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清水宏祐『イスラーム農書の世界』

清水宏祐『イスラーム農書の世界』(世界史リブレット85)東京:山川出版社、2007年、82頁。

「事件史とは違う、ゆっくりと変化する歴史の姿」を見直すことを目指した本書は、『農書』という切り口からイスラーム世界の歴史の一端を眺めた、実に興味深い一書です。歴史学というと、どうも壮大なる事件史や傑出した個人に衆目は集中しがちですが、本書はそういう流れとは一線を画した、どう言ったものか、そう穏やかな気持ちで向き合えるような学問らしい学問著作という感じが私などはしております。

まず目次をあげておきましょう:

(序)文字文化・非文字文化と農書
(1)農書の成り立ち
 「食」をめぐるさまざまな書
 農書の始まりと伝統
 アンダルスで書かれたアラビア語農書
 アラビア半島、エジプトで書かれた農書
 オスマン語の農書
 地域の事情に農書をあわせる試み
(2)農書を読む
 『農業便覧』を読む
 序に見る農業思想
 土壌の選定
 農事暦と月の名
 『農業便覧』の中の「農事暦」
 穀物の播種と収穫時期
(3)乾燥地と乾燥地農業
 乾燥度をはかるもの
 播種量が重要
 小麦・大麦栽培にみる乾燥地農業の姿
 天水農業と灌漑農業
(4)農書から広がる世界
 多様な品種
 名前からわかる地域性
 穀物の農法
 野菜栽培の農法
(5)農書写本の世界
 さまざまな写本
 偽書の発見
 実用の手引き

著者が指摘し、かつ詳細に紹介するように、イスラーム世界でも日本、中国などと同様におびただしい数の『農書』が書かれ、また読まれてきました。現存する最古の農書『ナバティア人の農書』(浩瀚!)にはじまり、アラビア、イラン、そしてトルコで書かれた『農書』の数々が本書では概観されます。それぞれお国柄、というよりは作柄に応じて多様な『農書』が書かれており、それぞれの『農書』をざっと比べるだけでも、それぞれの地域性を窺い知ることが可能なのではと思われました(なにぶん、本書はおそろしく短い本なので、それが十分に言い尽くされているわけではないところが残念なのですけれども)。

さらに著者は16世紀前半ヘラートでハラウィーなる人物によって著された『農業便覧』を詳細に紹介するわけですが、ここで示される、一般的な農書の構成が現代の農学部の講座構成と同一である、との指摘はなかなか刺激的でありました。先般法学についての書き込みでもふれましたが、イスラーム世界の学術はギリシャ・ローマのそれを受け継ぐものであり、その伝統はヨーロッパ文明、そして現代の世界にもつながっていくものなのですね。イスラーム世界の文字文化が、現代を生きるわれわれの文化とまったくかけ離れたものではなく、むしろ同一の系譜に連なる要素を確かに持っているのだ、ということをこのことはあらためて示すものだと言えるでしょう。

ほかの個別の記事については長くなるので省略します。

最後に自分の関心から少々。まず本書で播種量についてふれた部分で「1ジャリーブあたりXXマン」(ジャリーブは面積単位でマンは重量単位)のような示し方がなされています。新疆の場合、少なくとも現地語の文書史料ではこういうかっちりしたデータが示されることは皆無ではないでしょうか(識者のご教授を請います)。不動産関係の契約文書などで一般に示される面積は播種面積(つまり重量)で、それが実際に何haに相当するかなんて実は20世紀中葉の文書においてすらも言えなかったりするのですね。これは当事者がそういうことに関心を持っていなかった(播種量ないし収量が大事なのであって、広さはどうでもいい)ということなのでしょうが、だからと言って私たちがそれを無視してもよいということにはならないでしょう。この問題はかなり頭が痛い問題であり、あたた、私はそのことを思い出して頭が痛くなってまいりました。

次に新疆において『農書』はどうだったのかという問題。私が今まで読んできた職人の祈祷ハンドブック(リサーラ)には『農夫のリサーラ』や『耕作のリサーラ』と題されたものがいくつか知られています。広い意味ではこれらも『農書』にカウントしてもよろしいかもしれません。しかし本書で示されたような浩瀚で、具体的な記事がどれほどあるかといえば、ちょっとそうした『農書』たちと並べてよいものかどうか、私はためらいをおぼえます。この問題は長い目での宿題にさせていただきたいです。

ともあれ、本書は廉価の割に啓蒙されるところ満載のお勧め本です。年末年始のけだるいこの時期にお読みになることをお勧めしたく思います。


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