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「歴史上的中国新疆與中亜」国際学術研討会

『「歴史上的中国新疆與中亜」国際学術研討会』
主催:《新疆通史》編撰委員会、新疆維吾爾自治区社会科学院、中国社会科学院歴史研究所
会場:新疆烏魯木斉市北京路環球大酒店
会期:2010年8月18日~24日(21日~24日は「学術考察(Excursion)」)

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開会式。私は最前列の席で(情けないことに)自分の報告のパワーポイント作りに励んでいました。


昨年開催が予定されていて、あの7月5日の事件で延期を余儀なくされていた新疆社会科学院主催の国際学術会議がやっと開催の運びとなったので行ってきました。

この会議は事前にあまり宣伝がされず、組織委員会(というものが実際に存在しているのかどうかも分かりませんが)がほぼピンポイントで参加者を募り開催されたものです。日本には早稲田大学のY先生を経由して東北学院大学の小沼孝博さんに連絡がいき、私は小沼さんからそれを聞いて行くことにしました。おそらくそんな募り方のせいでしょうか、どことなく参加者にはかたよりがあって、新疆大学や新疆師範大学など、大学系の研究者の参加者はかなり少なかったように思われました。

会場は新疆社会科学院からほどちかい環球大酒店。当初は「八楼」こと崑崙賓館が予定されており、私はかなりそれに期待していたのでしたが、なかなか期待通りには行かないものです。

八楼はご存じ(?)の通り、新疆ウイグル自治区の人民大会堂の真向かいに位置し、自治区人民大会などの主要な会議の際は八楼が公式の宿舎となります。ふつうのホテルとしては私も90年代に何度か利用しましたけれども、公式の会議出席者としてそこに宿泊するのは、あくまで思いこみですが、いくぶん意味が違います。私は「嗚呼つひに余も、彼の八楼の招かれたる客とならん乎」(林望風)と期待に「鼻」を膨らましていたのでした。

ところがどっこい。空港で出迎えてくれた社会科学院の車が到着したのは「環球大酒店」でして、エントランスには例によって「熱烈歓迎」の横断幕がかかっておりました。まあこのホテルも、社会科学院のアパートに住んでいた時分には毎日リビングからみていたホテルなので、それなりに感慨はありましたが、でもねえ、ちょっぴり残念です。


(1)会議の概要

さて、今回の会議の正式のタイトルは冒頭に示したとおり『「歴史上的中国新疆與中亜」国際学術研討会』といい、主弁単位は『新疆通史』編撰委員会、新疆社会科学院そして中国科学院歴史研究所の3団体となっています。つまり、中国の「官製新疆史」に関わるセクションが主催する国際学術会議ということになりましょうか。

それにしても、「官撰史」と「国際性」は水と油とまではいいませんが、ずいぶんと親和性のなさそうな組み合わせです。学術的な価値はともかくも、その取り合わせのおかしさは一見に値するでしょう。やはり参加した小沼さんも「怖いもの見たさ」と仰っていましたが、私も大いにそういう好奇心から出席を決意したのでした。

レジストレーションでもらったプログラムによれば、この会議は3つのセッションに分かれ、(1)歴史、(3)文献研究と総述、(3)考古と文化の各セッションから構成されています。報告数は国内外からの参加者総勢120名余と堂々たるもの。そのうち海外からの参加者は20名ほどで、国籍は日本、ウズベキスタン、クルグズスタン、インド、トルコ、ロシアなどからなっており、合衆国と欧州の研究者は皆無でした。

(2)開会式
さて、この会議、初日19日には自治区政府の領導を招いて賑々しく開会式が開かれました。ある人の話では、この種の会議はようするに開会式と閉会式が大切なのであって、会議そのものは冗長にだらだらと進められるものの、儀式だけはきっちり「格好良く」行うことになっているとのこと。なるほど、たしかに開会式は確かにこちらのニュース番組でよく目にするプレス・カンファレンスさながらの舞台仕立てで、どう言ったものか、見事に型にはまった、完成度の高いセレモニーでありました。おおむね、開会式は退屈に進行し型通りの拍手で終了しました。

ただ、これは後から聞いたのでしたが、この開会式では自治区政府を代表して宣伝部長の李屹氏がウェルカム・スピーチを行いました。その話の中で李部長は汎トルコ主義の浸透に対する懸念について言及したらしく、そこでトルコからの参加者のひとりが怒って退席するという場面があったようなのです。私は最前列に座っていて全然気づきませんでしたし、たぶん会議当事者たちも気づきもしなかったでしょうが、トルコから複数のゲストを呼んでいながら「汎トルコ主義」うんぬんは少なくともこういう場では適切ではないでしょう。それにしても、やっぱりここは現代の新疆で、政府系の会議とは所詮こういうモノなのだ、ということを思い出させるような一幕でした。

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開会式後の記念写真撮影の際のスナップ。記念写真はホテル前庭で撮影したのですが、出来上がってきた写真はなんと背景にボゴタ・オーラと天池がコラージュされていました…。


(3)「文献と総述」セッション

 ところで、プログラムを開いてみて驚いたのは、文献セッションの「主持人」に私の名があげられていたことでした。「主持人」とはテレビ番組における「司会者」を意味する言葉だということは私は知っていました。しかし、学術会議のChairpersonにもこの言葉が当てられるのですね。それにしても事前に何の相談もなく、というか事後に至るまでだれも何の説明もせず、いきなり主持人にさせられるとは思いませんでした。
 時間になって、主催者サイドから何か挨拶でもあるのかと思ったらそれもなし。もう一人の主持人である呉玉貴氏(中国社科院)と相談し、今日は私、2日目は呉氏が主持人を務めるということにして始めることにしました。問題は何語で主持人をするのかということなのですが、英語通訳の馬さん(回族)が「英語でなさってください。そのために私がいるのですから」とおっしゃるので、まあ「国際シンポジウム」なのだからと割りきって、英語でいくことにいたしました。

「おはようございます。これから文献セッションを始めたく思います。私は東京から参りました、菅原でございます。新疆社会科学院は今から15年ほど前に「訪問学者」として1年間滞在した、いわば私の新疆における「老地方(lao difang)」でありまして、今日その社科院(shekeyuan)が主催するこの会議に参加できたことを嬉しく思っています。本日は意外にも主持人を仰せつかりましたけれども、こういう場で私の拙い漢語を使うのはなかなか難しく思われます。よって、議事進行はここにいらっしゃる馬さんの助けを借りて、英語で行わせていただきます。では最初のスピーカーとして李錦綉(Li Jingxiu)教授をお招きします。ご報告の表題は「『西域図記』輯考(Xiyu Tuji jikao)」です。ではお願いいたします…」(英語→漢語通訳がこれに続く)

と、こんな感じで英語で主持人めいたことを一日中やっていたのですが、会議が進むにつれこの場の参加者のうち英語を解するのはごくごく少数であることがはっきりしてきました。しかも私自身たとえ英語を使うのであってもスピーカーの名前と報告題目はやはり拙い漢語で発音しなければならないわけで、どうにもバツの悪い恥ずかしい、空回り気味の「主持人」稼業でございました。

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「文献研究・総述」セッション会場風景。手前に見えるのが「主持人」席

まあそうした役回りのおかげで、強制的に初日のセッションは最初から最後まで主持人席に貼りついていなければならず、きわめて「優等生」的に会議には参加してしまいました。

具体的な報告題目などについては余りにも数が多いのでここで全てを紹介することはできません。ただ個人的に注目されたものとしてはウズベキスタンのKhodjaev教授(ヤークーブ・ベグ政権期に関する著作で知られています)のウズベキスタン所蔵新疆歴史文献に関する報告、上海復旦大学の邱轶皓教授による『五族譜』などペルシャ語史料に依拠したモンゴル帝国の系譜に関する報告、トルコ(Ankara大)のA.M.Dundar教授のアブドュルレシト・イブラヒム旅行記に関する報告、小沼さんの台北故宮所蔵コーカンド・ハン国外交文書に関する報告、などがありました。私自身は"Reconsidering the Religious Policy of Yaqub Beg"と題し、現在新疆に現存し公開されているヤークーブ・ベグ政権期のワクフ関連文書(発給者はヤークーブ・ベグ本人で、カシュガルのサマンにかつて存在したKhwaja Ishaq Waliマザールの管財人等の叙任に係る文書)ならびに大銅鍋(ヤークーブ・ベグ名でホタン地区の2座のマザールに寄進されたもの)の銘文を紹介し、これまでのヤークーブ・ベグ研究に補足的な知見を多少提示する報告をいたしました。

(4)それ以外のセッション報告
このセッションに貼りつかざるを得なかったおかげで、他のセッションにはほとんど顔を出すことができませんでしたが、考古・文化セッションでは大阪大学の大澤孝さんと国立情報学研究所の西村陽子さんがそれぞれ報告を行いましたし、歴史セッションでは陝西師範大学の李琪教授による中央アジアのウイグル人に関する報告、中国社科院の乌云高娃博士による元寇(第三次遠征)に関する報告、インド(Jawaharlal Nehru大)のA.Patnaik教授によるインド・中央アジア関係に関する報告などが行われました。

(5)まとめ
今回の会議は総じて中国の公式会議とはどのようなものか体験するという上では実に有意義な会議だったと思います。しかし個別の報告と会議の運営の仕方については些か物足りなさを感じました。報告は総じて新しい知見の提示という意味では目新しさに欠けていたように思いますし、詩論を行って何か新しいものを作り出していこうと(少なくとも形の上では)志向している欧米の学会のスタイルとは大いに違っていました。あえていうならばカラオケにも似て、各人が自分の好き勝手な報告を聴衆を顧慮せずに行い、また聴衆もその話を真面目に聴こうとしない、というようなある種の「まとまり」を欠いているような印象を持ちました。賑々しく開催し、かつ閉会式ではどのセッションの結果報告も口々に「成功」と総括しておりましたが、この会議の「成果」が一書にまとめられる計画もないそうですし、どうにも中途半端な感じがいたしました。

ただ、これを主催者の立場に立って敢えて贔屓目に眺めるならば、今回の会議の成果は、刊行が予定される官撰史『新疆通史』の記述のなかに還流されるのだから別に一書を立てる必要はさらさらない、ということなのかもしれません。また会議運営の仕方も、それが中国の官製アカデミズムが長年にわたりつくりあげてきた一つのかたちなのだから、むしろそういうもの、として(つまり文化・コードの違いとして)受け止めるべき筋のものなのかもしれません。

そもそもあるべき学術会議のかたち、なんてことを考えだしたら我が国の会議運営だって決してほめられたものではありません。事実、誰もがエントリーできて、建設的な自由討論が可能な学会、というものはわが国にも数えるほどしか存在していないのですから(日本の学術系の会議はちょっと国会的というか、予定調和的なものが多いですね。すくなくとも正面きっての議論というものは会議の場では忌避される傾向にあるように思います。「詳しくは懇親会・二次会で」てな感じというか)。そういうわが国の学会にも歴史的に積み上げてきたわが国独自の文化・コードがあります。そうしたものを違っているからダメ、というのではなく、むしろ違いを学び、そして理解する(もっというなら「楽しむ」)という態度もあっていいのではないでしょうか。甚だ余談ながら、そういうことを考えた今回の会議でした。

会議の大筋とは関係ありませんが、今回の会議は主催が「古巣」の社会科学院ということもあり、旧知の新疆社会科学院の研究者、新疆社会科学院OBの研究者と再会することができました。親しく付き合った方の多くはすでに退職なさった方が多かったのですが、陝西師範大学の李琪教授(私はリーチー!と呼び捨てにするのですが)は日常的に顔を合わせていた「同僚」でしたし、社科院語言所長のミナワルも当時は科研処の所属でいろいろお世話になりました(私を「講師」にして社会科学院が半年開講した日本語講座の生徒でもあります)。歴史研究所の紀大椿教授ほか、幾人もの方と再会できたのは幸いでした。みな相応に年を重ねておりましたが、15年ぶりとは思えぬほど愉快に杯を重ね語らうことができました。そういう意味でこの会議は私にとっては実に意義深い、懐かしさ満点の会議でもありました。

中国社会科学院サイトの「新疆日報」の当会議記事の引用

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