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貸すのか借りるのか、それが問題だ

研究の関係であれこれ証文を読んでいて、いまカナリ気になっている問題は「貸す」と「借りる」の問題です。証文にはそのどちらも存在するのですが、なぜ「どちらか」ではなく「どちらも」存在するのでしょう? くだらないこと考えやがって、といわれそうですが、私としてはそれがどうにも不思議に感じられてならないのですねえ。

売買の場合は「売った」という証書はあっても「買った」という証書は普通作成されません。貸借の場合はなぜ事情が違ってくるのでしょう? あれこれ考えたのですが、たぶん最もありえそうな言い訳はその貸借行為に対し「思い」が強いほうがわざわざ証書を作成するのだ、ということになるでしょうか。つまり「貸してください」と話を持ちかける借り手の場合は借り手がその証文を作成してその目的を達成しようとするし、「借りてください」と貸し手の側が積極的な場合は貸し手が証文を用意する、というわけです。前者は世間一般の貸借関係でしょうし、後者はビジネスとしてモノやお金を貸す「業者」の貸借行為がこれにあたります。

しかし、本当にそうなのでしょうか? この説明はいかにももっともらしいのですが「思い」なんて曖昧なもので説明できるはずがありません。同様の事情は売買にもあるはずで、売買だけが一方向(売却文書のみ)作成されるという事実に照らすならばこの説明はいかにもおかしいなあと思うのですね。

もっときっぱりはっきりこれを説明できる何かがあるような気がします。
世界中のどこの国の事例でもいいのですが、この問題に有益な
ヒントとなるような事実をご存知の方にはご教授いただきたいものです。

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