ(修士課程のころだから20年以上前!)、クリルタイの会場はいわゆるクラシック・ホテルとして知られた、今は無き「野尻湖ホテル」だった。そこでは中央アジアどころか中東を専門とする先生方も結構参加されておられて、報告のメニュウもずいぶん多彩なものであったと記憶している。また当時は日程も3泊4日で、3日3晩いろんなことを話し学ぶ、経験の浅い学生にはまことに貴重な時間だった。

実際クリルタイではいろんな人と知り合い、またさまざまなことを学ばせていただいた。私にとっては、学問がいわゆる「蛸壺」であってはならず、そこから出て360度まわりを広く見通すような視点が必要だということを「実感」として学ばせていただいたのは、ひとえにクリルタイのおかげである。もっとも必ずしもその「学び」が、十全に私の書いたものや行いに反映されているとは言いにくいけれども…少なくとも「自覚した意識」として、そういうことを学ぶ機会を与えてくれたクリルタイという集いには感謝している。

誰かの言葉ではないけれども、まるで「雲の上のように思えた」偉い先生方と直接お話できる稀有の機会として、クリルタイは正しく学びの場だった(同じ誰かの続きの言葉は「そういう雲の上の存在に思えた先生方が、久しぶりにクリルタイに参加したら本当に雲の上に行ってしまっていた」だった。あららー)。活字でしかお目にかかれまいと思っていた「碩学」に、手を伸ばせばそのはげ頭(失礼!でも別に誰ってわけじゃないですよ)に触れそうなぐらいお近くで親しくお話を(しかも、時にはかなりのバカ話を)お酒を酌み交わしながら伺うことができる機会なんてそうそうあるものではない。夜も更ければそういうところのお話は枝葉末節ではなく(なにしろみんな睡眠不足だし酔っ払っているから)、ものごとの核心的なお話であることが多く、それはときに昼間の研究報告以上に自分の中に残るのである。

最近の出席者の顔ぶれが先に挙げたような分野の方が多いのは、今の世話人の諸先生方の専門が反映されているのかもしれない。また、中央アジア関係の研究者集会である「まつざきワークショップ」が春に桜咲く伊豆松崎温泉で開催されている、と言う事情もあるいは関係しているかもしれない。確かに中央アジア関係の報告は少なくなっており、報告プログラムのメニュウをみて「あまり自分と関係ありそうなテーマは無いからいいや」と参加を見合わせるということはあるだろう。

しかし、実はクリルタイはただ報告を行い夜に長い(長ーい)懇親会があるだけの集まりではない。「コンフェッション」(いまだにその正確な語義をつかみかねている。「懺悔」か、はてまた「告白(今風に言うなら「カミング・アウト」?)」か?多分両方?)と呼ばれる、自分の最近の仕事や目下の研究テーマにつき参加者全員が「報告」する機会が設けられていることを忘れてはならないのではないか。

コンフェッションはただの「自己紹介」ではない(実際、最初の晩の夕食にそういう機会は別に設けられている)。「長老」級の研究者から学部学生にいたるまで、専門と世代が比較的ばらけた学徒たちが、等しくそれぞれの「いま」を学術と言う視点から開陳するユニークなプレゼンテーションなのである。その年のコンフェッションを聞くだけで、いまわが国の「アルタイ学」(便宜的にこう呼びます。クリルタイ参加者全員の専門領域を束ねる他の言い方もないので)の動きを知ることができ、少なくとも私は毎回小さからぬ知的興奮を覚えて帰宅の途につく。コンフェッションこそがクリルタイの肝とも言うべきものであって、極論を言えば、クリルタイにおいて個別報告は「やや長いコンフェッション」に他ならず、コンフェッションぬきのクリルタイは考えられない。

そのことを、すっかり足が遠のいてしまった方々はお忘れなのではないか。

「ただそういう集いをだらだら続ければいいものでもない」とか「わが国の学術研究において、クリルタイは一定の役割を果たし終えた、もういいではないか」とか、あるいは単に「忙しくて、とても野尻湖まではいけない」と言う声も私は別々の場で人からじかに聴いたことがある。私も惰性でただものごとを続けていくことがいいとは全然思わないし、確かに暇ではない(家では小さいわが子の世話をしなければならないし、雑用、原稿も山積みだ)。

しかし、クリルタイのような枠組みの集いは代替不能である。今学問(と言っても私のような狭量な人間のまわり限定だけど)の世界を見渡して、どこに(少なくとも、原則的には)クリルタイ以上の参加者の広がりを持ち、また落ち着いて、自由闊達に学問の話ができる場があるだろうか。クリルタイが続いているのは決して惰性ではないと私は思う。クリルタイと言う集いに多少なりとも世話になり、愛着を持つ、クリルタイを「素晴らしい!」と思える人たちがいるからこそ、この集いは続いているのである。

以上がいま、クリルタイに寄せる私の思いの「コンフェッション」である。まあこの場合の語義は正しくConfession of Faithのごときものかもしれないな。

また、今年に関して言えば、東日本大震災ならびに同時期に発生した長野県北部地震の影響により、長野県への観光客が著しく減っていることを指摘しておきたい。研究者の中にもあるいはボランティアなどで直接被災地の支援に動いておられる方もいらっしゃるかもしれない。しかし一般に研究者(とりわけ人文系の研究者、しかもアルタイ学!)が研究者の立場で被災地の復興支援に具体的に関わっていく、ということは考えにくい。せめてクリルタイに積極的に参加することで、毎年夏の繁華な時期に貸切で会場を格安で提供してくれている藤屋旅館さんの大恩に報いてみてはどうだろうか、とも思うのである。そう、上段で私がいい気になって書いたクリルタイの意義は笑い飛ばすにしても、藤屋さんのためだけでいいから、皆さん今年のクリルタイにご参加してはいただけまいか。

ともあれ
クリルタイ参加予定者の皆さん、7月に野尻湖でお会いしましょう。

第48回野尻湖クリルタイ開催のご案内(第一次案内) ←私も上記題目で報告します。
第45回野尻湖クリルタイ(当ブログ記事)

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