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果てしない現代ウイグル文学


その長旅に乗り出したとき、私たちは若かった,
(しかし時は流れ)今や私たちの孫が馬に乗る年となった。
その困難な旅に乗り出したとき、私たちは少数だった,
(しかし)沙漠に足跡が残り、今や我々は大キャラバンと讃えられる。
沙漠の中で、時には峠で、さらに足跡は残った、
すばらしい獅子たちは沙漠の荒野で墓もなく(骸を)残した。
墓が無いと言うな、その紅柳が色づいた野では、
春には花が一面に咲くだろう、その我々の墓では。
足跡は残る。志は残る。長きにおいてはすべてが残るだろう、
突風が吹こうとも、砂が舞おうとも、我々の足跡は消えない。
キャラバンは決して止まらない、どんなに馬がやせていようとも、
(そして)ある日、この足跡を見つけることだろう、私たちの孫が
あるいはひ孫が。

(アブドゥレヒム・オトクゥル『足跡』より)


「現代ウイグル文学」は果てしない。

と言っても現代ウイグル文学がそれだけの奥行きを持っている、と言う文ではないので悪しからず(いや、そりゃ奥行きはあるでしょうけど)。ここで問題にするのは「私の文学的素養の無さ」と言う問題である。やる気と知見と能力を決定的に欠いている私にとって、「現代ウイグル文学」は限りなく遠く手が届きそうに無い、と言うお話なのだ。

ここ半年以上というもの引っかかっている懸案として、明石書店から刊行が予定されている『中国イスラムを知る60章』の分担執筆箇所がある。私は(大雑把なテーマとして)「現代ウイグル語と文字改革」、「テュルク語契約文書」、コラムそして「現代ウイグル文学」という3章1コラムの執筆を担当しているわけであるが、最後の「現代ウイグル文学」にかなり手を焼いている。人は時につまらない小さなことにつまづいて、それが大惨事を招くということがある。僅か2800字程度の「現代ウイグル文学」に関するエッセイは、まさに私の「つまづきの石」である。こいつのせいでほかの仕事もサッパリはかどらず、とうとう妻にも「ちゃんと家事をしろ」と叱られ、妻の尻馬に乗る息子にも「かばー、ばかー」と怒られた。すべて「現代ウイグル文学」のせいである。かばー、ばかー(やつあたり)。

そもそも編者が私になぜ「文学」をと思ったのか不明である。これまで文学については公刊された文章は何も出していないし、文学についての「熱い思い」を人に語ったことも無い。ウイグル人の書いた小説を真面目に読んだこともなければ、現代詩を読み味わったことも無いのだ。2800字の記事を面白く書くなんて出来ようはずも無い。ことばや歴史については人がうんざりするぐらい言いたいことも書きたいこともある(多分みんなうんざりするのを知っているのであろう。賢いやつらだ)。しかし文学となると話は別だ。たぶん私は文学と言うものを理解する能力が無いのであろう。読みたいとも、何らかの論評を加えようとも思わない。

かつて現代ウイグル文学を牽引する作家アブドカーディル・ジャラーリディンは多分そういう私を見抜いていたのであろう。自著に「菅原はウイグル人を頭で理解はしているが、ハートでは理解していない」と書いた(これホントの話)。それは多分正しいのであろう(この件についてはいずれ一文を書きたいと思っている。「新疆・ウイグルをめぐる日本人論」とも結びつきそうな、現象論?的に興味深いお話だから)。

執筆分担「現代ウイグル文学」はきっと勘違いだ。編者は「現代ウイグル文字(もじ)」について書けと言っているに違いない、と思ったが、改めて見ても依頼状には「文学」と書いてある。だめか。

現代ウイグル文学について勉強しなかったわけではない。よって上っ面をなでたような現代ウイグル文学事情ならまあ書ける。試みに、ここでそういう「上っ面」の文章を以下に書き出しておこう。私目に「これではダメだ」と思った「没原稿」である(もったいないのでここに上げときます)。

◇ ◇ ◇ ◇

ウイグル「民族文学」の現在

ウイグル人の現代文学と「文壇」の歴史と現状についての研究は未開拓の分野であり、わが国はじめ海外の研究は言うに及ばず、当事者である新疆の側からも個別の作品を顕彰したものや作家人名録、作品事典のようなものはあるが、ウイグル文学を研究対象とし分析検討した研究はきわめて限られているように見受けられる。そのため、どういうトレンドがあり、またどういう主張があり、個々の作家の作風にはどういう傾向が認められるか、というような議論が当然なされるべきであるが、それに関する情報は現状ではきわめて限られている。従って、ここではごくざっと主要作家とその作品について、現在知れる範囲でのあらましを紹介することとする。

まず詩歌は伝統的なイスラーム文学でもっとも発展した分野であり、新疆のウイグル人世界においても「文人」のたしなみとして詩作はすこぶる盛んである。古典的なチャガタイ語詩から「現代ウイグル語」詩への過渡期を経験した20世紀の第一世代としては、トゥルファン出身の著名な教育家で「憤怒と渇望(Ghäzäp wä zar)」「覚醒(Oyghan)」「断たれぬ望み(Üzülmas ümid)」等の詩作で当時の社会矛盾を突き、変革を訴え、志半ばで盛世才により処刑されたアブドゥハリク・ウイグル(Abdukhaliq Uyghur, 1901-33)、1930年代のカシュガル革命運動いらい、『新生活』、『新疆日報』、『喀什日報』等の新聞を舞台に第一線のジャーナリストとして活動を行なう傍ら、「故郷のために(Yurt-äl üchün)」「教導(Tärbiyät)」などの詩作および散文「ラダックへのキャラバン(Ladakh yolida karwan)」で高名であったエフメド・ズィヤイー(Ähmäd Ziya'i, 1913-89)、イリのニルカ出身で祖国としての「中国」を讃える詩などで知られる夭折の詩人ルトプッラ・ムタッリプ(Lutpulla Mutällip, 1922-45)らがいる。

これに続く世代としては、「戦士たるわが兄へ(Jängchi akamgha)」「婚礼(Toy)」「尽きせぬ歌謡(Tügimäs nakhsha)」等の作品が知られるテイプジャン・エリヨウ(Telipjan Eliyow, 1930-89)、「土くれ、春そして私(Tupraq, bakhar wä män)」「春の歌(Bakhar nakhshisi)」など春や自然への賛歌を得意としたアブドケリム・ホージャ(Abdukerim Khoja, 1928-88)、中国現代詩において流行した「朦朧詩」をウイグル詩に導入したアフマディジャン・オスマン(Ahmadjan Osman, 1964-)やアブドカーディル・ジャラリディン(Abduqadir Jalalidin, 1964-)他多数の詩人が知られている。これらの詩人は『タリム(Tarim)』『テングリ・タグ(Tängri tagh)』といった1980年代以降に続々と刊行された文学雑誌や詩集によって自分たちの詩を発表したのである。

次に、小説に目を向けると、現代ウイグル語の長編小説は歴史を題材にとったものが多く、その先駆的作品と言われるのがケユム・トルディ(Qeyyum Turdi, 1937-2000)が自身の体験に基づき、「解放」前後のカシュガル地方の状況を描いた『戦闘の年代(Küräshchan yillar)』である。ついでゾルドゥン・サビル(Zordon Sabir, 1937-1998)の『アウラルの風(Awral shamalliri )』、『探索(Izdinish)』がつづき、特に文化大革命期の社会矛盾のなか、苦悩する若き知識人たちの生活を扱った『探索』はよく読まれた作品である。また著名な政府指導者のサイピディン・エズィズィ(Säypidin Äzizi, 1915-2003)もイスラームを受容した伝説的君主を題材とした歴史小説『サトゥク・ブグラハン(Satuq Bughrakhan)』を著している。

しかし20世紀最大の小説家として別格で明記しておくべきは何と言ってもアブドゥレヒム・オトクゥル(Abdurehim Ötkür, 1923-95)であろう。作家自身の体験に基づき、ハミ蜂起の経過を活写した『足跡(Iz)』(1985)、『目覚めた大地(Oyghanghan zemin )』(1988-94)はウイグル知識人の強烈な反響をよび、前者の序章部分の韻文『足跡』(本文冒頭をみよ)は今でも歌謡として愛唱されている。

それ以外に著名な長編小説としてはエヘット・トゥルディ(Ähät Turdi, 1940-)の『忘れられた人々(Untulghan kishilär)』、エベイドゥッラー・イブラヒム(Äbäydulla Ibrahim, 1951-)の『夜の稲妻(Tündiki chaqmaq)』、ヘウィル・トムル(Khäwir Tömür, 1922-1992)の『アブドカーディル・ダーモッラーの物語(Abdqadir Damolla häqqidä qissä)』、そしてパルハト・ジラン(Parhat Jilan, 1945-)の『マフムート・カシュガリー(Mähmut Qäshqäri)』(1994)ほか多数がある。

一方、中・短編小説は、長編小説が歴史を題材にとったものが多いのに対し、現実を描写した社会性のある作品が叙述される傾向にある。代表的な作家としては前述のゾルドゥン・サビル、エヘット・トゥルディのほか、メメティミン・ホシュル(Mämätimin Khoshur, 1944-)、ムヘメット・バグラシュ(Muhämmät Baghrash, 1952-)、トフティ・アユプ(Tokhti Ayup, 1953-)などが知られる。

さいごに戯曲文学においては、まず紹介すべきはズヌン・カーディル(Zunun Qadir, 1912-89)である。いわゆる「三区革命」期に出版された雑誌『闘争(Küräsh)』、『団結(Ittipaq)』の編集者や教師、「解放」後は政府の文化行政に携わるなど多彩な活動を行なう一方で、1937年以来、社会矛盾をついた戯曲『暗黒の苦悶(Jahalätlning japasi)』や『グンチャム(Ghunchäm)』、『ギュルニサ(Gülnisa)』、伝統文芸に題材をとった歌劇『ゲリプ・セナム(Ghärip-Sänäm)』などを発表し、ウイグル戯曲文学の大成者としてその功績は大きい。この分野においては、文革後の世代として・トゥルスン・ユヌス(Tursun Yunus, 1942-)、メメト・ズヌン(Mämät Zunun, 1937-)、トゥルスン・リティプ(Tursun Litip, 1936-)、セメト・ドゥガイリィ(Sämät Dughaili, 1947-)、ジャッパル・カースィム(Jappar Qasim, 1949-)などが知られる。これらの他、政治家サイピディン・エズィズィの戯曲『アマンニサ・ハン(Amannisakhan)』は『十二ムカム』の母として知られる人物をモチーフとして取り上げた作品であり、この作品は、その内容に基づいた劇映画(のち、テレビミニシリーズ化)が製作され、加えてヤルカンドにその墓廟や彫像が設置されるなど、一定の社会的影響力を持った。

以上、現代ウイグル文学につき雑駁ながら紹介を試みた。昨今、現代ウイグル語言語文化が未曾有の危機に瀕しているとはよく耳にすることである。確かに教育の場においてウイグル語の存在感は明らかに減退しており、ウイグル人の母語喪失、言語文化喪失の懸念は払拭できない。しかしその一方で「民族創出」の20世紀初頭から連綿と受け継がれてきたウイグル言語文化、現代ウイグル文学は一定の厚みを積み重ね、いまなお続々と新しい世代が自分たちのことばで自分たちの文化をつむぎ上げている事実に注目すべきであろう。

◇ ◇ ◇ ◇

以上の文章。どこがダメかといえば、まず枠組みとしては最新の状況が反映されておらず、せいぜい20世紀90年代前半までの作品しか扱っていないということ。これで「現在」はない。そして個別の評価はすべて漢語ないしはウイグル語の紹介文を参考にしたにすぎない、ということ。人のメガネを借りて解説を書くほど恥ずかしいことは無い。いちいち読んでないし、評価なんて出来ようもない、といういたって生真面目かつ誠実な理由から、これではダメだと思った訳である。だいいち(これが第一、と言うのもイケてない)分量もこれでは多すぎる。ダメダメである。しかし、一時期のウイグル文学の「見取り図」を把握する何らかの助けにはなるかもしれないので、ここで紹介した次第である。

さて
『60章』ではちゃんと自分で一から書けるようなかたちで『文学』についてのエッセイを寄せるつもりである。たぶん現代文学ではなく、現代における古典文学のような形になるか、現代文学でもかなり狭い範囲の話になることであろう。生温かい目で見守っていていただきたい。

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