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カシュガル旧市:地域コミュニティは失われるか

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カシュガル旧市東南の「東湖」対岸より旧市~人民公園方向をのぞむ。ここホントにカシュガル?

今回の調査旅行ではカシュガルに8日間滞在しました。もともと今年度はカシュガル地区の聖者廟を重点的な調査対象としていましたし、何よりも最近話題になっている都市再開発により、カシュガル旧城がどれほど変貌しているか、この目で確認しておきたかったのです。

新疆境外では、とりわけ在外ウイグル人団体の言説においては、カシュガルの再開発を、中国政府によるウイグル民族文化への圧制のひとつの顕著な事例として、真っ向から批判・否定・反対する風潮が明らかにみとめられます。それに対し、政府側の主張はどこにあるかといえば、一般に報道されているところでは、観光都市として都市基盤を整備する、そして地震対策として建物を一新する、ということにあるようです。この「破壊」をめぐる報道・言説はネット上にかなりたくさん存在しています。Kashgar demolitionあたりをキーワードにして検索してみてください。

そういうカシュガル市の変貌が実際のところ、どれほどのものなのか、ぜひこの目で見てみたい。いったい世間で言われているような「破壊」はどの程度進行し、そしてどのような「変化」をもたらしているのか?主目的の調査をよそに、そういう思いを持って私はカシュガルに着陸したのでした。

カシュガル滞在中は、暇を見つけては旧市街のなか、とりわけ旧トシュク門(コナ・ダルワザ)からイード・ガーフ(ヘイトカ)、カルカ・ダルワザを結ぶアリヤ路を軸に歩き回りました。どちらを向いても更地に次ぐ更地、馴染みの風景が一変しており、自分の知っているカシュガルがついに永遠に失われてしまったことを痛感しました。

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2003年8月のカシュガル旧市(東側の観覧車より撮影)

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2010年8月に同じ場所から撮影。ところどころ、更地が出現しているのが観察できる。

旧トシュク門からすぐのところにある某横丁、とくにその北半分のT街区(マハッラ)は、私にとってはかけがえのない研究対象の一つで、これまでたびたび足を運んでは住民の方にインタビュウなどを行ってきました。ところがその横丁の東半分が完全に更地になってしまったのです。この横丁にあった小さな祠(マザール)も消えてしまい、19世紀いらいここに住んでいた私のインフォマントのN家や近隣住民の人々の姿も見つけることができません。

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Tマハッラ。以前は見えなかった観覧車が見える。

以前はこの横丁は実に静かで、左右に壁があり、あとは青天井の「特殊カシュガル的」とも呼ぶべき独特の空間だったのに、今では高層住宅と観覧車が見渡せる広漠とした空間に変貌しています。ここはいくぶん高台になっていて、すぐ下にはアリヤ路が走っているのですが、建物が完全に撤去された今、その通りも丸見えでした。

かつてある人々の生活の場であった横丁が消滅し、そこにいま観察者の自分ひとりがぽつねんと佇んでいるというのは奇妙なものです。果たして住民はここに帰ってくるのか?マハッラは復活するのか?それは分かりません。見たところ、横丁の一部は新しい建物が建て始められており、ほぼ旧観どおりのものができるように見えます。しかし、そこに以前の住民は帰ってくるのでしょうか。帰ってきたとして、あの横丁住民の素朴な信仰の対象だったマザールは再建されるのでしょうか。

私は歴史研究者ですが、基本的にハード、つまり建物や道路、インフラストラクチャーの類は再開発しても構わないと思っています。カシュガル市はいまや人口35万人、大都市圏としては120万人をこす堂々たる大都市です(wikipedia)。にもかかわらず旧市街では依然として上下水道が完備されておらず、たとえばトイレも多くは公衆トイレに依存しています。また機会は少ないとはいえ、一旦雨が降ると小路(コチャ)は水で溢れ、もっぱら人力で排水せざるを得ないという事情もあります。

たしかにカシュガルを観光の目玉として、昔ながらの環境を見せるためには、手付かずの方がよろしいかもしれません。しかしそこには日々そこで生活する住民がいる以上、現代の「ものさし」にあうインフラストラクチャーを提供するのは行政の責任です。つまり、ロジックとしては、現下の再開発は安全かつ快適な市民生活を実現させるために行うべき施策として筋が通っていると言えます。それにむやみに反対する側の意見は、そこに暮らすカシュガル市民の利便性よりも、たまに訪問する観光客の目線、あるいは新しいものは何でも悪いという守旧的な立場から勝手な物言いをしている、という見方も成り立つでしょう。

ただ、それは「市民の暮らし」という大前提があってはじめて成立するロジックである、ということも忘れてはなりません。この再開発によって、もともとそこに暮らしていた「カシュガル市民」は受益者になることができるのかどうか、不公正はそこに存在しないか、という点はきめこまかくチェックされる必要があります。その点についてはカシュガル市政府ならびに関連部局の方々には注意を促したいものです。

個人的には私は、率直に、カシュガルの再開発とそれに関連して発生するであろう変化を残念に思います。ハードとしての通りや建物が破壊され、新しいもの(政府は基本的な景観は保全するつもりらしいのですが)に置き換えられるのは上述の理由からまあ致し方ないとは思います。しかし、政府がどんな保障をしようとも、そこに暮らしていた住民が100%もとの場所に戻って旧来の社会生活を続けることは不可能でしょう。事実、今回の調査のなかで、旧市内から近郊に庭付きの伝統的家屋を求め転居したケースをいくつか目にしましたし、旧市東北部に以前から建設されていた高層アパート群に、相当数の旧市住民が移り住んだとも聞きました。そういう人たちが再開発がなった横丁に帰還することはないでしょう。その代わりに、そうした伝統的な都市民とは異なった種類の「新住民」が新たにそこに住むことになるのでしょう。カシュガル旧市の地域コミュニティで脈々と受け継がれてきた都市文化の伝統は、ここ、21世紀初頭の一時点で断絶を余儀なくされることになります。これはもはや「起こってしまったこと」であり、取り返しのつくことではありません。

まちを作っているのはそこに暮らす人間であり、地域コミュニティです。カシュガルが歴史のなかで輝きを見せているのも、そこに暮らすカシュガル市民(sheherlik)があったからで、都市の住民がそれなりの誇りをもって伝統を積み重ねてきたからであるといえます。その伝統は、遺憾ながら、ひとまずここで断絶することになります。今後新しい「入れ物」の中で、新しい住民たちはどのような地域コミュニティを創造し、また育んでいくことになるのでしょう。些かの悔恨の情を抱きつつ、そういうカシュガルを私は今後も見つめて行きたく思います。

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旧市内鍛冶屋横丁に掲げられた再開発の新旧対照図(表)。なるほど大変結構です。万事こういう感じに行くとまあ良いのですが…

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同図(裏)。個人的にはこのお役所が所有しているであろう詳細な旧市街の図面が喉から手が出るほど欲しい。


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