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第9回中央アジア古文書研究セミナー

Mhmd
(印章などで表示される装飾的に分かち書きされた"Muhammad"のかたち(MHとMDが見事に泣き別れ…)。セミナーでの磯貝健一さんのご教授に基づき勝手に作成してみました。それにしても、こうも大胆に分かち書きされると読めませんよね。)


今年も中央アジア古文書セミナー@京都外国語大学の季節がめぐってまいりました。
(第8回セミナーの参加記はこちら

2週間前に発生した「東北関東大震災」のため、ここのところ「まつざきワークショップ」はじめ研究者の集まり(特に首都圏開催のもの)はバタバタ中止を余儀なくされております。私自身、岩手(内陸部)の実家が軽微とはいえ被災したり、放射性物質が飛散する福島に住む妻の両親の身が案じられたりと、気が重くなるような出来事が連続し、仕事がさっぱり手につきませんでした。せいぜいのところ現代ウイグル語辞書編集の作業を細々と続行し、あとはツイッターで深く考えない書き込みをして生存告知をする、というのが震災以来の暮らしぶりだったわけです。

そんななかで開催の運びとなった当セミナーは、塞ぎこんでいた気分を払拭するため、また、なまった脳のリハビリのため、大変ありがたい機会でありました。多分、こういう思いは出席者の皆さんが多少なりとも共有していたことと思われます。出席者数は25人と例年並みかそれ以上で、懇親会の出席率も例によって異常に多く「盛会」であったといえるでしょう。「こんなときだから、関西ががんばらなくてはいけない」とのセミナー冒頭の堀川先生のお言葉には胸が熱くなりました。

さて今回のセミナーのプログラムは以下の通りです。
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開会挨拶(堀川徹)
磯貝真澄「ロシア連邦ウファ市国立中央歴史文書館所蔵ムスリム遺産文書の紹介」
((昼食))
矢島洋一「19-20世紀のブハラの遺産分割文書」
磯貝健一「20世紀サマルカンドのファトワー文書」
総合討論
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最初の磯貝真澄さんのご報告はバシコルトスタン共和国ウファ市所在の文書館コレクションと遺産相続文書の梗概を紹介するものでした。ウファ市の文書館としては国立中央歴史文書館国立中央公共団体文書館があり、このうち前者に所蔵されるものとして「オレンブルグ・、ムスリム宗務協議会フォンド」があります。当フォンドは「ヨーロッパ部ロシアとシベリアのムスリム住民を管轄する行政機関」であった「オレンブルグ・、ムスリム宗務協議会 (Orenburgskoe magometanskoe dukhovnoe sobranie: 1789 - 1917 )」の文書庫に収められた協議会創設以来の文書群で、同地域のムスリム住民に関する文書(なかんづく家族、婚姻、財産に関わる文書、統計的管理に関わる文書類そしてムスリム「聖職者」に発給された通達など総数7万点弱)を豊富に含んでいます。今回の磯貝さんのご報告はその中で遺産分割関連文書に特に注目されたものでした。

次の矢島さんの「19-20世紀ブハラの遺産分割文書」はブハラの通称「アルク博物館」こと「ブハラ国立建築・芸術保護区博物館(Buxoro davlat me'moriy-badiiy muzei-qo'riqxona)」所蔵の当該文書群(ペルシャ語)を、(1)ロシア征服期(-1868)、(2)ロシア保護国期(1868-1920)、(3)ブハラ共和国期(1920-24)の三期に分かち、その書式・内容につき出席者の講読を交えレクチャーなさったものでした。

まず矢島さんはブハラ遺産分割文書の書式をご説明されました。おおむねそれは、
(1)相続人の一覧と評価額
(2)相続人一覧(被相続人との続柄、イスラーム法に依拠した相続配分比率)
(3)本文(相続の付帯条件説明)
と言う構成をとり、このスタイルは時代間の大きな差異は認められず、ただ(3)ブハラ共和国期に日付の西暦表記、案件番号、印紙の貼付、カーディの署名などが新たに加わっているとのことでした。とりわけ(1)の「一覧」は視覚的にもそれとわかる独特の体裁をとっており、一見して遺産分割の文書とわかる点が私目には実に興味深く思われました。私も気がつけば10年以上新疆文書を読んでいるのですが、同様の体裁を持つものは見たことがありません。この辺は今後注目すべき問題でしょう。

さいごに今や恒例(?)の磯貝健一さんのレクチャー「20世紀サマルカンドのファトワー文書」は、同一案件に関する7点のファトワー文書のうち3点に関するものでした。現存する中央アジアの「係争文書」は膨大な数に上りますけれども、同一の係争案件につき、複数のファトワー文書が存在するというのは珍しいことです。しかもよくよくそのファトワー発給者(ムフティ)の印章をチェックすると、同一のムフティが被告、原告双方の主張を支持する(法的にお互いに矛盾する?)ファトワーを出していることがあるそうでして、当時のムフティは小銭を稼ぐため平気でそうした矛盾した、いい加減な仕事をしていたことが窺い知れるということでした。

出席されていた島田志津夫さん(東京外大)のご指摘では、こうしたムフティなどの堕落した行いは20世紀初頭のジャディードたちの批判の的であったそうでして、ジャディードたちの書いたものなどを読むと、白紙に印章を押すような行為(aq mohrと言うコトバで通用)も平気で行われていたとのことです。偶々出席されていたウズベキスタンの方が「今でもそういうことがあります、私はぜんぜん驚きません」と仰っていたのも実に実に印象的でした。それにしても、そういうムフティやカーディの仕事の「いい加減さ」は文書を読んでいく際にいささか念頭においておくべきかもしれません。文書はファクトを照らす鏡になりますが、十全にファクトを伝えているわけではないのです。実態と文書の関係、なかなか手ごわいものですね。

ともあれ今回も大変勉強になったこの中央アジア古文書研究セミナーも、来年で10回目、つまり10年目を迎えます。私も「門前の小僧」を続けて今日まできたわけですが、このセミナーに教えられたことは多く、大変ありがたく思っています。主催者の堀川徹先生、第一回からずうっと講師を務めてくださっている磯貝健一さん、矢島洋一さんには心から感謝を申し上げます。来年もよろしく。

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