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辞書編纂はつらいよ-その2(なぜ歴史研究者が辞書を作るか)

辞書編纂、いや語彙集編纂のこの作業で、旧版では組み込まなかった「文法スケッチ」を今執筆中です。

言語学が専門でもない自分が一言語の記述(というと大げさですが)をするなんて、正気の沙汰とは思われません。辞書の編纂といい、文法の記述といい、いや、昨年の言語研修自体が歴史学の範囲を大いに逸脱しているように思われるかもしれません(いいや、ゼッタイに思われている!)。しかし私としてはすべて歴史研究の一環として行っているつもりですのでどうかご容赦ください。

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思うに歴史研究というのは対象となる地域の言語で書かれた史料を読まなければ話になりません。しかしその言語を学ぶ環境がきわめて乏しい場合(これは言語学者、ないしは語学教師の怠慢か、絶対数不足に起因するのでしょう)、研究者(の卵)はメジャーな言語では考えられないような苦労を強いられます。文法書を外国語で読まなければならないとか、辞書を全頁コピーしなければならないとか。今はインターネットの発達でかなり状況は好転しましたが、史料を読むための実践的な言語の知識や辞書はネットメディアをもってしてもまだまだ足りません。引きやすくて探している語がちゃんと日本語で説明されている辞書があったら、それはそれだけで学問の進歩に大きく貢献することになります。つまり辞書編纂は正しく歴史学に貢献する仕事だと私は思います。

貢献、というと偉そうですが、もっと端的には私自身ラクに探している言葉が見つけられる辞書がほしかったのです(まさか辞書を作った以上は全語彙が頭に入っているなんてお思いにはならないですよね?)。自分が使う以上は(失礼!)手を抜かずに実用に耐えるものを作りたいものです。

閑話中題。文法スケッチを描いているというお話でした。
いざ文法を書こうと思ったら、簡潔に現代ウイグル語を記述した先行記事がほとんどない、あってもろくなものではないことを知りいささか愕然といたしました。そもそも現代ウイグル語そのものが言語学的にはなかなかとらえどころのない言語のようで、かっちり記述するのはなかなか難事なのですね。既存のものは帯に長く襷に短い類のもので、どうも厄介です。言語学の方々の文法スケッチのマナーをそれほど逸脱することなく、かつ平易・周到な記述を目指したく思いつつ、スケッチ描写?に励む秋の良き日です。

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追記。思うに、最近は大型の助成金などで中央アジア史研究はプロジェクトがいくつも走っています。まったく20年ぐらい前とは隔世の観がある活況ぶりです。しかし、私見ではその「元気」のわりには後に続く学生が育っていない、いやそもそも後に続く学生が減り続けているように見受けられます。加えて研究状況の向上が中央アジアをめぐる社会の認知にそれほど貢献しているわけではないという憂慮すべき現状も確かに存在しています。コトバだけでなく、社会の当地域に対する関心の芽を摘まずに育てるような取り組みがもう少し研究者の側にも必要なのではないでしょうか。そういうことをちょっぴり感じています。

Posted by: 菅原純 | 2008.10.27 at 10:51 AM

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