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言語研修報告

以下は先ごろ刊行された『通信』所収の現代ウイグル語研修(2007)の報告をココログ用に手直ししたものです。

現代ウイグル語研修報告

主任講師 菅原 純

1. 期間と時間
現代ウイグル語(以下「ウイグル語」と表記)の研修は2007年8月6日から9月7日までの5週間。土日は休日。時間は10時からお昼休みをはさんで17時までの6時間で、合計150時間であった。

2. 講師

菅原 純(アジア・アフリカ言語文化研究所・産学連携等研究員)
Aysima Mirsultan(Georg August University・博士課程)
[文化講演]
菅原 睦(東京外国語大学外国語学部・准教授)
真田 安(浦和商業高校・教諭)
江上 鶴也(ウイグル民族文化研究家)
鷲尾 惟子(ピアニスト)

ネイティヴ講師のアイスィマ・ミルスルタンはウルムチ出身のウイグル人で、現在の所属はドイツ、ゲッティンゲン市のゲオルグ・アウグスト大学で歴史言語学(古代ウイグル語)を専攻する。言語学を専攻するウイグル人で、数年にわたり所属大学でウイグル語の講師経験を有することが研修講師をお願いした主たる理由である。研修は全日程、すべての時間を通じてこのアイスィマと日本人講師である筆者の2名が一緒に担当した。

3. 教材
教材の作成は、語彙集は2006年の秋から、教科書はネイティヴ講師アイスィマが研修準備のためAA研外国人フェローの資格でAA研に入所した4月から本格的に始められた。最終的に作成されたのは教科書『Éling, Éling!』(会話文を軸にした総合学習教材)、教科書の音声教材CD、『現代ウイグル語接辞索引』そして『現代ウイグル語語彙集(附日本語-ウイグル語索引)』(見出し約16,000語)の4点である。

4. 受講生
8月6日の開講に参集した受講生は14名である。年齢としては20歳の学部生から会社を退職した65歳の方までおり、ウイグル語を学ぶ動機も、それぞれの専門研究の一環としてウイグル語を習得したいという学生から、日頃接するウイグル人留学生とコミュニケーションをはかりたいという大学教員の方までさまざまであった。新疆での現地体験を有する受講生は14名中6名で、ウイグル語はじめテュルク諸語の学習経験者は3名(うち2名はAA研のカザフ語、サハ語研修の修了者)、また受講生のなかにはモンゴル人と香港人の留学生も含まれていた。研修では初日に全受講生それぞれにアイスィマがウイグル名を命名し、研修ではもっぱらこのウイグル名が用いられた(ウイグル名を持たないのは日本人講師の筆者ただひとりである)。これら受講生は最後までひとりも欠けることなく出席し、欠席も少なく、結果として全員が修了となった。

5. 会場
会場はAA研3階のセミナー室(301)を教室として使用し、隣の小会議室を控え室兼休憩室として利用した。研修期間中、外語大が全学休日となる8月13日~15日は会場を調布市の施設である「たづくり」に移し、また第3回目の文化講演はAA研内の同じフロアにある大会議室で開催したが、それ以外の日程はすべて301で授業を行った。

6. 授業
(1)文字と発音
ウイグル語は変則的なアラビア文字を用いた言語であるが、最初から一貫してアラビア文字を用いていては初歩的な段階で文字習得に足をとられ、なかなか前には進めないのではないのかという懸念があった。そこで本研修では最初の2課を集中的に文字とその発音の学習にあて、会話編の前半はラテン文字転写のみでこれをおこない、後半以降でアラビア文字を用い授業を進めることとした。アラビア文字の綴り方練習は毎週末に教科書のラテン文字転写部分をアラビア文字に復元して綴る宿題を課し、月曜日にアイスィマが添削することとした。
 発音練習は受講生にCDを配布していたので、一部の受講生は数日でウイグル語の音声環境をものにしていたようであるが、大部分の受講生は[ɛ]と[e]、[g]と[ʁ]、[h]と[χ]、[ʤ]と[ʒ]、[k]と[q]、[l]と[r]、[s]と[ʃ]の区別にいささか苦闘していた。これらは筆者自身も決して得意とは言えず、ネイティヴ講師アイスィマに受講生ともども全研修期間を通じて幾度も言い直しをさせられたことを告白する。この発音に関するアイスィマの厳しくも愛情あふれる教導は、筆者も含め受講生みなが緊張しつつも相応の手ごたえを感じたはずである。

(2)会話
会話は前述の通りある日本人の新疆旅行を軸に話を展開させるスキットを13課分用意した。講義の進め方としてはまず録音者の熱演が光る音声教材を聴かせ、ついでネイティヴ講師がテキストを読み、受講生にそれを復唱させる練習を行った。最初は教科書をながめながら、のちには教科書を伏せ復唱させる練習を繰り返し、さらに研修の後半ではそのスキットの内容を2-3人からなるグループに演じさせる形の練習もおこない、こうした練習を通じて「口にウイグル語を学ばせる」ことを心がけた。
 そうした口ならしと前後して新出語彙と文法事項の解説を日本人講師の筆者が行った。この種の解説はできるだけ受講生の集中力が持続している午前中の早い時間に行うこととし、午後の、特に昼休み直後の時間は口ならしの練習に費やした。
 ウイグル語はじめテュルク諸語は語順が日本語に似ているため、受講生はこちらが想像していたより速やかにウイグル語の表現を身につけていった。教える側としては例えば「私はラグマンを食べます」という日本語に相当するウイグル語がmen laghmen yeymenであり、laghmenが対格をとらないこと(lit.「私はラグマン食べます」)であるとか、動詞によって目的語に特定の格を要求するものがある(例えば与格要求のqara-「看る」、奪格要求のöt-「過ぎる」など)とか、日本語からの連想が通用しない部分に特に意を用いて指導に当たった。

(3)講読
研修の最後の週は教科書の最後のユニットに配置した詩や新聞記事、歴史書などの比較的高度な文章の講読に時間を割いた。既に4週にわたり基本文法を学んでいた受講生たちは、こうした文章も難なく読みすすめていった。筆者たち講師は教科書に掲載した文章が高度すぎるのではないかと幾分不安を感じていたのであるが、それは杞憂であった。文法(多くは形態素の切り分けと適切な接辞の理解)がしっかり押さえられていて、かつ語彙がすべて与えられていれば研修5週目の受講生はたいていの文章は読みこなせるのである。教科書に掲載した文章はそれぞれ1ページ程度、長くても2ページ弱であり、もう少し長めのテキストを用意してもよかったように思われる。

(4)練習とグループ作業
研修では午後の比較的緊張の緩みやすい時間を前述の「口ならし練習」やグループ作業にあて、出来るだけ体を動かしてもらうこととした。グループ学習とは講師が受講生を3、4人からなる「グループ」に分かち、特定の「テーマ」について共同で準備させ、プレゼンテーションを行ってもらうものである。「テーマ」はおおむね教科書のスキットの内容に準じる内容であるが「どこか旅行に行ったと仮定して買い物の場面を演じなさい」とか、「好きな料理のレシピについて説明してみなさい」というように多様なテーマを与えた。これを受講生たちは15分~20分程度の作業時間内に話し合い、ウイグル語の会話文を組み立てて演じるわけである。グループは毎回できるだけ同じ顔ぶれが一緒のグループにならぬよう配慮し、その都度新鮮な気持ちで作業に取り組めるようにした。受講生たちは嬉々として作業に取り組んでくれ、示されたプレゼンテーションもユニークなものがそろっていた。そこで話されたウイグル語にはもちろん誤りも少なからず見受けられたが、それはその場で逐一こちらで言い直し、解説を加えていった。
 講師側にとっても、また受講生にとっても、このグループ学習が本研修において最も楽しくも学習上有意義な時間となったが、こうしたことが可能となったのはひとえにネイティヴ講師アイスィマの巧みな授業運営に負うところが大きく、この点は特記しておきたい。

7. 文化講演
文化講演は研修の最終週をのぞく毎週金曜日の午後に行われ、ウイグル人の言語・文化に関連する次の4つの講演が行われた。
(1)8月10日菅原睦「チュルク諸語の中のウイグル語」
(2)8月17日江上鶴也「私とカシュガル」
(3)8月24日真田安「『シルクロード』と新疆ウイグル社会」
(4)8月31日鷲尾惟子「新疆ウイグル人の音楽文化」
なお、最後の鷲尾さんのご講演は実演(ピアノ演奏)を交えての音楽に関する講演ということで、このため会場を大会議室に移し、この回に限り公開の講演ということとした。ご自身クラシックのプロのピアニストである鷲尾さんの演奏はすばらしく、講演の最後の部分では飛び入りでウイグル女性の踊りも披露された。

8. 研修の成果と課題
今回の研修では、すべての受講生が程度に若干の差があるものの、研修の目標においたウイグル語を「読み、話せるようになること」を達成できた。最終週に全員に提出してもらった研修の「卒業論文」とも呼ぶべきエッセイはいずれも素晴らしい出来栄えで、「よくぞここまで」と講師2名は深く感じ入った次第である。研修の目標はおおむね達成されたと考えられるであろう。
 このほかの成果としては(言うまでもないことではあるけれども)ウイグル語を学ぶための教材が本研修のために作成され、これからウイグル語を学ぼうとする人の教材選択の幅が広がったということができよう。今回作成された教材はインターネットを通じて広く世界に公開の方向と伺っている。また、講師2名はもっか今回の成果を下敷きにウイグル語教科書のリリースに向け新たな努力に着手しており、こちらも将来的にはより多くの方に使っていただけるような形で提供されるはずである。
 今後の課題としては、今回初級を修了した受講生たち、また今後ウイグル語を学ぶ人々のために、ウイグル語を実際に使っていくにあたって、それを担保する環境を整備することがあげられるであろう。具体的には現代ウイグル語の文章を一通り読んでいくための助けとなる優れた対日辞書、ウイグル語の文章を組み立てるための一定のボリュームを有する日本語辞書などが必要となっていくことと思われる。このうち前者について筆者は今般編んだ語彙集のデータを土台として、今後本格的な辞書編纂への道を模索したく考えている。おそらくそれは少なからぬ数の方々の参加・協力を得て組織的に行われるべきものであろう。また日本語辞書についてはながく新疆で編纂が試みられていることを筆者は知っており、これに対し我々の側から何らかの支援が出来ぬものか、働きかけを行っていければ幸いである。

9. おわりに
言語研修の経験者はみな感じることであろうが、5週間150時間の研修は苦しくはあったが実に充実した、得がたい体験であった。研修期間中に研修経験者(ハヤ語-1998年)である非常勤研究員の角谷征昭さんと偶々言葉を交わしたが、その際角谷さんが「青春じゃないですか!」と言った言葉が忘れられない。夏の暑い暑い時期に無我夢中でひとつの言語と長時間にわたって格闘する講師と受講生16名の姿は(年齢のことはこの際考えないで)まさに「青春」と呼ぶに相応しいものではないか。この濃密な時間が今後各自の人生にどのように影響を与えていくのか、またこの時間のなかでまかれた種がどのような形で未来に実を結ぶのか、筆者は期待をもって行く末を見守りたく考えている。
 今回の言語研修では多くの方のご支援とご協力をたまわった。まず準備段階から研修終了まで、事務連絡全般を担当いただいた研究協力課全国共同利用係の高坂香さんに感謝申し上げる。教材作成について、また諸般の事務的手続きについて高坂さんは筆者のわがままをできるだけ尊重して事を運んでくださった。高坂さんの「やっときます!」というお言葉がどれほど心強かったことか。また、事務室スタッフの方々にも教材作成や教室の開け閉めなどさまざまな場面でお世話になった。また研修委員会委員長の栗原浩英先生(2006)そして稗田乃先生(2007)はじめ、澤田英夫先生、町田和彦先生、高島淳先生など研修専門委員会の先生方には、準備段階から筆者の準備作業につき深いご理解と一方ならぬご支援をいただいた。ここに深甚の感謝を申し述べたい。また研修準備期間、そして研修中にエレベータなどで出会うたびに研修準備や研修の進捗を気にかけてくださったAA研所員・スタッフの皆さんに感謝申し上げる。最後に研修の主役であり「青春」を共有した受講生の皆さんに心より感謝の言葉を送りたい。本当に受講生の皆さんの積極的な姿勢と暖かさがなければ、この研修はここまで充実したものにはならなかったであろう。皆さん本当にありがとうございました。
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