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2010年 追悼:バズィル・デヴィッドソン

Davidson
Basil Davidson(9 November 1914 – 9 July 2010)


今さらかもしれないけれども、さる7月にデヴィッドソンが亡くなったのだった。以下、私なりのobituaryまでに。

一般にデヴィッドソンはアフリカニストとして有名だけれども、私にとっては何といっても「解放」後1950年代の新疆の状況を活写した『生きていた国-新疆の謎(Turkestan alive : new travels in Chinese Central Asia. London : Cape, 1957.)』(1959)の著者に他ならない。新疆を訪問したジャ-ナリストは少なくないけれども、へそ曲がりで食わず嫌いの多い私が面白いなあと思ったり、感銘を受けたりしたルポルタージュをものした方はそんなに多くはない。専門柄トラヴェローグやルポルタージュの類は仕事のために読むようにはしている。しかし、そういうよこしまな思惑を離れて、読書のための「本」として読み味わえたような本は本当に少ない。デヴィッドソンのあの本は、そういう意味で、私にとっては彼の地の「風」や、「暑さ」、太陽の「眩しさ」、市場の人々の「賑わい」、そしてポプラ並木の下にたたずむ村人たちのこの上なく平和な「語らい」の空気を感じ取ることのできる、稀有の価値を持つ宝物のような本である。もちろん、デヴィッドソンが何から何まで当時の新疆の事情を正確に伝えているとは思わない。外来者として誤解もあるだろうし、実態を包み隠さず観察させてもらえたのかどうかも疑問が残る。しかしそれでも、彼の卓越した筆致は読者を魅了し、実際にその土地を訪ねてみたい、と思わせる何かがある。

晴朗な朝の光の中に、われわれはカシュガルの青白い川と、その水々しく繁茂した牧草地を過ぎた。それらは、あの風味のよい空気の中に、生き生きした光沢をもって輝いた。そしてまだ、何ものも太陽に汚されていなければ、また乾ききり泥にまみれて、衰えてもいなかった。これらの小じんまりした町や菜園が、ロマンスのふりをできるのも、おそらくわずかにこの時間と、そして日暮れの直前とだけだろう。しかし、この魔術的な時間には、ロバの鳴き声さえ詩的となり、どこかの家の火にくすぶっているラクダの糞の悪臭さえ、将来の幸せのぼんやりした保証となる。その瞬間は短いかもしれない。だが、それは文学の力を創り出したのだ。
(小林雄一訳133頁より)

実は追悼記事を読んで初めて、実はそれまで彼が存命であったことを遅ればせながら知った(!長命)のであるが、心からご冥福をお祈りしたい。

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