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後期高齢者医療制度についてひとこと

この制度についてはあれこれニュースになっているし、国民の大半がひどい制度だと感じているように見受けられる。私は怠惰な人間で政治的な問題には無視を決め込んでいる(無責任!)のだが、この制度だけはどうにも納得できないので一言だけ自分なりに思うところを申し述べたい。

この制度の概要はウィキペディアなどに要領よくまとめられているのでまだこの制度のことをあまりよく知らない方は見てほしい。要は少子高齢化のおかげで高齢者人口が増えたので、これまでの制度(保険料負担の枠組み)ではとても高齢者の医療費をカバーすることができないことが明らかとなり、そこで75歳以上のお年寄り(これを政府は後期高齢者と呼ぶ)を別枠の保険制度に切り離して応分の負担をしてもらおうという制度である(これであってますか?)。これで若い世代は高齢者の分を余分に負担する重圧からいくぶん解放され、「後期高齢者」もまた下の世代に過分に世話になっているというコンプレックスがなくなる、というのが政府の考え方なのであろう。

確かに「受益者負担」という観点からは、この制度はかなりまともなすっきりした制度である。少なくとも算盤勘定のうえではこの制度はよく練られていて、制度が円滑に運用されれば医療財政は数字の上では「健全」なものになるであろう。しかし、しかしである、この「制度」はどこか杓子定規で、敬老の精神や人間の老いや死の問題、究極的には基本的人権さえも置き去りにしてはいないだろうか。

私はこういう問題を語るのに慣れていないので、なかなかよい言葉が出てこないのだが、たとえばその「後期高齢者」のお年寄りの立場になって考えてみよう。家族のために、また(自覚している、していないにかかわらず)国家のためにあくせく働いて律儀に税金を払い続け、やっと引退となって10年余りが過ぎ、年金以外に収入がない(しかもその年金も雀の涙だ)というのに、そのうえ高額の負担を新たに強いられるお年寄りのお気持ちはどんなものだろう。75歳より長生きすることがあきらかに「損」だと国から言われているようなものではないだろうか。

この制度は人が衰えるものだ、やがて「余生」を送る立場になるものだ、ということを意図的に無視しているように私には見える。常識的に考えるならば「後期高齢者無償医療制度」とか「後期高齢者免税制度」、いやいや「後期高齢者一律年金給付制度」こそ実現されるべきで、そのためならば私たち下の世代がかなり過分な負担をしてもよいとさえ思われるのだが…。これには異論があるだろうが、少なくとも私たちがこの社会において、教育において学んできた「モラル」を忠実になぞるならば、むしろこういう考え方にたどり着くのが正常ではないだろうか。制度は功利や能率ではなくモラルに立脚するべきだ。

もし上述のような制度が実現したら私たち若年層(っていうほど私は若くないけれども)の暮らしはかなり苦しくなるだろう。しかし、歯を食いしばって生き延び、晴れて75歳の誕生日を迎えることができれば、それ以降はご隠居として安楽な余生が待っている-長生きはいいもんだな、ああ日本に暮らしていてよかった。そう考えられるような世の中のほうが断然いい。あからさまに先行きの暗さを約束してしまうような制度は見直されるべきだろう。

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