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アブドゥレヒム・オトキュル著『足跡(Iz)』日本語版の出版

アブドゥレヒム・オトキュル著・東綾子訳『英雄たちの涙:目醒めよ、ウイグル』東京:有限会社まどか出版、2009年8月、397頁。

最近の新疆情勢が後押ししたのか、何とオトキュルの代表作Iz(足跡)の和訳が出版されました。本書は20世紀初頭にコムル(ハミ)王の圧政に反旗を翻したトムゥル・ハリーファ(Tömür Xelipe, 本書での表記はティムル・カリフ)の活躍と悲劇的な死を活写した作品で、20世紀ウイグル文学の代表的なものとしてウイグル社会内外で高い評価を受けています。この作品が日本語で読めることになったのは画期的であり、翻訳者の偉業をまずは称えたく思います。

翻訳者の東綾子さんについては私、不明にして存じ上げませんけれども、本書の奥付によれば1947年生まれで大学でトルコ語を学び、トルコでウイグル人と知り合い、ウイグル語を学んだ方とのことです。いちいち原著との対照をしたわけではありませんが、訳文はとても格調高く、すらすらと読み進めることができます。むろん原著のウイグル語が明晰なのは当然ながら、それを正確に読み解き、文学として読み味わえる日本語に仕立て上げている翻訳者の力量は相当なものだとお見受けいたしました。肩書きは翻訳家と言うことですが、このお名前では他の訳書はないようですね。

本書は著者自身が前書きで書いているように、まずもって英雄トムゥル・ハリーファの「どのような嵐にも耐え、子子孫孫まで残る、白い紙、黒い墨で造られる墓碑」(p.14)として書かれたものだということができるでしょう。そこに描かれるのは、旧体制の下でコムルの王や役人の横暴にひたすら虐げられるコムル民衆の姿であり、堪忍袋の緒が切れてついに武器を取った木こりのトムゥルをはじめとする人々の活躍であり、折々にちらりと登場する時代の空気や人々の生活です。

さて、本書の帯には「「中国の火薬庫・新疆ウイグル」は、なぜ独立を求め続けるのか?その原点を描いた壮大な歴史小説」と書かれています。確かにそういう捉え方も可能かもしれませんが、もしもまだ読んでいない人が本書をストレートに「中国に対する独立運動が描かれた小説」だと考えていらっしゃるとしたら、それは間違いです。本書はウイグル人の横暴な「王(マフスート・ワン)」とその手下たちの悪行の数々、その下で虐げられやがて抵抗へと立ち上がっていくコムルの民衆に関する記述にその大半が費やされています。つまりこの物語の善玉も悪玉も多くがウイグル人。確かに極悪な「漢族」や「回族」も登場しないわけではないのですが、その記述は多くはありません。主眼はあくまで不当な圧政の下で虐げられ、やがて抵抗に立ちあがっていく「人間」の姿を描くことに置かれているのであって、「宗教」や「民族」といった対立軸はここでは前面には出てこないのです(まあ当たり前と言えば当たり前。本書は曲がりなりにも新疆当局の検閲を受けて出版されているのですから。共産党員林基路はお約束でしょうが善玉で登場しますしね)。その点は一言申し添えておきたく思います。

本書が文学として将来普遍的な評価を獲得できるかどうかは私には分かりませんが、新疆の空気や風景、人々の息遣いを彷彿とさせる著者(と翻訳者)の筆致は見事であり、本書が新疆と言う一地域を肌で理解することのできる「稀有の価値」を有していることは疑い無いと思います。私も新疆と関わり始めて20年以上になりますけれども、本書で描かれる情景はいちいち個人的な体験と共鳴するようなところがあって、大変懐かしい、奇妙だけれども快い感覚を覚えたことを読後感として告白しておきます。


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