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イスラームにおける所有の問題

京都で開催された標記トピックに関する研究会に行ってまいりました。この研究会は「中央アジアの法制度研究会」といい、今回が3回目の開催なのだそうです。日頃私は不動産の売却や相続、賃借に関する文書を読んでいるのですが、いかんせんイスラーム法に関するまっとうな知識を決定的に欠いており、ちゃんと勉強せねばと常々感じておりました。そこにこの研究会はまさに渡りに船ではないかと思い、欣喜雀躍して京都に向かった次第です。

今回の講師は中央アジア古文書セミナーで毎年大変お世話になっているI貝さんで「イスラーム期中央アジアにおける不動産所有について」という題目でのご報告でした。

中央アジア、と題目にはありますが5分の4くらいはいわゆる「ファイ理論」をめぐり、中央アジアで(も)広く使用されていた法学書ならびに注釈書の議論に依拠してハナフィー派法学における「モノ自体(ラカバ)」と「用益(マンファア)」の関係を検討された、かなりコアなお話でした。前近代においてラカバとマンファアが明確に分離してはいなかったことの論証を試みられ、さらに両者の分離がワクフと接収地(マムラカ)が増加した後世に現れた現象で、法理論はそれを追認する形で形作られていった、というのがおおよそのお話の骨子ではなかったかと思います。難しいけれども面白いなあ、これ、というのが素朴な印象でございました。

個人的にはマンファアはじめ新疆の文書でも頻出する術語について、まっとうな意味やその語をめぐる議論について知ることができたのはありがたかったです。やはり、文書書式集のグロッサリや辞書の記事だけでお茶を濁すことなく、面倒くさがらずにせめて手持ちの法学書(といっても『ヒダーヤ』英語版ぐらいしか持ってませんが)ぐらいは開くべきなんだろうなと痛感いたしました。

しかしこの研究会、法制度研究会ということで法学の専門家や弁護士の方などが参加されていて、いつも出ている研究会とは違う(かなーりかっちりした)角度からの質問やコメントが多く、これもまた学ぶところが多かったですね。質疑で示されたローマ法やヨーロッパの近代法との関わりでイスラーム法の所有の問題をみる、という視点はただもう「へえ~、なるほどねえ」という他はありませんでした。なるほど、当たり前といえば当たり前ですが、法理論のようなものにもギリシャ・ローマ法発、イスラーム法経由ヨーロッパ法行き、のような「世界史における一般的な文化の流れ」はあったはずだし、それはもう少し念頭に置かれるべきなのかもしれません(と言っても私は念頭に置きっぱなしで、例によってなんら活用する術を持ちませんが)。

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