« 松長昭『在日タタール人:歴史に翻弄されたイスラーム教徒たち』 | Main | 業務連絡・予告: ブログ名称変更の予告 »

聖人ラービアの憂鬱

邦画『おくりびと』がオスカーを受賞したそうで。
それにかこつけてと言うわけではないけれども、ここのところ再び「お墓」の研究に取り組んでいる。しかし、ここで小さな壁にぶち当たり困惑している。些細なこととは思うが、気になって他の仕事もさっぱり進まない。ああ困った。

問題はラービア・アダウィーヤRābi'a al-'Adawiyyaという、8世紀に活動し9世紀の最初の年に亡くなったとされる女性聖者である。より具体的には、その女性聖者がどこで亡くなり、その墓がどこにあるのか、ということがどうも分からず困っている。

ラービアについてはウィキペディアの記事とか彼女について紹介されたウェブ上の記事(これとかこれ)を参照してほしい。要はイスラーム神秘主義(※)の初期に活躍した神秘主義者にして聖者で、それまではまっすぐに神への接近のため、言ってみれば修験道のように厳しい態度であった神秘主義の思想に、はじめて「神への愛」の考え方を導入した人物であると言われている。

Rabia_aladawiyya
Rabi'a al-Adawiyya

小難しい理屈は省略するけれども、ラービアはしばしばキリスト教世界のマリア(イエスの母)とか、マグダラのマリアになぞらえらえ、数多いイスラーム世界の聖者の中でも「もっとも著名な女性聖者」(Trimingham)なのだそうだ。じっさい、きわめて有名な聖者列伝であるアッタールの『聖者伝』にもラービアは女性としてはただ一人紹介されているし、ミニアチュールの世界でもラービアの占めるポジションは中世教会画のマグダラのマリアに匹敵するらしい(Loewenstein,V., “Saint Magdalene, or Bibi Rabi'a Basri in Mogul painting”, in Islamic Culture , xiii (1939), 466-9.)。

その有名な聖者の墓がどこにあるのかが分からない。

私は当初かなり物事を簡単に考えていて、これぐらい有名な聖者ならば、さぞかしそのお墓は多くの参詣者を集め、ググればあっさり所在地や写真が探しだせるだろうと思っていた。しかし、これがなかなか難しい。少なくともtombとRabi'a Adawiyyaというキーワードではろくな情報が集められない。

結論を先に言うならば、ネットで集められる範囲ではラービアの死んだ場所には二つの説がある。ひとつは彼女の生まれ故郷であるバスラで、もうひとつはイェルサレムのオリーブ山(所在のキリスト教会傍ら)である。しかし、どちらも情報はどうも断片的で写真もなく具体性に乏しい。

まずバスラについては、ラービアの生涯につき最も包括的な研究のあるマーガレット・スミスMargaret Smithが自著Rabi'abasri: The Mystic and Her Fellow Saints in Islam (Cambridge, 1928)ならびにEncyclopaedia of Islamの"Rābi'a AL-'Adawiyya AL-Kaysiyya"の項で、ラービアはバスラで生まれ、バスラで亡くなったと書いている。またスミスはal- Harawīなる人物の著作にもラービアのバスラ郊外の墓について言及があるとしている。これ以外に前述のアッタールもバスラのラービアの墓にほかの聖者が詣でる話を紹介している。しかし、バスラに現在ラービアの墓が存在するかどうかと言う情報は、少なくともウェブでは見つけられない。あるいはアラビア語でググれば見つかったりするのであろうか。

つぎにイェルサレムについては、前述のウィキペディアはじめいくつかのサイト(これとかこれ)でラービアが晩年イェルサレムに行き、オリーブ山に住み、毎日山を降りては山麓のアクサ・モスクに通い礼拝に参加したこと、その墓が前述の通りオリーブ山の教会の傍らにあると紹介されている。またアッタールの著書の日本語訳である藤井守男の『イスラーム神秘主義聖者列伝』でも藤井はイェルサレムで亡くなったと紹介している。しかし、イェルサレムのほうもウェブで見た限りでは記事が少なくて、オリーブ山にあるとされる墓は、門前市をなすような大賑わいの参詣地になっているわけではなさそうだ。調べ方が悪いのか、それとも中東世界ではいわゆる東方イスラーム世界ほど「お墓」に対する執着が強くはないのであろうか。

中央アジア、少なくとも新疆では歴史上の偉人などがクローズアップされると、それから俄かにその偉人の墓探しが始まるのがお約束である。とにかく聖者であれ歴史人物であれ、名のある人物である以上は墓がなくては始まらない。であるから、新疆にはイスラーム史上の著名人の墓が揃っている。「エフェソスの七人の眠り人」はピチャン県トヨクに現存するし、聖者イブラヒーム・アドハムの墓がクチャにもあることは佐藤次高『聖者イブラーヒーム伝説 (角川叢書)』で紹介された通り。いわゆる十二イマームの墓だってかのマフディーも含めホタン地方には揃っている。数年前に世界の名所旧跡のレプリカを集めたいくつかのテーマパーク(深センのこれとかフロリダのこれとか)が話題になったけれども、こと聖者の墓については新疆はそのテーマパークにも匹敵するボリュームを有していると言えるかもしれない。

私がラービアの墓にこだわる理由は、実は新疆のハミ(Qumul)にラービア・アダウィーヤの墓と言われる聖者廟が現存しているからである。この聖者廟についていま論文を書いていて、そのなかで「ご本家」がどうなのかについて調べようと言うところで壁に当たったと言うわけだ。バスラでもイェルサレムでもいいから、もう少しまともな情報がほしい。ああ頭が痛い。

Rabia_tomb_qumul
Aizizm Aghichem Mazar(or Tomb of "Rabi'a Adawiyya(!)") in Qumul, Xinjiang, PRC

ここまで書いて俄かに気づいたのであるが、この記事を公開することで、これで晴れて(?)ウェブ上にラービアの新たな墓についての少々まとまった情報が登場したことになる。しかも写真つき↑で。ウェブでRabi'aのtombを調べてみようとした人は、おそらく最初にこのサイトにたどり着き、中国のラービア墓の写真を眼にすることになるであろう。なんだか罪深いような気もするけれども、

おお、神よ、そして聖女ラービアよ、この異教徒の所業を許したまえ。

(識者、とくにアラビストの方からのラービア・アダウィーヤ・バスリー墓に関する情報、心よりお待ちしています!!!)


※近年このターミノロジーは議論を呼んでいて、他にもっと言い方があると主張する研究者たちによって違う言い方が提案されているけれども、ここでは便宜的にこの言い方を使用する。おおかたの人には多分興味の外の議論だし、将来その新しい呼称が世間に広く受け入れられるとも思えないので。この議論に興味のある人は『イスラームの神秘主義と聖者信仰 (イスラーム地域研究叢書)』を参照されたい。

|

« 松長昭『在日タタール人:歴史に翻弄されたイスラーム教徒たち』 | Main | 業務連絡・予告: ブログ名称変更の予告 »

Comments

記事アップから半年以上が過ぎ、ためしにキーワード"Rabia tomb"でGoogleで画像検索を試みたところ、やはり罪作りなことに1位で上がっていました。もう笑うしかありませんなあ。

Posted by: Jun Sugawara | 2009.10.14 03:42 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 聖人ラービアの憂鬱:

» ウィキペディア 賢い使い方 [ウィキペディア 賢い使い方]
ウイキペディアは無料で閲覧できる頼もしいWEB百科事典です。頼もしいウイキペディアであっても問題はありますが、これを知っていればウイキペディアはもっともっと便利に使えるという技をご伝授いたします! [Read More]

Tracked on 2009.03.04 02:49 PM

« 松長昭『在日タタール人:歴史に翻弄されたイスラーム教徒たち』 | Main | 業務連絡・予告: ブログ名称変更の予告 »