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国際コロキアム「『麗都カシュガル』再考」

国際コロキアム「『麗都カシュガル』再考:歴史的視点から見た聖地と信仰」
(2010年12月21日午後、中央大学駿河台記念会館)

私が今年度から取り組んでいる科学研究費補助金(基盤研究C)のプロジェクト「中国新疆ウイグル自治区におけるイスラーム聖地に関する基礎的研究」の活動の一環として、昨日、標記の研究会(コロキアム)を開催いたしました。

今回は会場確保等の事情があり、中央大学人文科学研究所の研究会チーム「イスラーム地域における聖地巡礼・参詣」(主査:新免康))ならびに中央大学政策文化総合研究所・プロジェクト「中央ユーラシアと日本:研究動向と現地状況」(代表者:梅村坦)との共催という形を公式にはとりました。おかげさまで両プロジェクトに関わる何人かの方が参加してくださり、年末平日のイベントにもかかわらず、さびしい会にはならずに済んだ次第。参加してくださった方々、中大の新免、梅村両先生には(こんな場で恐縮ながら)お礼申し上げます。

さて、会議題目にある『麗都カシュガル』とは、古来チャガタイ語文学作品などに登場するカシュガルの雅称"Azizane Kashghar(=Magnificent Kashghar)"を日本語に移してみたものです。NHKが常用する枕詞『文明の十字路』とは違う、この「伝統的呼称」を用いることで、今回はもっとちゃんと学術的な意味でカシュガルの歴史を見直してみたいという願いをこめ、会議題目といたした次第です。

開催に先立ってMLに流したアナウンスでもお示しした通り、今回は歴史的なカシュガルの具体相について、主にイスラーム聖地、宗教施設と都市住民の信仰に焦点を当てつつ、もっか当地で進行中の都市空間の変貌も視野に入れながら、新たな検討を試みました。そのプログラムは以下の通りです。なお、チェアーは龍谷大学の濱田正美先生にお願いいたしました。

真田安(立教大学兼任講師)
「カシュガルのバザールとマザール再考」
菅原純(東京外国語大学非常勤講師)
「カシュガルのマザール文書:失われたイスラーム聖者廟、サルマンのホジャ・イスハク・ワリー廟について」
Thierry ZARCONE(CNRS, France)
「カシュガル旧市の聖性に係るマテリアル・ヒストリー:イード・ガーフ地区の失われたハーンカーについて」
Alexandre PAPAS(CNRS, France)
「カシュガリア宗教史へむけて:カシュガルにおける『記憶の場』の問題」

まず真田先生のお話は、カシュガルを歴史的に理解するための視点として、(1)中央ユーラシアのオアシス社会という視点、(2)イスラーム世界の一部であるという視点、そして(3)多民族国家中国の一部であるという視点の3つが必要であり、そこから現下の大きな変動も捉え理解されるべきだとして、そこから実際にバザール(俗)とマザール(聖)を結節点とするカシュガル・オアシスの分析を試みられたものでした。世界史の中にいかにカシュガルは位置づけられうるか、もっと言うならば、日本に暮らす我々がいかにカシュガルを実感を伴う形で理解できるか、ということへの配慮が(少なくとも私は)感じられるようなお話でありました。

つづく私の報告は真田先生のお話に比べ「各論」しかもかなりみみっちい、たった一枚の文書を紹介しただけの蛸壺的なお話でした。その文書は現在新疆大学に所蔵・公開されているもので、19世紀のヤークーブ・ベグ政権がカシュガルのサルマン(現在のサマン色満、ただしその領域は19世紀当時とは若干異なる)に当時存在していた「ホージャ・イスハーク・ワリー」廟に対し発給したワクフ管財に関する追認文書です。この文書と、1930年代に編纂されたと思しきワクフ文書の集成に収められた同じ文書の写しの記述に依拠して、今は失われ(実地調査で文化大革命でほぼ消失したことを確認)、ほぼ忘れ去られている同マザールのワクフ財産、ヤークーブ・ベグ政権のワクフ政策等につきいくらか新しい知見を提示するものでした。

なおホージャ・イスハーク・ワリーは一般にいわゆるカーシュガル・ホージャ家(Makhdumzade)の黒山党(Qarataghliq; Ishaqiya)の創設者として知られており、その墓はウズベキスタンに現存することが知られています。そこでサルマンのこの聖者廟をどう理解すべきかが問題なのですが、可能性としては当の「聖者」イスハークの宗教活動に関係する地点、聖者の足跡が聖地化したいわゆる"qadem jay"と理解するのが妥当ではないかとパパスさんからご指摘をいただきました。パパスさんだけでなく、質疑応答でフロアから有益なご指摘、ご指導を少なからずいただけたのは大変幸いでした(再び、こんな場で何ですがご発言いただけた方々に感謝申し上げます)。

Thierry Zarconeさんのご報告は、近年取り壊されたハーンカーとあるスーフィ一家について、自らのフィールドワークを通じて取得された諸情報に基づいたお話でした。そのスーフィー-ターヒル・ハーン(あるいはイゲルチ・イーシャーン)は19世紀にナマンガン方面からカシュガルに到来した人物で、イード・ガーフ・ジャーミーに程近い土地にハーンカーを開設し、19-20世紀初頭のカシュガルで一定の社会的影響力を有していた人物と考えられ、たとえば新聞『新生活(Yengi Hayat)』などにもその名前は登場するとのことです。ターヒル・ハーン自身は「解放」以前に亡くなったようですが、Zarconeさんは1990年代にその一族を訪ね、ハーンカーとして使用されていた部屋や子孫が所有するターヒル・ハーンの遺品(旗や衣装など)、文書などをビデオに収められ、今回の報告でもそれを見せてくださいました。

Zarconeさんのご研究は、聖者伝や史書に登場する歴史的なスーフィ像と現代の宗教の動向とを、さらにはイスラーム世界の「西」と「東」とを、豊富な文献資料の渉猟と実地調査の成果を動員して「接続」あるいは「統合」するような試みであり、それはたとえば中央アジアの古写真のデルヴィーシュとカラー写真に収まったターヒル・ハーンの子孫の写真(古写真同様の帽子とベルトを着用している)の対比などに効果的に示されていたように私には思われました。いつものことながら、大変刺激的なお話に感銘を受けた次第です。

最後にAlexandre Papasさんに本日のコロキアムを総括するご報告をいただきました。タイトルに示された『記憶の場 lieux de mémoire』とは、1980年代以降ピエール・ノラにより編まれ刊行された同名の浩瀚な論集シリーズに由来する、フランス発の歴史学の方法論を指す言葉であると理解されるでしょう。この方法に沿う形でカシュガルそして人々の信仰を眺めた場合どうなのか、というのがそこでのPapasさんのお話の骨子ではなかったかと思います。その実理論的な部分は(遺憾ながら『記憶の場』をちゃんと勉強していないので)私は十全に理解できなかったように思うのでここでは割愛いたします。ただ、カシュガルについて、このコロキアムで取り上げられた「変化」や「喪失」の問題と同様に、「継続continuity」の問題にはより注意が払われるべきである、というPapasさんのご指摘はきわめて重要であると私には思われました。

現下の状況においてカシュガルは確かに大きな変動の只中にあり、第二の「文化大革命」とさえ言えるかも知れない。確かに多くの宗教施設やマザールが破壊されたり、失われているけれども、より広く長いスパンでものをみれば、むしろ人々の信仰や宗教行為の継続性の方がより注目に値するのではないか。実際、聖者廟はスーフィズムの文化的、歴史的要素のごく一部に過ぎず、聖なる存在からのバラカをめぐる信仰行為はそうした施設を離れてもなお存在し続けるのだ、というPapasさんご自身が言うところの「楽天的なものの見方」は、しかし、一面において正鵠を射たものではないでしょうか(ウイグル・ナショナリストの方々は多分そういう見方を好まないでしょうけれども)。海外ではウイグル人の信仰危機が叫ばれ、当局によって人々の信仰は抑圧されイスラームは根絶やしにされようとしている、という主張をよく目にします。しかし、その一方で、カランダルたちは(旧ソ連領中央アジアで彼らは消滅したというのに!)いまなお飄々と新疆の大地を周遊しているのです。

以上、今回のコロキアムは、時間的にはそう長いものではありませんでしたが、久々に新疆のしかもカシュガルに特化した濃密な報告づくめ(いや、私のは例外としても)の興味深いものになりました。今後も、こうした集いを年に一度でも二度でも開催していきたいものです。

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